曲がり角の先


 曲がり角の向こうに、どんな道がのびているかわからない。
 10代の頃に読んだ「赤毛のアン」、人生の指針ともなったその本に、そんなくだりがあったことを思い出す。目の前は真っ直ぐ見通せたように思えたあの頃から、私は曲がり角をいくつたどってきたのだろう。
 そしてまた、曲がり角が現れたということなのか。

 夏休み、高2の娘はのびのび過ごしているように見えた。親のそばで、子どもらしく過ごせる最後の夏休みになる可能性があることも考えて、たくさん話したり、一緒に家事をしたり、旅に出たりもしながら過ごした。
 そして迎えた新学期。順調に滑り出したはずの週明けの朝、娘はいつものように起き出してこなかった。
 疲れが溜まっているのかな。1日ゆっくり過ごせば回復する。そう考えて学校に欠席を伝えた。しかし翌日も、その翌日も、欠席が続いた。
 何が起きているのか、私も本人もわからなかった。気持ちがしんどいの? と尋ねると、そうではない、と言って泣く。どうしてそうなるのか、わかりたくてわからない。
 どう伝えればわかってもらえるのか、娘が考えているうちに、母親である私はそれなりの理屈をつけて納得しようとする。私が勝手に決めることに、娘は腹を立て、わかってもらえないことに絶望して泣いていた。

 折々に私の話を聞いてくださってきた先輩にお会いした。先が見えない不安をぶつけるように、ぐずぐずの気持ちのまま報告した。
「子どもが幸せになるなら、どの道行ってもいいの。その覚悟なくてどうするの」
 思いがけない叱咤のお言葉にはっとした。そして、どうしようもない私の不安を受けとめた上で、渾身の激励をくださった。
「なにがあっても、必ず開けると信じること。そして、娘ちゃんの話をよく聞いてあげて」
 先輩にも痛切な体験をあることを存じ上げていた。なにがあっても。胸にぐっときた。
 覚悟を決めて、待つことにした。

 以前から、不意に立ち上がると「目の前が真っ暗になる」と言っていた。
 最初は貧血を疑い、鉄分を補うように心がけたりもした。しかしそのめまいが頻発するようになっていた。
 気のせいではないかもしれない。体が辛いと訴える、その身体的な辛さを聞くたび走り書きで記録するようにした。そのうちに、ようやく彼女の異変に気付かされた。起床時の頭痛、ふらつき、時々はお腹の痛さを訴えたこともあった。
 ひょっとして、と初めて血圧を測ってみた。思っていたよりずっと低い。
 そこで初めて受診、医師に相談した。娘の言う通り、身体的な症状からメンタルに及ぶ不調なのだった。私は、彼女の調整の仕方を理解してサポートすることにした。安心して話せるようになったからか、娘の表情がようやく和らいできた。

 娘にもまた、遠くまで見渡せたはずの道に、曲がり角が現れたということかもしれない。
 学校はどうするか。身体的に無理を続けるのも限界がある。
 親が決めるんじゃない。娘にこそ選択する権利がある。夫は断言した。口に出すとその方向に向かうのではないかという不安が、私にはなくもなかったけれど、腹を括って、考えうるすべての選択肢を提示した。留年も転校も退学も、進学も、そうでない進路も、すべて。自分で決めていいんだよ、どの道も応援するよ。決めるまで、登校を促すこともやめた。
 はじめのうち、決められない、と言って泣き出したこともあった。それなら納得するまで考えたらいい。夫はそれだけ言って静観していた。
 しばらくかかったようで、そう長くもなく、ほんの数日だったかもしれない。娘は何冊も本を読み、ネットで情報収集していたようだった。そして、自分の考えを自分の言葉で話せるようになってから初めて、高校を正規で卒業し、大学受験すると宣言した。
 進路変更としては早い時期の決断ではなかったが、それまでの歩みは決して無駄ではなく、彼女を支えるものにもなっていた。学業面の成果も、さりげなく互いを気遣える友人や、それまでの努力を認めて信頼してくださっていた学校の先生方の存在も、その後の受験勉強を支える土台になっていた。

 曲がり角の向こうに、どんな道が続いているかは誰もわからない。時に怯んだとしても、ほんの少したちどまって考えて、また歩き出せばいい。以前、娘が私に伝えてくれたことは、私が彼女に伝えたいことでもあったのだった。
 受験を終える直前、「ほんとに受験してよかったと思う」と彼女は呟いた。
「受験したから、この先もその時々に自分で考えて、選んで、決めて、いいんだ、ってわかったよ」
 確かな口調に伝わる自信は、彼女が決めて、歩き通してきたからこそ得られたものだ。
 それはきっとこれから先の、自分自身で幸せを掴み取っていく長い道のりへの、支えとなるのだろう。

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?