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マノン・レスコーのちょっとした感想

突然ですが、私は大学でフランス文学を専攻していました。

よって、フランス文学はちょっと読んだことがあります。
ほんと…ちょっとだけです。
私よりも詳しい人たくさんいるはずで、怖いのでこれくらいにさせてください笑

そんな私の読んだフランス文学の恋愛小説の中で一番印象に残ったのが
アベ・プレヴォー「マノン・レスコー」という恋愛小説です。

なぜ、自分の中で印象に残ったのか?
それは…単純に言うと、愛と知恵が相反する愚かさが、ともすれば自分が陥りやすいテーマだと思ったからです。

僭越ではありますが、色々と考察してみたいと思います。

マノン・レスコー あらすじ

騎士デ・グリューは学業も成績優秀で、誰からも期待を寄せられるような人物でしたが、ある時、美少女マノンと出会い一目惚れ。彼女は元々修道院に入るはずの子でしたが、享楽的な人生観の持ち主で、金銭欲に目が眩み、それを叶えてくれる男の人を取っ替え引っ替えしているような子でした。やがて、マノンを手に入れたくなったデ・グリューは二人で駆け落ちをします。今までも彼女を愛した男たちは嫉妬や彼女の欲望から破滅していきましたが、デ・グリューも多分に漏れず巻き込まれて賭博や泥棒、殺人まで犯し、身を堕としていってしまいます。
ついに彼女はアメリカへ追放処分となり、デ・グリューも彼女に付き添って行き、二人の新婚のような慎ましやかな生活が始まります。しかし、アメリカでも彼女をめぐる恋愛のいざこざが起き、ついにマノンは寂しい荒野でデ・グリューの腕に抱かれて死ぬことになります。

アントワーヌ・フランソワ・プレヴォ・デグジル(Antoine François Prévost d'Exiles、1697年4月1日 - 1763年12月25日[1])は、フランスの小説家。
カトリック教会の聖職者であったため、アベ・プレヴォ(Abbé Prévost、僧プレヴォ)と短縮して呼ばれることが多い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アントワーヌ・フランソワ・プレヴォ

著者 アベ・プレヴォー

アベ・プレヴォーは1697年4月1日にフランス、アルトワ地方のエスダン(Hesdin)という町の貴族として生まれました。彼の本名はアントワーヌ・フランソワ・プレヴォスト・ダリエット(Antoine François Prévost d'Exiles)で、アベという称号は彼が神父であることを示すものです。(アベ=在俗神父、という称号です。修道会に所属せず、教区に属して直接司教のもとにある司教のこと。修道会司祭と異なり、清貧の誓願をせず、財産の私有を許される。)

彼の父親はリヴァン・プレヴォスト(Lievin Prévost)という弁護士で、一家は法曹界に関与していました。

彼はイエズス会の学校で教育を受け、後にパリでイエズス会の修道士となりました。その後、修道院での生活、教育、著作活動を通じて、文学界に足跡を残すことになります。僧院から何度も脱走を行い、イギリス、オランダ、イタリアなどへの逃亡し、その度に、恋愛、破産等々、波瀾に満ちた生涯を送り、ようやく1743年にフランスに落ち着いています。

イギリス、オランダ時代には、ある女性との10年以上に渡る関係があったのですが、それは財政上の困難の原因となるほどにプレヴォーの身を焦がすものであったようです。

オランダ滞在中に発表した『ある貴人の回想録』が好評を博し、以後66巻におよぶ作品を残すことになります。『ある貴人の回想録』は20編の独立した小説から成る長編小説で、『マノン・レスコー』はその第七巻として書かれました。
上記の女性との関係が、彼の文学の中に反映されているようです。

アベ・プレヴォーは彼の作品や文学的な活動において多大な影響を与え、特に小説の分野で名声を築きました。
18世紀フランス文学の重要な作家の一人と見なされています。

私の感想

私は最初にこれを読んだのは、18歳か19歳の頃でしたが、
反射的に自分がマノンであるような気分になったのと、
恥を恐れず言えば、マノンを魅力的にも感じました。

この小説のマノンは「ファムファタール」(男の運命を変える女)として認識され
ヨーロッパ中でセンセーショナルに騒がれたと聞いているのですが、
作中では、マノンはもっと軽やかに生きています。

マノンは、いささか暴力的に言えば愛を求めておらず、快楽を求めています。
けれども、デグリュー他の男性はマノンからの愛を求めています。

デグリューは愛を求めているのに得られず苦しんでいるのですが、
マノンは愛を求めていないのに来るのであしらっている(つもり)なのです。

マノンは愛されていいなあ、と言う気持ちもあったかもしれません。
その時私は愛に飢えていましたから。

でも、ちょっと考えてみると、やっぱり違うなあと思ったのです。

これは、神様に向けた、プレヴォーの告白(confession)小説なのではないかと思います。

先に挙げた通り、著者プレヴォーはマノンのようなモデルの女性と出会い、彼自身もその恋愛によって経済的な困難を強いられています。

もちろんですが、それは神父としての正当な生き方ではありません。

正当な神父は、修道院を何度も脱走したり、恋愛で破産したりしません。

プレヴォーは自分の愚かさを小説にして、神へ告白することにより、
罪が少しは軽くなるような気分になったのかもしれません。


現代にはたくさんのマノンとデグリューがいるのでは

時と場所を超えて、
現代にはたくさんマノンとデ・グリューが存在しているような気がします。

わかりやすいのはパパ活と言われるような、
若い女性が、年上男性に色恋を使って金銭的援助を目的とした関係を築くものですが、正常な男女関係と見えるものの中にも、実は存在する場合もあるのかもしれません。

それでもこの小説が「よくある話」で終わらないのは、
デ・グリューの心の機敏を繊細に描いた、プレヴォーの感性が評価されているからだと感じています。


愛と知恵の融合を目指して

小説に教訓を求めるのは野暮かもしれませんが、
私は、プレヴォーがマノン・レスコーで教えてくれているのは
「愛と知恵の融合は難しく、自分も悩んだテーマである。」と言うことかなと思っています。

先ほどマノン・レスコーはアベ・プレヴォーの告白小説ではないかと記載しましたが、プレヴォーは神様に許してもらいたくて、過去の自分の愚かさを露呈しながら書いているのではないでしょうか。

そのため、なぜか二人がとても愚かであるけれども神に愛されているような雰囲気も作中から感じられます。(私だけでしょうか…)

愛と知恵の融合を目指して。
私も常に自分と闘い、気をつけて生きていきたいと改めて思っています。

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