「船乗り猫」の旅立ち
ついに娘が旅立った。
進学のために、家を離れ、大学内にある学生寮に住むことになったのだ。
合格発表の後、指定された入寮の日まで期間は短く、慌ただしく荷物をととのえて出発した。
インターネットで注文した日用品ひと箱と、寝具一式。家から送り出した段ボール箱3箱とスーツケース2個の荷物。同じ寮の新入生では少ない方だったらしい。夜までには片付けもひと通り終えたそうだ。
娘の好みで、コンパクトな暮らしを心がけているとはいえ、季節の変わり目の寒暖差に対応するための衣類がずいぶんかさばっていたはずだが、入居当日のうちに部屋に用意された収納にあらかたすっきり収めていた。これから増えるだろう教科書などの書籍を収める棚にもまだ余裕があるようだった。その様子を撮影してSNSに送ってきてみせ、感心させられた。娘はその写真に添えて、結局家と同じような収め方になった、と書いていた。
なるほど、暮らし方とは、新しい住まいになったからといって一変するようなものではなく、これまでの延長にあるものなのだろう。
そして、送り出した後の娘の部屋は空っぽになった。立つ鳥跡を濁さず、見事なまでの巣立ちだった。その空っぽの部屋を見て、ショックを受けたのは私だった。
娘が成長するのにしたがい、見守るだけに留めるように心がけたものの、目の前にいればつい世話を焼きたくなるのが性分だった。
「口は出さんでええねん。本人がやりたいようにさせたらいい」
夫には何度たしなめられただろう。ついには本人に軽く苦情を言われて、ぐっと堪えるようになった。よかれと思い、私が先回りすることで本人の自立を妨げてしまうこと、そして彼女の自信を失わせてしまうことを自覚したのだ。
そしてそれは、私自身の心配や不安を娘にぶつけることだと、ようやく理解したのだった。ダメな母さんの私だったな。
そして、見事に巣立ちした娘の部屋の前で、私は堪えきれず、声を上げて泣いた。
何かしてやりたくても、もう叶わない。目の前に娘はいない。
手助けしようとすまいと、娘にしてやれることを日々考えることで、私を私たらしめた18年間だったのだ。そのことを初めて知った。
見事な巣立ちを果たした娘、それでいい、それを望んできたとわかっていながら、どうしようもない喪失感にたくさん泣いて泣いて、泣き尽くした。
荷づくりしている途中のこと。私は娘に手伝いを頼まれた。用意した段ボール箱に、余分なスペースを作らずコンパクトに荷物を収めたいが、うまくいかない、と娘はむくれていた。
ここぞ出番とばかりに、内心張り切って出したり入れ直したりするうちに、予定していた荷物が段ボール箱にぴったり収まった。さらに余裕がありそうだ、と見て取り、何か入れるものはないかと部屋を見回した。
自分が親元を離れて暮らし始めた、学生時代の初めの頃を思い出しながら考えると、縁のない新しい部屋で、心の拠り所になるようなものがあるといいと思った。すると、娘は娘で、家と変わりなく自分が安心するために、いつも部屋にあったぬいぐるみを連れていく心づもりにしていたらしい。
さらに、ふと思い付いて、あの猫ちゃんは? と尋ねると、
「もう入れたよ」
と言う。
「ママとお揃いの子でしょ。最初から連れていくつもりだったよ」
あの猫さん、そうか、娘のお供に加わるのか。つい口もとが緩んだ。
“あの猫さん”とは、私が台所の窓辺に置いている、猫をかたどった小さな鋳物のことだ。
人との関わりで心が落ち着かない時も、言うに言われぬ感情が湧き上がる時も、どんな時も、子育ての間は台所に立つのが日常だった。娘の食事の支度を放棄するわけにはいかない。
そんなふうに波立つ心のまま台所に立つ時、私を見上げている小さな猫の像を見ると、静かな眼差しでたしなめられているような気持ちになって、落ち着きを取り戻せた。
娘の誕生日に同じものを贈ったものの、娘は、今はママの猫さんがいるから、と言って、小箱に収めたままでいた。それを携え、娘は新しい生活に臨むのか。私が猫の像に託した思いを汲んでくれていたと知って、うれしかった。
娘が巣立ってしばらくして、私は別の“猫さん”に出会った。
大阪中之島美術館の前に立つ、ヤノベケンジ作「Ship's cat “MUSE”」。
宇宙服をまとい、美術館という美の殿堂の入り口で、梅田のビル群を見渡すように立つ巨大な猫の像。作者は、その昔、大航海時代の航海に同行し、新世界へ旅立った「船乗り猫」をモチーフに猫の像を制作、各地に設置しているそうだ。
前に立つと、魅力的な瞳が微笑むように煌めく猫。宇宙に向かって、新しい冒険に胸を弾ませているようにも見える。
そこに、新しい世界へ向かう勇気が宿っているように感じた瞬間、気付いた。そうだ、これまで経験のない、新しい世界へ飛び込んでいった、娘の勇気と同じじゃないか。
古代エジプトでは、農耕の神として、バステト神になぞらえられてきた猫。その役目から「闇を退治する」存在とされてきた。
猫たちをお供に、娘は勇気を振り絞り、念願の場所へと旅立っていった。不安と葛藤することもあったが、自分の目を凝らして闇を払い、新しい学び、新しい暮らしへと、希望を携えて。
娘の、その見事な旅立ちに、心の奥底から快哉を叫ぼう。送り出した今となっては、遠くで祈るほかないけれど、それで、よかったのだ。
年代も国籍も、さまざまな人々が行き交い、記念写真を撮っている宇宙猫の像の前で、私は次第に潤んできた目を上に向けた。
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