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『ことあるごとに泣いていたのに大人になっている』

20240317


 自分で告白することはとても恥ずかしいのだけれど、14歳くらいまで、結構泣いていた。いわゆる泣き虫に該当するくらい。


 
 小学生の時は、当時習っていたサッカーの練習がボールを使わずに、ただ走るだけの練習メニューの時は、きつくて泣きだしていたし、中学に入ってからも、音楽の授業において、それなりに真面目だからという理由で勝手に合唱祭のパートリーダーに任命されたときも、やりたくなさ過ぎてしくしく泣いていた。


 
 今考えれば、周囲の人に変に気を使わせてしまっていたかもしれないと思い、申し訳なく思うのだが、いまさらどうこうできる話でもなく、ただただ自分の恥ずかしい過去を思い出しながら、井の頭公園を目的もなく歩いていたりする。

 
そんなことで泣くなよと思うことばかりだが、本当に泣いていた思い出は多い。

 
 小学校4年生くらいのとき、サッカーの練習試合にゴールキーパ―として出場した後、5年生の試合が別の会場でやっていて、ゴールキーパーがいないから、そっちの試合にも行けと言われたときも泣いた。

これで帰れると思っていたのに、まだ試合に出なきゃいけない、それも一つ学年が上の試合だ。その試合会場に向かう途中の電車内で静かに泣いていた。


 
 本当にわけもわからず泣いていたこともある。
子どもが泣くと、大人は「どうしたの?なんかあった?」と聞いてくるけれど、具体的な理由が自分の中でも明確になっていないのに、泣いていたこともあった。勝手に涙が出ていっている感覚というのだろうか。


 
 
 もし本当に、岡本真夜が歌うように、人は涙の数だけ強くなっていくのだとしたら、現在の自分は結構強いのではないかと思う。

そんなことを考えながら、井の頭公園の飲み口が予め上を向いている水飲み場で、水を飲もうと顔を下に向けて、蛇口を少しひねり、わずかしか出てこない水をちびちび飲んでいたりする。

飲み終わって、蛇口をひねったら、勢いよく水が顔面に噴射された。

おぼれかけた。

耳だけでは受け止めきれないほどの轟音と共に、メガネとか帽子とか首元とか顔の近辺にあるもの全てが、一気に濡れた。

 
 今まで泣いてきた水分の総量が顔全体に一気に打ち付けられたんだろうなあとか考える余裕はなく、本当に恥ずかしくて周囲の人に気付かれないように足早にその場を立ち去った。

自分が本当に大人になれているのか、時折不安になる。

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