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「Bridges to Babylon」 ローリング・ストーンズ

「Bridges to Babylon」は1997年にリリースされた、ローリング・ストーンズとしては20世紀最後のオリジナル・アルバムである。1989年に「Steel Wheels」で復活したローリング・ストーンズは、その後も「Voodoo Lounge」をリリースし、ワールド・ツアーを敢行してきた。この「Bridges to Babylon」は彼らのキャリアの中で比較的安定した時期にリリースされたゆえか話題性に乏しく、著しく存在感が薄い。しかも、当時の音楽チャートは激動の最中にあり、必ずしも彼らにとって有利な状況ではなかった。その中であえて新作アルバムを打ち出してまでやりたかったことはなんなのだろう?
華やかで浮き足だった80年代が湾岸戦争で終わりを告げ、スラッシュ・メタルやグランジ・ロックのように退廃的で暴力的なサウンドが好まれるようになったのが90年代だったと言われている。しかし、実態としては90年代を通してアメリカは一貫して好景気であり、人々は"IT"が世界をさらに"自由に"するのを実感していた。だが、当然のことながら景気の拡大は格差の拡大ももたらしており、飛躍する世界に取り残された人々はその鬱積した心情をメタルやグランジの重低音に委ねざるを得なかったのかもしれない。
そしてこの「Bridges to Babylon」における最大のチャレンジは、そのような厭世的な音楽トレンドと民族芸能的なストーンズ・サウンドをどうやって融合させるか、ということにあった。

冒頭の「Flip the Switch」と「Anybody Seen My Baby?」は必ずしもインスピレーションにあふれた楽曲ではないが、重低音とダークな世界観がアルバムの雰囲気をよく表している。
ライブでもよく演奏された「Out of Control」はミック・ジャガーのブルース・ハープをフューチャーした曲で、「Miss You」のようでもあるが、それほど印象的でもない。
一方で「Always Suffering」は愛らしいナンバーだ。"僕たちは苦しんできた そして失ってきた"という歌詞は「Angie」の続編のような雰囲気も持っている。

しかし、実は私がこのアルバムで最も強烈な感動を受ける曲は5曲目の「Gunface」だ。その後ライブで演奏されることもなく、あまり話題になることもないのだが、まさに1990年代後半という特殊な時代とローリング・ストーンズがシンクロするスリリングな演奏が聴ける。
重いドラムとノイジーなギターは、まさにグランジ・ロックの影響を受けているのだろう。破滅的な歌詞と共にまさに世紀末を凝縮したような緊張感のあるサウンドだ。うねり狂うロニー・ウッドのスライド・ギターは暴力そのものと言っていいだろう。
曲が進むほどに、欲望のままに脈打つ鼓動とムンクのようにひしゃげる自我、怒ることでしか正気を保てない人間の苦悩がリアリティを持って迫ってくる。終盤のリズム・チェンジは現代的なサウンドと土着的なビートが入り乱れ、カオスでありながらも美しい、まさにローリング・ストーンズでなければ創造できない世界が現出して消えてゆく。この「Bridges to Babylon」でやりたかった全てがこの曲に詰まっている言っても過言ではない。なぜこれほどの名曲が評価されていないのだろう。

そして「Saint Of Me」はこのアルバムの中でもひときわ肉感的なナンバーだ。アコースティック風パートと熱狂的なゴスペル・クワイアで構成されるこの曲は、聖書に登場する聖人たちを罵り倒すという曲想なのだが、おそらくミック・ジャガーのソロ作である「Wandering Spirit」をプロトタイプとしているのだろう。ライブでも頻繁に演奏され、観衆とのコール・アンド・レスポンスはハイライトのひとつでもあった。
そしてこの曲はビリー・プレストンが参加した最後の曲となってしまった。70年代中盤より、ライブやレコーディングにゲスト参加してきた彼は、停滞しがちだったストーンズにはち切れんばかりのファンクを注入し、その音楽的才能とエネルギッシュな個性でバンドを支えたのだ。
この「Saint Of Me」での彼のオルガンは決して目立たないが、溢れる躍動感は間違いなくビリーの仕事だろう。そして、「Saint Of Me」とは敬虔なキリスト教徒であり、度々バンドの危機を救ってくれたビリー・プレストンのことを指しているようにも思えるのだ。

ところで、このアルバムではかつてないほどにチャーリー・ワッツのドラミングが間近に聞こえる。もちろん音響技術の進化によるところが大きいだろうが、ドラムやベースをとかく強調する当時の音楽トレンドが追い風になったとも思われる。チャーリー自身かなりのモチベーションを持って取り組み、ループやトリガーなど最新のテクノロジーも楽しんだようだ。その結果、ずしりと響くバスドラや抜けの良いスネア、表情豊かなシンバルが生々しく迫ってくる演奏が印象的なアルバムとなった。
自らをジャズドラマーと言い続けた彼だったが、実体験としてローリング・ストーンズにおけるチャーリー・ワッツの演奏からジャズを感じ取ることは難しい。むしろその荒々しく炸裂する演奏はロックそのものだ。
世の中にはなぜか若い時からじじいのような人がいて、チャーリー・ワッツもそうだった。しかし不思議なことに、実際に老齢になるほどその演奏は若々しくシャープでパワフルに進化していった。晩年における、いかにも英国紳士といった風貌と狂気のドラムプレイはまさに悪魔と見紛うほどだった。死の直前まで進化を続けた彼のドラムはこのアルバムで確実にレベルアップしたと感じる人は多いだろう。

ひとつのアルバムを作るには、我々一般人が想像するよりはるかに多くの人が関わるようだ。それがローリング・ストーンズともなれば尚更だろう。そしてそうした人たちがもたらす新しい技術や方法論は、そのアルバムのみならずその後のバンドのあり方にも大きな影響をもたらすということは想像に難くない。事実、ローリング・ストーンズは、過去にもパンクやディスコといった音楽トレンドに果敢にチャレンジしては酷評されながらも、その血肉を体内に取り込んで膨張してきた。この「Bridges to Babylon」にそのような狙いがあったかは知る由もないが、当時の「今」に真摯に向き合うことで得られたものは大きかったようだ。そういう意味では、このアルバムもまた過去の名盤と同じくローリング・ストーンズの歴史を支える礎のひとつになったと言えるのだろう。


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