子供ころの思い出ポロポロ(2)

「オウム真理教」
 当時小学三年生くらいだったので、呑気に尊師マーチを「しょうこう~しょうこう」と教室で歌っていた。子供心に「何か大変そうだな」とは思っていたが、ほとんど素通りでポケモンとドラゴンボールに夢中になっていた。
 大人になっても当事者でない限り、対岸の火事、子供なら尚更。正直にいえば「どうでもいい」ので、尊師マーチのキャッチーさに惹かれたのだ。

「ザリガニ、オタマジャクシ、バッタ」
 近所の河川の近くの水路に、短めの釣り竿と餌のさきイカを手に赴く。おもむろにザリガニを釣り上げる。持ち帰ることはなく、しばらく指でつまんで眺めてリリース。そしてまた、釣る。見る。リリース。
 他方、母方の田舎の田んぼにオタマジャクシを見るため、野を駆ける。尻尾を激しく振る物体が大量に蠢く姿を無心に見る。帰る。そしてスイカを頬張る。虫の音が響くなか、昼寝をする。のどかな田舎のワンシーン。
 一方、自宅の植え込み。バッタがいる。小さめのやつをつまんで、見る。
やがて四肢を引きちぎり、放り投げる。次の標的もつまんで、見て、四肢を引きちぎる。子供特有の昆虫に対する残酷性を遺憾なく発揮。合掌。

「小学一年生の無邪気さ」
 かすかな記憶をたどると、思い出される光景。おそらく6年生の女子生徒に遊んでもらっていたようだ。私は何を思ったか、彼女の胸をタッチ。恥ずかしがっていたように見えたが、無論、性欲によるものではない。悪戯心の発露といえよう。あの無鉄砲さが今おもえば懐かく、羨ましい。

 子供は未熟であるがゆえ、神聖で純粋な行動力があるように感じる。偏見も小さく、大人にないやさしさもある。それは成長と共に薄れて、自分に制限をかけて「こんなもんかな」と落ち着いてしまう。そんな私は落ち着けるほど、充実していないので無鉄砲に生きたい。

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