私は今日、罪を犯します。

『ケンタッキー・フライド・チキンで、ビールを呑む』
 これまで何度か試してきた。そのたびに一つ二つで旨さのピークを越え、なぜギルティな酒盛りをしたのか、そんな後悔に襲われます。その為、「今日はフライドチキンでいってやろうか」なんて計画が浮かぶが、健康に悪すぎるとストップをかけてきた。
 それでも今日、私はその欲望に身を任せることにした。何故か。もう12月。クリスマスも後、半月である。当然繁忙期であり、買えるかどうかも分からず、味も落ちそう。そして、いつ食べたか記憶にない。私の中のケンタッキー・フライド・チキン欲が、この決断をさせました。
 きっと、予想した通りにスグに飽きて、健康を若干害して、パソコンを弄りながらの呑み。不便の極みである。
 8ピースパック、ポテト四つを選択、さらにポテトBOX。どれだけじゃがいも好きか(確実に残る)。そんなチョイスで、今日はギルティな酒盛りとなる。肉に溢れた食卓となるので、明日の夕食はほぼ「メバチマグロの切り落とし」になることでしょう。
 それにしても、人は間違いと分かっていても、欲を優先してしまうのか。「愚かだから」と言ってしまえば終わりであり、「人間も所詮は動物だから欲に勝てない」と行ってしまえば身も蓋もなく、最早、真実なんてどうでもいいのかもしれない。
 我慢は体に悪い。ストレスの方が毒であると、うそぶくことも出来る。だが、脂質と油分の暴力であることは誤魔化し難き真実であり、ストレスなど比較にならない。だが、私は、ケンタッキー・フライド・チキンで酒を呑む。クラフトビールで呑む。欲に身を任す。
 限界。『ケンタッキー・フライド・チキンで酒を呑む』たったこれだけのことで、何を書けというのか。ならば、何故、テーマに選んだのか。 
 それは、純粋にネタに困ったに過ぎない。noteを始めて8カ月を超え、250本以上の作品を世に吐き出してきたにも関わらず、いまだに、ネタに困ってこの始末である。これでは自分の才能を疑うのも無理はない。
 自分を疑えば「鬱」が待っている。鬱は苦しい。自己肯定感が崩壊して丸裸に一直線。嫌だ嫌だ嫌だ、あぁ誤魔化したい。悪感情を粉砕したい。
「そうだ。アレだ」
 そうか。死ぬほどギルティであるはずの、今日の選択は、現実逃避の手段だったのか。酒盛りの前に、気分はどんより。後悔してももう遅い。四千円弱も払って買ってしまったから、食って呑むしかない。
 そう。私が愚かで、欲に負けたのだ。これは人間の性である。すべてにおいて間違いがなければ、それは故障しらずのロボットだ。私は人間だ。それでいい、それがいい。これが私である。
 そろそろ風呂に入り、欲に正直に、身を任せます。了。

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