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思い出すのはいつも海

物心のついた頃には、釣りが好きになっていました。両親と兄と私、四人で堤防で釣りをしたのが1番古い思い出です。

兄はテレビゲームに夢中になったけど、私はずっと釣りが好きでした。
小学生になる頃には、父と二人で釣りに行くのが何よりの楽しみ。
高学年になると、折りたたみボートにトーハツの船外機をつけて、シロギスやタコを釣りに行きました。
そのうち父は、中古のヨット(ヤマハのマークツー)を買って関西空港の周りでセーリングしたり、タチウオを釣ったり。
ヨットがリベッチオにサイズアップして、淡路島まで一泊クルージングに行ったり。
父との思い出は、ほとんどが海の思い出。あとの思い出は日置川とか琵琶湖とか(笑)。
おかげで反抗期らしい反抗期もなく、大人になりました。


親離れとともに釣り離れして

だけど高校生になったあたりから、ぱったり父と釣りに行くことはなくなっていました。
ケータイを手にしてオシャレに興味が湧き、彼女ができました。完全にそっちに気持ちが移ってしまったのです。
そんなとき母が、
「お父さん最近、寂しそうにしてるよ。」
ポロッとこぼした一言にも、当時は何とも思っていませんでした。

やがて高校から専門学校に入り就職、家を出て結婚。あっという間に三十代も半ばになりました。
実家の母から、
「家をリフォームするから、釣り道具を片付けるように」
と連絡がありました。
およそ二十年、手にしていなかった釣り道具。
だけど思い出したら懐かしくて居ても立ってもいられず、回収に行きました。
大事に大事にしてたし、お小遣いのほとんどを注ぎ込んでた釣り道具。手に取るとやはり、釣りに行きたくてたまらなくて。
気がつけば釣りを再開していました。
だけど二十年も経てば道具も進化してるし、釣りが禁止になってる場所もあるし。
時の流れは無常なのですね(笑)
少しずつ道具を揃えながら、今の時代の釣りを楽しんでいます。


思い出の田尻漁港

そんな折、釣り仲間から誘われた乗り合い船。聞けば田尻漁港から出船するとのこと。
父がヨットを置いていた田尻漁港。
二十年も経っているから建物も変わっていたけど、大きな橋が頭上にある景色はそのまま。
出船するときの堤防、遠くに見える関西空港。
父との思い出が頭の中に吹き出してきて、なんとも言えない気持ちになりました。
釣り仲間からは、
「生きてるうちに話をしとかんと、勿体ないよ。一緒に釣りしたくても、行かれへんなるから」
とアドバイスをされました。
釣り仲間の彼は3年前に立て続けに両親を亡くしており、その後結婚し、息子さんもできて。
ふいにお父さんのことを思い出しては、
「また一緒に釣りに行きたい。」
としみじみ思うそうです。
寡黙な彼の言葉に、あの日の母の一言が重なりました。

遊ぶのに忙しい父だけど

父は退職してからは田舎で野菜を作りながら、三線を弾いて遊んでいます。
父の父、私からみた祖父が亡くなった年齢を追い越して、自分の最期について考えることもあるようです。
「亡くなる一か月前に知りたい、死に支度をしてアッサリ逝きたい。」
なんて勝手なことを言っています。
たまに帰ってもほとんど家にいなくて、去年は顔を合わせたっけ?
最近は膝が痛いと母にこぼしていたそうです。
話してみたいとは思ってるけど、気がつけば1年2年と過ぎてしまいます。
いつまでもあると思うな親と金。
分かってるんですが、なかなかね。

ちょうど会社には仕事の配分を加減してもらうようにお願いしたことだし、仕事が落ち着いたら釣りに誘ってみようかな。
田尻漁港からタチウオ、行きたいな。
いっぱい釣れたら、干物にすると美味しいんだ。


#わたしと海

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