春を待つ日々

 残暑の頃、それは始まった。
 高2の娘は、朝起きられずに登校が叶わない日が続くようになった。学校に行けなくなるのは初めてではないが、高校生になってからはなかったので、久しぶりのことだった。
 はじめのうちは、身体的な異常を自分でも理解できなかったようだ。
 何が起きているのか説明できず、自己嫌悪に苦しんでさらに悪化する、嫌なループに陥っていた。

 娘は感じていることや考えていることを、言葉にするのにとても慎重で、時間がかかった。
 心のうちの不安や絶望をそのまま乱暴に言葉にすることもできただろうが、彼女は自分が言葉にした後、相手がそれをどう受け取るかまで考えてしまう。だから、こちらはどんな言葉も受けとめる姿勢を保ったまま、急かさず、じっと待つしかない。
 進級のこと、進学のこと、頭をよぎることはいくらでもあったが、一般的、合理的な判断からは一旦遠ざかるしかなかった。
 “当たり前”が決してそうではないことを痛いほど感じながら、できるだけ繰り返しの日常を保って忍耐しつつ、ただ待った。

 こんな場面が以前もあったと思い出す。
 小学4年の秋、娘が初めて登校するのが難しくなった、という場面でのこと。
 なんとか学校に連れ出そうとすることを繰り返して、強烈な抵抗を受けた。生きていてくれるだけで愛おしく幸せだったはずなのに。全身で自分を否定しようとする娘の姿にショックを受け、懺悔するような思いにかられた。

 登校を促すことを諦めたある日のこと。
「これ使っていいかな」
 娘が取り出してきたのは、おもちゃのテントだった。ままごと遊びを卒業してからしまい込んでいた、その赤いテントを部屋に広げ、その上に毛布を重ね、中にはラグのようにブランケットを敷き詰め、テーブル代わりに箱を置いて、まるで、家の中の“もう一つの家”のようにしつらえたのだった。
 娘に断りを得て中に入らせてもらうと、外側を覆っているぶん、仄暗くて温かい。空気が湿度を含んでしっとりしている。まるで母胎の中にいるようだな、と思ったのだった。
 そのテントの中に、娘はラジオを持ち込んで1日中聴いていたり、時には算数のプリントをしたり、あんまり静かなので覗いてみるとぐっすり眠っていたり、居心地よさそうにしていた。

 一日の大半をテントで過ごす娘の様子が少し不安になり、夫に話すと、思いがけないことを言い始めた。
「繭かもしれへん」
 え? まゆ? 聞き返した私に、
「繭とか、さなぎ。春になったら蝶になって、出てくるかもしれへんで。立春が近いし」
 飄々と続けた夫に、繭なら蛾じゃない? と軽口で答えたが、本当にそうならいいのに、と内心で願った。
 果たして、その通りのことが起こった。暦が春となったある日、突然娘は、
「みんなと一緒に、5年生でスタートするから。それまで少し待って」
 そう宣言したのだった。そして春休みが終わる前には、「もういらないよ」と自分からテントを片付け、始業式から少しづつ登校を再開したのだった。

 「待つ」というのは、一見、消極的で非生産的な行為のように見える。
 しかし、「待つ」なかにこそ新しいものが生み出されることを知った。繭から成虫が現れるように。「時」が来るのを待たずに繭をあばいては、細胞がばらばらに分裂した物体しか現れないのだ。蘇生のしようがない。
 あのテントの繭を、私の焦りや不安感から、乱暴にあばかなくてよかった。蘇生した娘は、弱々しいながら羽根を広げ始めた、ということだったのだろう。
 その後、何度か折れそうになることもあったけれど、ぎりぎりまで踏ん張って持ちこたえたあと、その度にしなやかに蘇生してみせるのだった。

 娘が今味わっている苦しみの先に彼女自身が幸せを感じられたなら、痛みを伴うこの日々を待つことに意味があったと、いつか思えるだろう。「待つ」ことで生み出されるものがあると、「時」を深く知る人になるだろう。
 その日が来るよう祈りながら、忍耐して、ただ待った。



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