心の荒野を彷徨う

 「書く」という行為は、雑念の砂塵が舞う荒野をゆく、旅のようなものだと感じるようになった。語ることが少なくなってきてからが勝負だと自分の尻をたたき、気がつけば一か月が経っていた。これは自慢できることなのか。今のところ、人がお金を払う価値がある文章は無いように映る。それでも前に進もうと、何か得ようと斎藤潤一郎先生の死都調布シリーズを購入してみた。漫画というより芸術で、巧く作劇しようとか欲にかられず、ただ表現したいことを殴りつけるようなハードボイルドな作風。真似できない。
 荒涼としたなかで、現れた酒場。一杯のんで、ナッツをつまんで、会話もなく死都調布から去るしかなかった。心のバックから地図をだしてみても、ぼやけていて意味を成さず、遠くにぼんやり灯る光を目印に歩いている。
弾薬がつきた拳銃に手をかけながら、弾薬を探し彷徨う。やっかいなのは敵は他者ではなく、自分自身であること。毎日書いていくことを習慣化するためnoteを始めたが、目的がある程度達成したところで、何を書くべきか迷いが出始めてここ数日の体たらく(個人的に)に繋がった。
 ここいらでテコ入れをしなければ、成長に何一つ寄与しないどころか毎日書いているという事実に満足し、「惰性の支配」は確実である。とはいえ、何をしてよいかも分からない。分からないなりに、この心の荒野を彷徨うしかないのだろう。必ず黄金郷を発見すると誓って。

 
 

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