春、泥棒、静寂(詩)

 眠っていると部屋に泥棒が入ってくる。泥棒には事前に今日家いないことを伝えていたのだが、私は具合が悪く、予定を取りやめてロフトの寝床にいたのである。
 私は恐ろしく、寝たふりをして息を殺す。
鼻歌混じりに彼女の荷物が運ばれていく。小さい声、独り言が聞こえる。ビリビリと破かれる段ボールの音。何度もドアのバタンという音。扉の向こうの共犯者の気配が恐ろしく、やはり私の呼気は減っていく。最後の仕上げと電気が消され、真っ暗な中に私は取り残される。私の寝息だけが2月を保存し、部屋の中はすっかり4月となる。春。葉桜すらも散った春なのである。
 空気清浄機も、段ボールも布団も全てすっかり取り払われた部屋に私はハシゴを使って降りる。何も盗まれていなかった。しかし全ては盗まれてものけのから。
 そうだ、今日は定食屋に行こう。ほんとうは彼女と一緒に行きたかった定食屋。お別れ会のない、お別れは春にそぐわない。そんなことを思った私はやはり、演劇の舞台のピンスポットを浴びて1人佇むのである。
 夜はすっかり暖かく、羽織るものも必要なく、ただ静寂。手紙も何も残されたものはなく、部屋の静寂だけが、耳に聞こえる。そう、それは確かに音であり、耳に聞こえるものなのである。
 春。私は春にやって来た。泥棒は今頃国境を越えて、この国の司法の裁けないどこか遠い街に向かって車を走らせているのであろう。遠い、荒野の街で、静かに暮らす泥棒の顔を思い浮かべる。その街に春はなく、永遠と夏が続くのである。続く夏に春は追いつけず、一枚の葉書も決して届くことはない。
 泥棒は何も盗まなかった。しかし、盗まれたという私がひとりほんの小さな訴状をもって、佇んでいる。今日は曇りがかった晴れの日で、きっとかの泥棒にとって最良の日であった。それはきっと最良の日であったのだ。


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