我が家の茶色く、すばしっこい奴

 掃除の折、台所のシンクで彼は触覚を揺らしていた。脱兎のごとく逃げる様子もなく、身動きをとらなかった、彼。
 ゴキブリが逃走行動を始めるときには、ただランダムに走り出すわけではない。自分の最初の向き、(壁や角といった)障害物の存在、照明の程度、風向きなどを考慮に入れている。襲ってくる捕食者の動きが原因の風の乱れを感じることができる。加えて、捕食者が原因の風と、通常のそよ風や気流とを区別することができ、他のゴキブリと接触することは回避しない。
 とどのつまり、その警戒を私はすり抜けた、ということだ。その時、私の頭の中では、「殺す」「逃がす」この二つが一瞬にして巡り、その結果。
 ティッシュを手にとり、そっと包み込み、窓を開けて逃がした。ゴキブリにも五分の魂があると、優しさを発揮したわけではない。しかし、燃えるゴミ箱につっこみ、上から潰す。それは、野蛮に感じて、躊躇って「生かす」決断をしたのだ。だから何だと、言われたらそこまでだが、そこまでだ。
 彼があまりにうすのろで、逃げる様子もなかった、そのことが印象に残りこうして記録に残している。
 思えば、ゴキブリは虫のなかでも、ダントツの嫌われ者である。理由としては、屋内で活動している異物だから。ほかに、独特の光沢と立派な触覚がグロテスク。そんなところか。しかし、ダントツの人気者、カブトムシなら歓迎されるか。嫌。そんなことはない。より異物感を放ち、つまんで外へ逃がすだろうし、「うわぁ、カッコいい」なんて感想はつゆほども浮かばない。つまり、ただ、屋内で出会うというだけで彼らは嫌われている。
 人間が勝手に建てたくせに。嫌い、捕獲し、廃棄し、殺し、人を侮辱する形容に使用する。なんだか、可哀そうに思えてきそうだが、好きになることはない。こちとら万物の霊長、人間様だ。虫けらごときに憐憫の情などかけることはない。今日は単なる気まぐれ。日頃はティッシュで包み、ゴミ箱に捨て、潰す。部屋に出現すれば、ゴキブリホイホイで捕獲し、ゴミ箱に捨て、潰す。暗い爽快感さえ帯びた、矮小な殺意に身を任せている。
 ゴキブリと人間の戦争は今も世界中でつづいている。これからも終ることはない。彼らは数で人間を圧倒し、あらゆる知恵をも凌ぐ生命力で生き残る。その力強さを少しは見習いたい。
「ゴキブリの動きの鈍さに、冬の気配を感じる」
 かつて、こんな嫌な季節感があっただろうか。
 そして、この文章全体を支配するのは、「だから何だ」という空気。実に澱んだ、不快な香りがする。さて、臭いモノには蓋。土曜日の夜に何を書いているのか。仕方ない。これしかなかったのだから。

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