だれのための毒薬

 線香の厳かな、哀しみを纏った香りが立ち昇っている。
 その奥にエフの遺影がある。成人したての頃の写真だろうか、真顔で、口元がすこし笑っている。エスはお焼香をあげ、喪主である父親、その横のやつれた母親に「ご愁傷様です」と言って、頭をさげた。
 葬式は終わり、座敷で寿司をつまんでいるとエフの母親が、木箱をもってやってきた。
 エフとは、小学生時代によく遊んでいたし、高校でわかれるまで仲の良い友達だった。エスは都会に引っ越してしまったため、大学1年のときの同窓会以来、会っていなかった。
「これを、あの子があなたに渡してほしいって、頼まれたものなの」
「はぁ」エスは木箱を受け取った。
 昔話ですこし盛り上がったところで、帰ることにした。玄関まで見送ってくれたエフの両親は、無表情で、疲れ切った様子を湛えていた。
 夜の本数が少ない、他に乗客がいない列車に揺られながら、1キロもない軽い木箱の中身が気になったエスは、黒のネクタイを緩める。
 と、同時に、蓋を開けてみると発泡スチロールの梱包材に包まれた、茶色の瓶があった。
「なんだこれ」
 エスは自宅マンションに帰るとシャワーを浴び、上下スウェットに着替え、深呼吸して、あらためて木箱を開けた。
 茶色の瓶を取り出すと、一枚の紙がひらりと床に落ちた。
 瓶をローテーブルに置き、紙を見ると、メッセージが書かれていた。

  『これは毒薬だ。一口飲んだら、死ぬ程度には強力なものだ』

 それだけが、ボールペン字で走り書きされている。
 確か、エフは首を吊って自殺したと、地元の同級生が言っていた。外で煙草を吸っていたときに、
「何で悩んでたんだか。俺も、あの同窓会以来会ってなかったよ」
 それはそうと、
 何故、毒薬を俺に? 死ねというのか。恨まれるようなことはしていない。エスは思案しながら部屋をぐるぐる歩きだした。
 しかし、どう考えようと、用途など浮かぶはずもない。殺人犯になってまで殺したい相手などいないし、そもそも、こんな危ないものは一刻も早く廃棄したい。
 まてよ。これが本物の毒薬と決まったわけじゃない。只のブラックジョークのつもりで、死に際でおかしくなって、只の悪い思いつきかもしれない。
「冗談が過ぎるよ、エフ、、」
 沸々と、エフに対する怒りが出現する。疎遠になっていたとはいえ、仲良くしていた時代を思い出し、弔ってやろうと、田舎まで足を運んだというのに。あまりにも趣味が悪い。
 やはり捨てようと、エスを毒薬の瓶をもって家をでた。
 すでに静寂が深更の夜気に沈んでいた。出来るだけ人気のない場所を目指し、ふと、公園が目に入る。ベンチの下にさっと置いて、足早にエスは去っていった。
 しばらくして、浮浪者風の、50代後半の年回りの男が、毒薬の瓶を拾った。まじまじと眺め、薄汚れたリュックサックにいれ、立ち去った。
 翌朝。
 毒薬の瓶は、浮浪者の泥棒市に並んでいた。
 そこに、白Tシャツにジーンズというラフな格好の若者がやってきた。
 片方だけのスニーカーや、チャック袋に入った赤い錠剤、手袋、題名のないDVDディスクなどがあるなかで、若者は毒薬の瓶をとった。
「何コレ。飛べるヤツ?」
「わかんねぇよ。公園で拾っただけだからな。千円でいいぞ」
「面白そうじゃん。はい、千円」
 若者は浮浪者に千円札を渡し、毒薬の瓶を手にした。
 朝の激しい日光に照らされた茶色の瓶。
 その液体は妖しく静かに満たされている。
 だれのための毒薬なのか。それは、誰にも分からない。

  『これは毒薬だ。一口飲んだら、死ぬ程度には強力なものだ』 
 

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