「モネ」に導かれる


 中之島で「モネ」やってるから行こうよ。
 気の置けない友人の誘いで行ったのは、大阪中之島美術館の、モネ展だ。
 クロード・モネが、印象派と名乗る以前の作品から順に並べられた展覧会で、写実的な作風から次第に光を意識した、モネらしい、と感じる作品に移行していくのが、あまり知識のない私にもわかった。

 面白かったのは、朝靄の中のウォータールー橋やビッグベンといったロンドンの風景を、帰国後アトリエにカンバスを並べて同時期に描いたという作品を、同じところに集めて展示されていたことだ。
 モネが描いていたアトリエにいるような気持ちになり、時空を超え、同じ場所にいて、同じ眺めを味わっているような気持ちになって、愉快だった。

 そして最後の展示スペースには、両方の壁面に、モネが晩年を過ごしたジヴェルニーの庭で描かれた作品が並べられていた。
 そこにいないのに、まるであの庭が立体的に浮かび上がってくるようだった。
 睡蓮はもちろん、風に揺れる柳、藤の花、陰影に富んだ、豊かな色彩の美しい世界。
 それは、長年の屋外での制作活動から白内障を患い、手術を重ねて、薄れゆく視力の中でモネが描き取った世界だ。
 そこには花があり、緑と水辺があり、家族がいた。

 睡蓮は、モネが特に好んでたくさん描いたモチーフだ。
 故郷の美術館、また、印象派の作品を集めた展覧会で、さまざまなモネの睡蓮を眺めてきた。
 中でも思い出深いのは、母校近くの美術館所蔵の睡蓮だ。学生時代、休講で不意に時間ができた時、一人になりたい時、思い立っては何度も足を運んだ。
 特別な企画展のない平日、特に雨や雪など天候に恵まれない日に行くと、美術館を訪ねる人はごくわずかの様子だった。
 比較的大きいカンバスに描かれた作品で、その前に立ち、視界いっぱいに睡蓮を眺めるのが好きだった。
 自信をなくしたり、不安定な気持ちを抱えた自分もまた、その光に溢れた世界に存在するような感覚を味わって、なんだか不思議と元気になるのだった。
 ただその頃の私には(今も素人だけど)美術に関する知識が少なく、モネが経済的に困窮し、家族を失ったり、さらには視力を徐々に失って苦しんだ人生の後半生に描いた作品とは、まだ知らなかった。

 光に満ち溢れた世界。
 その光を失う時に味わう感情とはなんだろう。
 中之島美術館のモネ展で、ジヴェルニーの庭の真ん中に立っているような感覚を味わいながら、ふと考えた。
 きっと、画家として視力を失うことに、絶望を味わったとしても不思議ではない。
 でもモネは最後まで描き続けた。モネ最後の作品となった、オランジュリー美術館の睡蓮には、逝去まで筆を入れ続けたという。
 そこまでさせた、執念のようなエネルギーとは、いったい何なのだろう。
 展覧会を見終えた時に、そんなことを考えていた。

 私は、聴力を失いかけたことがある。
 今も完全ではない感覚があるが、検査すると、回復していると医師も言い、日常生活ではほぼ問題はない。
 時折、家族の言葉が鮮明に聞こえない感じがしたり、耳鳴りを感じることがある程度だ。それも症状のピークの時期を思い出せば、ずっと楽になった。目覚めた時から轟音が耳の奥に響く、あの絶望感といったらなかった。
 このまま耳が聞こえなくなったら。目の前でわが子が話す言葉が聞こえなくなったら。その想像だけで気持ちを落ち込ませていた。
「耳が聞こえなくなっても、命はなくならないよ」
 そう言った人は、私と同じ症状を発症し、治療のタイミングが間に合わず、片方の耳の聴力を元のようにはできなかったと話された。
 たしかに、耳が聞こえなくなったとしても生命に及ばない。その通りだけど、私がそれを受けとめるには時間がかかった。
 聴く力を失うかもしれない、という恐怖は、しばらく私の心を巣食っていた。

 その頃、偶然読んだ記事の言葉に、胸を衝かれた。
「どうしようもないことはあるけど、残されたものを200%輝かせるよう生きてきた。」※
 障がいをもった娘さんを守り、介護が必要なご両親を支えてこられた、あるお母さんの言葉だった。
 他のご家族を社会へ送り出しつつ、娘さんのベッドのそばで原稿や絵手紙を書き、地域のコミュニティFMでパーソナリティをつとめ、ご自身の持てるものを見事に輝かせてこられた。
 なにがあっても負けない、と覚悟の決まった生き方に、心を揺さぶられた。

 もしも聴く力を失ったとしても、私は見える。話せる。歩ける。そのすべてを失っても、私は生きている。
 生きることに絶望しなければ、諦めなければ、まだ人生のすべてを失ったわけではない。
 そう考え至って、先の人が言った言葉がようやく腑に落ちた。その方は、聴力の衰えを感じさせないほどエネルギッシュに話し、私の話を時折聞き返しつつ、じっくり聞いてくださっていた。力強さに圧倒されながら、だんだん感化され、私も気を取り直した。
 そのうちに、知らなかっただけで同じ症状に悩んだ経験のある人は多いことを知った。
 また、聴力を失う以外にも、さまざまな喪失から立ち上がっている人がいることを知った。それを感じさせず、喪失の悲しみに負けずに日々の暮らしを送り、人を励ましている人は知っていたよりずっと多かった。

 なにかを失ったから不幸なのではなくて、諦めて、絶望することが不幸なのだ。
 そう考えると、モネが最後の最後まで描いたということは、彼自身が諦めなかった、ということなのだろう。その結果、彼が描いた、光に溢れた眩い世界は、世紀を超えて遺ったのだ。
 私にもできるかな。
 自分に残されたものを、200%輝かせる生き方を。
 そう、まだまだ、これから。

※ 2017年7月16日付神戸新聞、童話作家・脇谷みどりさんインタビューより

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