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【番外③】美人ファーマーの飴玉

 

 ある日、就労支援事業の活動を終えベンチで私がぼーっとしていると「おいしいけど食べるねー?」と向かいに座っていた孝雄さん(仮名)が私の隣に立っていた実習生に声をかけた。孝雄さんはその言葉を発しながらもポケットをゴソゴソしており、何が出てくるかまだ分からない状況に実習生は戸惑い、マンガのような返答で「あああああ、ええええええええ・・・・」と声を出している。誰が見ても分かる戸惑い様である。私はめったに他の人に話しかけない孝雄さんが実習生に何をあげようとしているのか非常に興味があった。何を出してくるのか、おいしいけどって言っているけど一応食べ物なんだろうな。食べれない物だったらソッコーで突っこもうやっさー等と考えニヤニヤしながら鼓動高鳴る幸せな3秒間を過ごした。そして孝雄さんの手から出てきたのは、ごく普通ののど飴だった。よく見ると孝雄さんの口もモグモグしている。今食べている飴と同じ物を実習生にあげようとしているのだ。普段そんな物を持っているような人ではない。もし持っていたとしても人にあげるような人でもない。そもそもあまり人と話さない。これはいったいどんな状況なのだろうか。なぜか私の頭にはちょっと前に起こったこの一場面がずっと残っている。

 私は今、就労継続支援B型事業所という、福祉事業の管理者をしている。B型事業とは、普通の会社で働くのは難しいけど、支援を受けながら生産活動を通して社会参加していく事を目的とした事業だ。私は、最初に会った時から孝雄さんがとても気になっていた。理由は自分でも分かっている。孝雄さんが措置入院をした事があるからだ。暴力により警察が介入して強制的に入院になる、それが措置入院だ。私はいつどのタイミグでスイッチが入るか分からない孝雄さんの一言一言に神経を尖らせていた。送迎車の中での会話はしばしば壮大なテーマに及んだ。3億円のクルーザーを購入してきた話、アメリカがスパイを送り込んできている話、世界中のマクドナルドは自分が経営している話等々。そういった時私はできるだけさりげなく話題を変えたいという衝動に駆られるのだが、なぜか車中の他の人は真剣にその話を掘り下げていくのである。そのうち孝雄さん自身も話の行方を見失い、車中はやや気まずい雰囲気になるのだ。この雰囲気になると私もどうしようもなく、しばし成り行きに身を任せる事になる。

 壮大な話は、時に作業をしている時も出現する。B型の活動として店舗の清掃を請け負っているのだが、孝雄さんはいつもはとても丁寧に掃除をする。しかし、1ヶ月に1回くらいなぜか箒を使わないというルールに変更になる時がある。いやいや箒で掃いてください、と言うと「保健所がホウキはやらなくていいって言った」「社長呼んで来い!」と声のトーンが変わりあからさまに不機嫌になる。その時はやはり措置入院が頭をよぎってビクっとしてしまう。孝雄さんは175㎝90kgと大きく、メガネの奧の瞳は大きく、ジッと目を見つめてくる。以前、調子を崩した時には周りの人に対して攻撃的になり「昨日の夜俺の脚踏んだだろう」と覚えのない事で他のメンバーや職員に詰め寄る事も多かった。なので、みんなも少し怖いという意識があるのだ。

 そんな孝雄さんに去年の秋、たまたま別の方の受診付き添いで行っていた病院の外来で会った。孝雄さんも月に1回の定期受診の日だった。普通に挨拶をして、もう診察終わりましたか?と聞いた。そしたら孝雄さんが「うん。終わった。もう薬も飲まない事にした。」とサラっと答えた。ふーんと聞き流したが、え?なんつった?と振り返った。本人は涼しい顔で、お腹が張るからもう注射もしないよと付け加えた。いやいやいや、前任者からは、時々薬を飲まなくなって調子を崩すので1ヶ月間持続性のある注射に変えた、薬飲まなかったらすぐ調子崩すので絶対医療は継続させるようにと申し送られている。付き添ってきた方に少し待ってもらい、孝雄さんと話をした。説得したが何も変わらなかった。

 これは大変な事になったぞ… 次の日から孝雄さんに根ほり葉ほり薬について尋ねた。孝雄さんはとにかくお腹が張るのでそれが嫌、注射にはコカインが入っていて覚せい剤中毒になるから嫌と繰り返した。色々話す中で、注射ではなく内服や液剤はどうかと聞くと「それは別にいいよ」と言う。

 定期の受診を早めてもらい、私も受診に同席した。内服か液剤に変えてもらおう。診察室に入るなり院長先生が「それで注射する気になりましたか?」と切り出してきた。おいおい待ってよ、真正面じゃないか、衝突するじゃないか、折り合おうという気持ちはないのか、部屋の中の緊張がいきなりMaxになった。私がフォローする間もなく本人が「注射はしません」と答えた。ほらーーぶつかったーーー。そうじゃなくってーと私が話そうとすると院長先生は「それではここでする治療はありませんね。紹介状を書きますので、希望の所に行って下さい」と言うではありませんか。え?どういう事?注射打つ打たないじゃなくて、病院変えるって話になっているの?そそくさとPCに向かって紹介状を作り始める先生になんとか話しかける。あのーすいません私事業所の支援者の者ですが本人はお腹が張るので注射を嫌がっていて、違う薬剤なら試していいかなと言っているのですが、他にありませんか?内服や液剤は飲んでもいいと言っていたのですがーーー。ピタっとタイピングの手が止まり先生は私を一瞥し平坦な声で言う。「この人は以前もこうだったんです。薬やめたら入院させるのも大変だったんです。もうここでは治療できませんので、他を探して下さい」 …先生、怒っている。私、何か地雷踏みました?なんでこんなに怒っているのよと戸惑ったが、タイピングは進んでいく。先生、せめて次の病院が決まるまでここで診ていただけませんか?ね?孝雄さん?と孝雄さんの顔を見たら、超涼しそうな顔で「仲地さん、俺大丈夫だよ。病院いいよ。」と言うではないか。いやー近くの病院だからこっちがいいよーーーと何の説得か分からない説得を繰り返してみたが、紹介状が出来上がってしまってタイムオーバーとなった。

 それから9か月が経過した。孝雄さんはあれ以来薬を飲んでいない。孝雄さんは休む事なく、調子を崩す事もなく毎日事業所に来る。なんなら穏やかになったくらいに感じる時もある。薬を飲み続けないとすぐに再発し、暴力的になってしまうのではないかという私の考えは、今のところ偏見であったとしか言いようがない。措置入院歴があるという事でこの人を見ていたのか。このような人の見方をしている支援者がいたら私はその人を非難するであろう。しかし実は私自身がそんな人だったのかと思うと、恥ずかしいを通り越して情けない。実際、なぜまったく薬を飲まずとも再発しないのかは今でも分からないが、家族関係でも歪みはなく、生活も乱れず、事業所でも大きなストレスなく過ごしている。生活がスムーズである事は薬よりも再発を防ぐのかもしれない。

 それにしても、と私の思考はあの飴にもどる。あの飴は何だったんだろう。なぜ私には聞かずにオドオドしている実習生にあげようとしたんだろう。あんな穏やかに、そして人を想うような眼差しの孝雄さんはめったに見られない。後に知ったのだが、あの飴はその日施設外就労で行っていた農家の方がくれた飴だったようだ。ちなみに農家の方はオジーではなく美人ファーマーだ。なのでもしかすると、飴をもらって嬉しかったのかもしれない。しかし飴をもらっただけで終わらず、もう一つを実習生にあげようとしたという事が重要だ。美人ファーマーと孝雄さんと実習生の間を行き来したこの飴にはどんな意味が乗せられていたのだろうか。

 統合失調症の方の中には世界に対する安全感が薄れ、猜疑心が強くなり回りの人が信じられなくなったり、自分を責めているように感じたり、世界が終わる気分になったりする方がいる。そういう世界に棲まう者が自己ならざる物を取り入れる「食べる」という行為を行う時は、更に危険に晒される。

横田は※①「食べる」という行為について次のように述べている。「飲む食べるという事を我々は普段なんの躊躇もなく行っている。私達は自己を取り巻く世界が安全なもので満たされており、自分が取り込むものも安全で良いものであるという事を、根拠もないままに確信している。しかし、この前提には何の保証もない。それにもかかわらず私達は、日々何の疑いも恐怖もなく食べる事ができている。私達は、取り込むものは変わる事なく安全であるという信頼、いわば世界に対する基本的な信頼を自明のこととして持っている。しかし、統合失調症ではこの基本的信頼が失われる。」「食べる飲むという行為と関わりを通して、世俗的だが安全な私たちの世界に回帰する事もある。援助者の手を介して食べる飲むということが、援助者を信頼し受け入れることとなり、ひいては世界全般への信頼回復の発端となる。」と述べている。 

壮大な世界観の中に生きている孝雄さんは施設外就労の時しか会わない美人ファーマーを信頼したので飴を受け取った。そして実際に、孝雄さんはその飴を安心して自分の口に入れた。美味しいと感じた孝雄さんは、実習生にもあげようとした。きっとその飴は信頼の味、安心の味がしていたのではないだろうか。そして、孝雄さんは、実習が始まって間もないオドオドしている実習生を見て、その安全の味をあげようとしたのではないだろうか。実習生は学校の決まりで、対象者からティッシュ一枚も受け取ってはいけないと教育されているので、もちろん受け取らなかった。柔らかい回復の種はこういうところでこぼれ落ちていってしまう。

 横田は「飲む食べるという行為に二つの側面をあげる事ができる。一つは生理的欲求の満足であり、もう一つは母親をはじめとする環境から支えられているという感覚である。後者の側面をウィニコットは頼りになる事(信頼性)と表現し、環境からの供給が機会的になされたからといって信頼性が生じるわけではない。母親の共感が秘められた供給の中に信頼性が芽生える」と述べている。


孝雄さんにとって、畑でもらった飴は、侵襲性の低い畑という環境の中で、「暑いでしょーこれでもどうぞ」と思いやってくれる美人ファーマーから与えられた「共感の伴う供給」として安心の味がする飴になったのではないか。だからオドオドする実習生にも「大丈夫だよ、安心してこの場にいたらいいよ」というメッセージを乗せてあの飴をあげようとしたのではないだろうか。全く違うかもしれないが、なんともない一場面を見てここまで妄想してしまった私は孝雄さんからいつか飴をもらえる日が来たらいいなと思い日々を過ごしている。


※① 統合失調症と衣食住 「統合失調症の回復とはどういうことか」2012年5月 日本評論社

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