見出し画像

『つり革を掴みたかった4歳の頃』

20240414


 なぜ子どもの頃はあんなにつり革を掴んでみたかったのだろう。
 
 先日、電車に乗っていたら、優先席に母親と座る3歳くらいの女の子が背伸びをしながら、つり革に向かって一生懸命手を伸ばしていた。

きっとその女の子は、電車の中でつり革という存在を不思議に思い、触ってみたい、掴みたいと感じていたのだと思う。それを見た時、確かに自分も子どもの頃、つり革を掴みたいという意思を持っていたような気がした。

 
 子どもの頃はつり革を掴んでみたかったし、ジャングルジムの高いところに登りたかったし、できるだけ階段の高いところから飛び降りてみたかった。今思うと、これらすべての行為はそれ自体が目的となっていたことを改めて感じる。
 
例えば、つり革を掴むという行為は、本来電車の揺れに耐えるための手段であるが、つり革を掴むことそれ自体が目的となっていたし、階段から飛び降りる時も、早く階段を下りるための手段というよりも、どこまでの高さなら自分は着地できるのかという好奇心からくる行為であり、それ自体が目的だった。

 
 
 つり革を掴めるようになった今、ただただ純粋な好奇心から行動を起こすことは減っている。
 
 
 それでも、自分でも自覚できるほど、ただの好奇心だけで行動していることがひとつだけある。

それは、散歩をしている途中に猫を見かけた時、必ず立ち止まり、周囲に人の目がないことを確認してから、猫に対して思いっきり変顔をしたり、軽快なステップを踏んでいるところを見せつけたりしてみるのだ。

猫が見たこともないような動きをする人間を演じることで、猫がどんな反応をするか見てみたいという好奇心を原動力とした行動であるが、猫の静かで冷たい眼差しにこちらが怯んでしまい、いつも不発に終わっている。
 
 
 
  電車で見かけた女の子は、お母さんに抱っこされて軽くつり革に触れていた。

 その女の子が、猫に向かって変顔をする僕を見たら、何と言われてしまうだろう。この行動の発端は、君がつり革を触ってみたいと思うことと同じなんだとわかりやすく伝えられるのだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?