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どこかの誰かの日記帳。絵を描く。日々思ったことを徒然と綴ります。

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沈黙の絵画

『絵画の方が詩より汚くて厄介だ、それにしても僕はいつも詩の方が絵画よりもすごいと思っている。で、結局絵は何も語らず、沈黙を守っているが、僕はやっぱりこの方がずっと好きだ。』 (「ゴッホの手紙 中」より) こんばんは。みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は昨日3時前まで眠れず起きていたのにも関わらず今朝は5時に目が覚めてしまったので、珍しく朝ごはんを食べて、小雨の降る中散歩に出かけました。早朝、しかも小雨の降る早朝、の静寂と、この世界に自分以外誰もいないような孤独感、澄み切っ

    • 一瞬の奔走

      一人の人が花を一輪持っているとして、それがいつか枯れることに対して、綺麗なうちに捨てるか、枯れない花を作るか、醜く枯れるまで見送って悲しみを携えて生きるか別れると思うのだけど、私は圧倒的に最初である。終わりよければすべてよしというように、物事には終わるべき潮時があって、美しいうちに散るのがいいと、私は思っている。それが寿命を縮めることに繋がるとしても、一瞬の奔走というものに私は憧れるのだ。 こんばんは、お久しぶりです。しばらく文化祭やら試験勉強やらで忙しかったので留守にして

      • 夢はずっと叶わない

        一昨日の明け方、また、神さまを見た。もちろんこれは宗教的な話ではないし私は無神論者だ。私の謎の体験は過去の記事を漁っていただければなと思う。 今回の神さまは、使いの動物を連れていて、それらは目には見えないけれどどうやら犬や猫のような形をしていて、布団に潜り込んできた。何度かその使いが布団に入ったり出たりを繰り返した後、私はその神さまに「あなたは明治神宮の神さまですか?」と聞いた。すると、違う、と言いたげに私の唇を指でなぞって、何か三文字を伝えようとしてきた。しかし、私にはその

        • 終点の先

          人生の終点ってどこだろう?年老いて、自然死することが終点だと思う人もいれば、自分の意思が残っているぎりぎりのところを終点という人もいるだろう。私は、私の人生の終点は、自殺して自分で幕を引くときだと思う。前にも書いた通り、私は29の冬に練炭で死ぬつもりだ。これはもうずっと前から決めているので、相当なことがない限り諦めるつもりはない。…でも、終点の先ってあるのかな、とは思ってしまう。 終わりよければすべてよしというし、最期が本人にとって幸せなものであればきっとそれでいいのだ、と私

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        沈黙の絵画

          52Hzの鯨の唄

          絵と出会ってからのこの7年間で、随分と遠くまで来たなあ、と思う。高校1年生で絵を描き始めた私は、7年後、1年浪人した後の大学3年生で、企業さまからイラストレーターとして働く契約を持ちかけられた。もちろん美術系の大学でも高校でもない。本当に普通の、ただ絵が好きな人間が、企業雇用のイラストレーターになってしまった。まあイラストレーターと言っても私は本業は別の仕事をしようと考えているので大学生の間だけだけども。ふと振り返れば自分の辿った道のりがあって、もう岸辺は見えないほど遠く、遠

          52Hzの鯨の唄

          7年前の私へ

          7年前の私へ こんにちは。私は7年後のあなたです。え、7年後も生きてることがわかって絶望したって?分かりますよその気持ち。でも、あなたは、7年後に、すごいことを成し遂げます。そう、あなたの長年の夢だった、イラストレーターになることです。あなたはこれからたくさんの死にたい夜を過ごします。それでも、あなたはそれを全て乗り越えて、夢を叶えます。だから。どうか、生きて、生き延びて、今の私にたどり着いてくださいね。 こんばんは。お久しぶりです。随分とこちらを更新していなかったことをお

          7年前の私へ

          それでも船は進む

          前々から手描きでイラストを作成したタロットカードが、先日やっと届いた。恐る恐る開けてみると、つやつやしたコーティングのかけられた、紛れもなく自分が描いた絵が刷られたカードが入っていた。保護シートを剥がして一枚めくってみた。カードは厚く、そこに確かにあるという確信と安心感があった。私はついに成し遂げたのだ。自分の作品をなんらかの形で物にするという夢を。 こんばんは。お久しぶりです。みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は相変わらずずっと創作に浸っており、前に描いた通り先日自作タ

          それでも船は進む

          心のバトン

          二次創作のイベントでタロットカードを出すことにした私は、ここ1週間、ずっと缶詰で原稿をしていたのだが、今日ついに脱稿した。それをついったーでつぶやいたところ、なんとふぉろわっさんから脱稿祝いのイラストをいただいたのだ。自分が出す側なのに貰ってしまうというのは些か不思議なことだが、とても、とても嬉しかった。 こんばんは。みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は今日ついに脱稿した喜びで興奮したまま、また新たな絵を描いています。ちなみに今ので今日は16枚目です。 先日から何人かの

          心のバトン

          人生の賞味期限

          私には一つの確固たる決意がある。それは29の冬に練炭で死ぬことだ。まだ若いのに、とか、生きていればいいことがある、とかそんな言葉は私に通じない。死ぬと言ったら死ぬのだ。 29で死ぬというのは随分と早いと思うだろうが、まだあと7年もある。私にとって7年は十分長い。それに、寿命を設定することで、今やるべきことを決められるのだ。自堕落な毎日を永年繰り返すよりも寿命まで意味のある日々を過ごす方がいいと、私は思う。賞味期限切れの人生、蛇足の人生などいらない。それに何より、親の死に目な

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          両腕いっぱいの祝福を

          悲しいことがあった。とある別れがあった。でも私はそれを乗り越えて、今、創作をしている。創作が私を見捨てない限りは私はどこへでも行けるような気すらする。 彼女と別れて、今まで連絡を経っていたあの人に連絡をした。朝見てくれればいいと思って真夜中にそっと連絡したのにあの人は今から話す?と答えてくれた。もちろん私は食いついた。話していて、あの人は、「自分は長袖さんのことをずっと応援してますから」と言ってくれた。それでやっと気づいた。付き合うとか付き合わないとか恋愛とかが問題なんじゃ

          両腕いっぱいの祝福を

          神様に会った話その2

          最初に書いておくと、これは宗教の話ではない。あと、この話は信じてもらえないと思う。というか信じてもらえたら逆にびっくりするのだが、今朝の明け方4時ごろに、またしても神様のような謎の存在が枕元に現れた。今回は姿がよく見えなかったからこの前見た神様と同じかは分からない。けれど、何か、力を秘めているような不思議な存在がまた私の元に現れたのは事実なのである。 こんばんは。みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は毎日創作と予備校の講義と課題に追われて忙しい毎日を過ごしています。今日が山

          神様に会った話その2

          ここで舵を右に

          人生は選択の連続というが、それなら創作は選択の結果の積み重ねなのではないか、と思う。創作には、描き手の価値観や思い入れ、好きなもの、嫌いなもの、大切にしていることが自然と現れる。だから、創作物を見れば、その人が過去にしてきたその人の思考による選択が感じ取れるのだと思う。 こんばんは。お久しぶりです。ここしばらくなぜ更新しなかったのかというと、ずっと燃え上がるような創作意欲が私を包んでいたので、こちらまで手が回らなかったからです。今も新しい創作について考えながらこちらを書いて

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          いのち短し創れよ私

          生きるのに時間が足りない、というのはアイロニーナの歌い出しだったか。まさにその通りで私は、今、やりたい創作に対して体が足りない状態にある。私が分裂して何人もの私でやればすぐ終わるのかもしれないが、生憎私は一点ものなのである。やるせない感情を、愛を、妄想をふでのさきに込めて。 お久しぶりです。最近創作意欲が非常に高まっていて、文章より絵の気分なのでこちらの更新を遅らせてしまい申し訳ありません。今後は毎日ではなく、書きたいときに書こうと思います。 ブログの更新もせず何をしてい

          いのち短し創れよ私

          私の名前を覚えて帰って

          私が創作をする理由の一つに、死にたくないから、という理由がある。普段から死にたいとばかり言っている私が生きたくて絵を描くのは矛盾している。でも、希死念慮の死にたさと創作での生きたさは違うのだ。 人は、自分以外の人みんなに忘れ去られたときに本当に死ぬ。その意味で言えば、ダヴィンチやゴッホは永遠の命を与えられたも同然だ。私は彼らが羨ましくて仕方がない。私だって、せっかく生まれたのなら、体が死んだら何も残らなかった、なんて嫌だ。別に人生は派手でなくて良いから、長生きなんてしなくてい

          私の名前を覚えて帰って

          神様に会った話

          今朝、神様に会った。見た目は僧侶のような袈裟を着ていたから仏様かもしれない。いや、そんなことはどっちでもいい。信じてもらえないかもしれないが、私は神様に会ったのだ。 こんばんは。みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は今日は公務員試験対策の予備校の面談に行って今後の勉強方法を聞いて、帰宅後は重い腰を上げて課題を片付けました。夜には彼女さんとお話ししながら創作も出来たので満足です。 冒頭に書いた通り、私は、今朝、神様のような存在に会いました。目が覚めて前を見ると、目の前に袈裟

          神様に会った話

          時代を間違えた人

          昨日の美学の授業で、古代ギリシャでは男性同士の同性愛が認められるどころか推奨されていたと聞いた。当時は男尊女卑が強く、女性は汚れているので男性同士の恋こそ純粋であるという考えが根底にあり、homosexual のホモは混じり気のない、純粋という意味だそうだ。女性は汚れているのでどうでもいいと扱われていたそうだが、きっと女性同士の恋だってあったと思う。私たちは同性愛に比較的非積極的な日本に生きているが、時代が違えば扱いが違ったのではないか。 こんばんは。みなさまいかがお過ごし

          時代を間違えた人