一人称現在進行形

 私はここ最近の深刻なネタ不足に身悶え、艱難辛苦の末、風呂上がりにすべてを諦めてこの文章を書いている。そういう意味で「一人称現在進行形」
であり、心の実況中継と言えよう。「ネタ不足」という現象は、興味の対象が狭いからに他ならない。ものを書くことに人生経験の豊かさは必ずしも寄与するとは限らないが、何かに興味をもつことは重要だと誰かが言っていた。そして、アメトーークに興味がいっている。
 鉄道に興味はない。物語の舞台装置としての列車には、ある。脈絡の崩壊は予期されていたとはいえ、見苦しい。悲しい。
 さて、「ネタ不足」に焦点を当てることにしよう。noteを書きだしてすでに三か月が過ぎようとしている。欠かすことのできない習慣になり、何はなくとも書く。書くことから逃げない。その為、本稿のような見苦しいモノも含まれてしまう。ネタ不足が興味の範囲の狭さにあるとすれば、どこに目を向ければよいか。鉄道。
無理。
 私にとってただの移動手段にすぎない、鉄道。どんな情報もだから何だという他なく、肌に合わない。他方、やる気不足という線もある。
 有力である。
 犯人はお前だ。
 心に手錠をかけて、署に連行である。
「本当に作家になるつもりはあるのか」
「はい。お金持ちになって、イイ女を抱き、旨いモノ喰らい、セレクトショップで服を買いまくり、世界一周、家を建て替えて、SIMMONS[(シモンズ)のベッドで好きなだけ眠りたいです。あと、、」
「欲望でいっぱいだな」
「希望で裏打ちしているので、悪いことではないです」
「そんな夢のようなことが、叶うと思っているのか」
「売れるか、死か。切羽詰まった未来が見えます。やるしかないのです」
 心の友と語りあった結果、やる気はあると確認できたが、以前、ネタ不足の原因は見えてこない。まぁ良い。前進するしかない。人生は乗り換えありの、片道切符。しかし、私は一般的な人生のレールから外れている。母親に出産された瞬間から普通とは言えない。
 現在、なんとか人生のレールを自力でひこうと、枕木をならべているところだが。どうなることか、こうご期待である。

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