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命を子ども達にどう伝える?

永遠のテーマですね。
子どもが小さければ小さいほど、命を尊厳付きで理解するって難しい。

例えば、幼児期の子どもが虫を踏みつけた時。
「虫さんにも命がある」とか「虫さんが痛いって泣いているよ」とか
擬人化して相手(虫)の立場になり、命の大切さについて考えてもらう。
この流れが良くある1つだと思います。

でも、果たしてそんな当たり前っぽいことを言っている私たちは、自分なりにでも理解できているのでしょうか。
一般的なひとつの物の見方だけで、「かわいそう」という感情だけで終わってないでしょうか。
全てのケースを「命は大切にすべき」だけの視点で対応していないでしょうか。

今回は私なりにですが、この順で考えてみたいと思います。

  • 命の事実を2つ挙げる

  • 殺生行為について

  • 子ども達にどう伝えるか

事実① 生物は他の命を奪って生きている

魚を釣ってさばいたとき、内臓の中から未消化の小さい魚が出てくることがあります。
人間だけではなく、魚や他の生物も全て、何か他の生物の命を奪って糧に生きています。
今自分が食べるために殺した命も、同じことを他の生物にしているのです。
生きるためには、食べなければいけない。
食べるためには、殺さなくてはいけない。

生きている限り変わらない事実です。

事実② 生物は死ぬと生き返らない

私たちの命はひとつしかありません。
死ぬと戻らないことは、全ての生き物共通です。
だから、死ぬって思うと怖いですよね。
高い所に立って恐怖を感じるのも、生きようとする自然な感情です。
だから、他の命が殺されることに対して、「かわいそう」「こわい」と思うことは自然な感情です。
死の恐怖から、他の命に共感している。
相手の立場に立って考えています。

殺生という行為から 生き続ける難しさを考える

まず、良い殺生と悪い殺生があるか?についてです。
「食べるために殺すのだから良い」
「意味もなく殺すのは悪い」
こんな考えがありますが、私は違った考えです。
子どもがアリを踏みつけて殺そうが、食べるために殺そうが、殺生は殺生です。
一つの戻らない命を失ったことには変わりないからです。
殺される側からすると、良い悪いは無いでしょう。
もし仮に良い悪いを決められるのならば、それは殺される側であり、殺生する側ではないと思っています。
つまり、「殺生に良い悪いもない」というのが私の考え方です。

次に地球規模での殺生を考えてみます。
殺生は命のサイクルの仕組みの1つだと言えます。
生物が殺生することで、生物のサイクルが作られるからです。
生態系では、命の循環と呼んでいます。
食物連鎖なんかイメージしていただけると分かりやすいかと思います。
仮にひとつの種が増えすぎると他の生物が住みにくくなり、その種にとってもエサがなくなったりで結局生きられなくなります。
例えるなら、バッタが増えすぎるとバッタのエサである葉っぱを食い尽くしてしまい、砂漠化してしまってバッタ含め、全ての生物が生きて行けなくなる。
このような感じです。
殺生は、ある種が増えすぎることを抑止するためのシステムなのかもしれません。

次に死についての価値観は全生物一緒なのか?について考えてみます。
もしかすると、生死の考え方って生物によって違うかもしれません。
多くの子孫を残す生物からすると、実は死んで当たり前って思っているかもしれません。
カマキリとかバッタなんか1回にめちゃくちゃ卵産むし、そのうちの「2,3が大人になってくれればいいな~」くらいの期待度です。
ご飯無くなったら共食いするし、自分の卵たべるし。
人間はその辺違うくて、1回の出産では命をかけて1つの命を生む。
だから他の生物よりも命の価値観を、もしかしたら重く受け止めているかもしれません。
「生きていて当たり前!」とまではいかないけど、他の生物よりも「生き続けることが通常」という価値観がある気がします。
だからこそ、生きることは業深いこと、生きることは当たり前ではない。だから尊い。
個人的にはこれをベースに謙虚に生きたいと思っています。
生きることは業深く、当たり前ではないと思えば、自然に命を粗末にはしないでしょう。

可哀そうが抜けている子には命の大切さを
,可哀そうに傾いている子には命の事実を

私は、命を伝えるときは、①、②の事実どっちもの考え、感覚が必要と思っています。
何故なら、それら2つを理解して、フラットに命を考えるスタートラインに立てると思うからです。
殺生に良いも悪いもありませんが、殺生する側からして、命を粗末にしないことは確かに大事です。
でも、命を奪う行為の本質も知らなければいけません。

命を粗末にするような行為をする子には、「命は無くなると戻らない」尊さを伝える。
命をいただくことについて、罪悪感、恐怖に傾いている子には「生きていることは命をいただくこと」の仕組みを伝える。
そして、命は尊いものだから粗末にはしてはいけないけど、他の命をいただくことは普通に生きることなのだと、感情と理解2つの角度からの考えを成立させましょう。

ここまでが基本です。

困ったことに、心が満たされていない子どもがいます。
そういった子どもが、虫などをわざと拷問にかけるような殺し方をすることがあります。
ここではどうしましょうか?
私はその行為をあえて責めず、なんらかのSOSであると捉えることが必要と思っています。
そもそもなんですが、我々一生命体の分際で、他者の決めた命の扱い方について説教するのが身分不相応なのです。
神でも仏でもありません。そんな立派ではないのです。業を背負っているのです。
それに、多分その子が何らかのストレスを抱えているとしたら、その場で「虫も生きているんだよ!命を粗末にするな!」と止めても心からの理解は得られないでしょう。
だから、できることは偉そうに説教するではなく、同じ目線で理解をしようとするのが遠回りそうですが、確実と思います。
きっとその子は「自分が大切にされていない」と思っているのでしょうから。

ここまでの考えを踏まえ、実際の例をちょっと出してみます。
あなたならどう対応しますか?

・子ども達に生き物を飼わせたい。でも世話をしないなら飼わせたくない。
「世話するから!」と押されて飼い始めたものの、3日で放置しだした。
結局親が世話することに・・・

・子どもが虫を平気で残酷に殺す。
確かに子どものうちだからしょうがない部分もあるかもしれないし、そうやって命を学ぶのかもしれない。
でも大人としては止めさせたい。

・子どもが蚊を殺すのを見て「かわいそうだよ、同じ命だよ」と言う。
同様に、スーパーの肉を見て、豚や牛などの動物が殺されていることが「かわいそう」だと言う。
確かにその通りではあるが、ちょっと極端にならないか心配。

ありきたりな答えですみませんが、これらの対応に当然正解はありません。
というより、所詮人間も一つの生命体。そんな身分では答えは出せないと思います。
人間はそこまで高尚な生き物ではないのです。
でも、そんな中であえて出来ることと言えば、命の事実を伝え、どうその子が考えるかを信じて待つことくらいでしょうか。
その子も1つの命ですし、私たちも1つの命ですから、1つの命として向き合うことくらいしかできないのかもしれませんね。

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