手当たり次第に文章を書いています。
気になるハッシュタグを見つけたら、それに合わせて考えています。

#みらいの校則

みらいの、ってどういうことでしょうか?
校則はルールだと思うので、ルールを変えるだけならすぐにでも出来そうに思えます。

あったらいいものと、なかったらいいもの。
どっちも考えてみます。

リモート登校(あったらいいな)

そもそも保健室登校って、何なのでしょうか。保健室で授業が受けられるわけじゃないのに、行く意味はあるのでしょうか?
公立校においては授業カリキュラムは決まっているでしょうから、文科省が授業映像を作ればいい。ある程度、偏差値に合わせて授業の難易度も種類があればいいな。

生き抜くことの授業(あったらいいな)

授業や試験対策は大事なことですが、なんのために学ぶのかということです。
学ぶことで、人生を豊かにすることが目的でしょう。学校の勉強は苦手でも、好きな分野の勉強なら大好きなんてこと、よくあることです。
究極的には、自立して生活ができればいい。大人になったら、苦手なことは避けて生きればいいんだから。
人生って大変なこと辛いことあるけど、だからこそ面白いんだ、大人は愉しいと伝えてあげてほしい。

運動会などスポーツイベント(なかったらいいな)

私ははっきり言って運動ギライでした。今はそうではないのですが。
運動ギライになったのは、運動会などで敗北感を叩き込まれたからです。悔しさをバネに出来るのは、勝ち目があるからです。
負けることくらい分かってるんだから。テストの成績を全校生徒と保護者の前で披露したりしないでしょ。
せめて、自由参加にしてほしいですね。そうなったら絶対に出ません。

いじめはやめましょう、のような授業
(なかったらいいな)

これでいじめがなくなるなら、苦労はしません。いじめは決して許されることではないことは当然としても。センセイに訴えて対処してもらえることにも限界があります。
結局は自分で乗り越えるしかないのです。真正面から戦うのか、一刻も早く逃げるのか。あるいは他の方法で対処するのか。
世の中には合わない人もいて当たり前で、その都度どうにかしていくしかないのです。どうしようもない相手に真面目に対応しても、悪化するのがオチです。
きれいごとを無責任に繰り返すことで、却って絶望してしまうこともあります。


みらいの校則に思うこと

あったらいいな、なかったらいいなで思いつくことを出してみました。
だけど現実はそんなに簡単なことではないでしょう。
ですが、
「簡単なことではないからこそ取り組む意味があるのだ」と思える世の中であってほしい。
現状にそこそこ満足して、成長を止めてしまうことこそが危惧すべきことのように思います。
我が身のことが、まさにそうなので。

この記事が参加している募集

みらいの校則

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?