のっけからこんな話はどうかと思いますが、蒙古タンメン中本で北極野菜シャキシャキ(麺大盛、背脂、北極煮卵、ライス)を食べまして。 ホントにどうかと思うが、毎週金曜日は胃袋に負荷をかける、先日38歳になったばかりのアラフォーです。 まぁ辛いのは辛いですが、慣れたもので、ちょっと痛ぇと感じつつも最終的に美味い。しかし、終盤になるにつれて、やんわりツラい。男として残すわけにいかず、ぐいぐい、胃へ流し込んでいく私。完食するまで水を我慢し、一気に飲み干し「ご馳走様」と捨て台詞を吐き
なんといっても金欠で。 鈴木はどうしようもなく天井のシミの数を数えていた。 それにも飽きて、万年床から体を起こすと、風が窓の網戸を通り過ぎ、青いカーテンを揺らした。 外気が鼻を掠め、時計の針は午前十時を指していた。枕元の財布を覗くと、紙幣は一枚もなく、銀色の硬貨すら皆無。 求職中で、日雇いの給料が振り込まれるのは明日。所持金四十三円で、今日という休日を凌ぐしかない。と、浅薄な決意をし、冷蔵庫に向かう。 白Tシャツにトランクス姿の鈴木を空腹が襲う。 グー、と、胃の
放送があった。 テレビに限らず、動画サイト、SNSのほぼ全て。 ほんの一時、時間にして十五秒間。 砂嵐の音声。 雲一つない青空と、緑の草原。 直後に蝋燭の火。水が降り注ぎ、火は消え水は滴り、床に水が拡がり、水溜まりが迫ってくる。 最後のコンマ三秒。黒い影が「エックス」を描き、放送は終わった。 それ以来、 考えることがなくなった。正確には、[箍]が外れたように振る舞うようになった。気分よく、遮るもののない世界が、とめどなく広がるようだ。 言葉が過ぎる上司を我
真っ二つ、というより強力な力で引き伸ばされたように、上半身から臓器が溢れ、鮮血の海に浸っている。 下半身からは、白い背骨が顔をだしていた。対照的に両腕はサイボーグ化されており、これもまた、ハンマーのようなもので丹念に打ちつけられ、潰れたゴキブリのように粉砕されている。 その周りを鑑識ドローンが丹念に、緑色のライトを照射し分析している。それらを三島は見下して、ドローンから上がってくる情報を手元のデバイスで確認し、署に連絡をいれた。 「――はい、そうです。被害者男性の体から
ところで明日は私の誕生日です。38歳。まごうこと無き、おっさんである。何ら感傷もなく、とくに予定もなく、ただ仕事があり、帰ってきて風呂に入ってnoteを書くだけ。哀しくなんてないぜ。 いつからか誕生日が無風になってしまった。 それはそれとして、すべからくnote2年目は座学に力を入れる予定である。必要な書物はすでにあるので、準備万端。 ゴールデンウイークは安倍公房と西村賢太と三島由紀夫と、座学。 有言実行でいきたいと思います。積読を消化せねばならぬ。 さて。今週のコ
無論、読書。 安倍公房先生の作品を消化したいのだ。銀色の背表紙のやつ。他に積読と化した書架にも手をつけたい。多分、三島由紀夫先生の豊饒の海・四部作が追加される(春の雪、奔馬、暁の寺、天人五衰)ので、消化しきれぬ模様。 ちなみに私は現在、安倍公房先生、西村賢太氏、両氏を軸にその他もろもろを乱読している。 根が一冊に集中できない飽き性である私の宿命であり、今更、性分を変えられない。変える気も無い。読書が養分になることを祈るばかりである。 他の予定では、一回は新宿に行く。
街を歩けば「ペット持ち」にあたる。 筆頭に犬。珍しいところで、ウサギ。人並みに可愛いと思うぐらいに動物は好きだが、題名どおり私はペットを飼わない。 かつて、それも、小学生時代にインコ、ハムスターを飼った記憶がある。 末路は、空に放ち、ネズミは没後庭に埋めた。 感傷も思い出も、どこかに消えてしまった。以後、「ペットを飼う」という選択肢はなく、それは主に金銭的事情であるとか、特に興味がないなんて面白みのない理由である。 ならば、大金持ちになって、余裕ができたとして飼う
とは、ひとつの素材(=ワンソース one source)を複数の用途(=マルチユース multi use)に用いるという意味で使われる。 出版、Web等のメディア関係では、ある媒体用に収集・製作したテキストや画像・動画、デザインなどのデータを用いて、新たに他媒体を制作するような場合を指す。 いわゆる素材の流用や二次・三次利用も含まれる場合もあるが、考え方としては、構造化されたデータやデーターベースなどを利用した情報の一元管理や企画設計段階からの多元的利活用を前提としたワ
六畳一間。万年床。枕元には、中学時代から使っている目覚まし時計と、ミネラルウォーター。 鈴木は朝の激しい日光で目を覚ました。 「今日はなんだか日差しが強いな」 がらがらと窓を開けると、世界が水没していた。 二階建てアパートの一階部分まで水位が迫っている。辺り一面、海、という様相に唖然とした鈴木。 水面に浮かぶ木材に、鶯色のメジロがとまっている。 何事もなかったように。 「呑気なものだな」 鈴木はとりあえず使い古したショルダーバックに、財布や保険証、お茶のペットボ
平然と、誰かのはらわたを貪っていた。 異常に長い手足で相手を雁字搦めにして、鋭い爪で皮膚を突き破り、赤い血肉に食い込ませた。 声も、動きもなくし、物体に成り下がった『誰か』を打ち捨てて床を這いずり回る。次の標的を求めて、鋭い猛獣のような歯から肉片が落下し、緩慢なスピードで階段を上がっていく。 団地か、古いマンションだろうか。鈍い、昼下がりの陽光が通路を照らしている。 妙な居心地の悪い静寂を切り裂くように、ある部屋のドアをこじ開けた。台所を抜けて、和室に辿り着くと、小
線香の厳かな、哀しみを纏った香りが立ち昇っている。 その奥にエフの遺影がある。成人したての頃の写真だろうか、真顔で、口元がすこし笑っている。エスはお焼香をあげ、喪主である父親、その横のやつれた母親に「ご愁傷様です」と言って、頭をさげた。 葬式は終わり、座敷で寿司をつまんでいるとエフの母親が、木箱をもってやってきた。 エフとは、小学生時代によく遊んでいたし、高校でわかれるまで仲の良い友達だった。エスは都会に引っ越してしまったため、大学1年のときの同窓会以来、会っていなか
季節外れの暑さについつい冷房のテストを行ったが、年々、気候がおかしくなっている気がしてならない。 かといって、私に出来ることは、仕事をし、文章を書くことぐらい。 ぶっちゃけ気にしていない。書き出しに悩んで、「今日、暑かったな」てことで採用しただけである。少ない脳の容量を割くには、ちと、弱い。 と、思ったが「気候変動」をテーマに小説を書いたらどうか。あまりに暑くねっとりじっとりクラクラな状態の主人公の熱射病文学。 意味不明だが、面白いかもしれない。 それはそうと、今
晴れた朝、枝草刈り以下略、便所と部屋掃除、総武線で新宿へ。 お出かけ日和も甚だく、粘りを見せる桜と青空のコントラスト。 電車内。四ツ谷駅に到着し、ホームの最寄り施設の案内に『上智大学』があった。高卒の私にとってまったく縁のない名門大学である。一度、あるイベントで中央大学のキャンパスに行ったことはあるが、大学と接点がない。 学歴コンプレックスは、強烈ではないにしろ、全くないと言ったら嘘になる。結果的に稼いでしまえば学歴は関係ないと言えるが、あったらあったで得はあれど損は
開花の遅れ、適度な花冷えで近所の桜、まだ七割は残る。 断じて花見などせず、明日は新宿へ行く。何が哀しくて酒とツマミのはいったビニール袋を提げて、桜の園に闖入しなくてはいけないのか。屹度、早く帰りたくなり、人目を気にして妙に疲れて帰宅するだろうし。 故に、明日、紀伊國屋書店・新宿本店へ行く。 ついでに新宿バルト9で『毒娘』を観る。10代の女子と新しく家族となる継母の関係を軸に、謎の少女「ちーちゃん」と家族の壮絶な争いを描くホラームービーらしい。 閑話休題。紀伊國屋書店
3週間に一度振り返ることで、今後の糧とする企画でございます。 と、言っても、ざっと斜め読みと記憶を探るだけですが。 と、謙遜してみるが、それなりに現状の把握の切っ掛けになっているので無意味ではない。 が、正確に効果のほどを検証できるわけでなし。最早、この企画に意味などあるのだろうか。そんな思いが擡げ始めている。本音でいえばリニューアルしたい。しかし、どんな形がベストなのか。考え中である。 前置きはこれくらいにして、行ってみよう。 「インターネットがない時代の夜、何
むし暑い、八月の朝に、人類は侵略者に屈した。善戦むなしく世界各地、次々と降伏に追い込まれた。 それでも”彼ら”は地球を焼く尽くそうとはせず、これから人類に待ち受ける処遇について淡々と説明し、有無を言わせず、まるで福音であるような印象さえ抱かせたのだ。 支配者失格の烙印をおされた権力者たちは、その地位を追われ、代わりに”彼ら”がその座についた。 私は、戦火から逃れ、草いきれも爽やかで、麗しの山々の連なる片田舎の伯父の家に身を寄せていた。 『人類の敗北は決定的となり、わた