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ミャンマー訪問記③

ミャンマー訪問記③  〜rights-based approach(人権モデル)〜

 ミャンマーに行く前も、行ってからも私はrights-based approachについて関心があり、そして実際にそのことばかりを書いている。community mental healthを考える際にどうしても今の医療や福祉は管理にみえてしまう。もちろん自身の日頃の振る舞いについても自戒の念を込めて言っているわけだが、ひどい事業者も最近は本当に多く混沌としている。社会が支援の理念や質を担保できないまま事業者の数だけが多くなってしまうと、「これでいい」感が蔓延し収集がつかなくなる事を真剣に危惧している。 そんなタイミングであったので私はこのrights-based approachに強く魅せられていたのだろう。

 ミャンマーに行きgood practiceを見てきた事と、WHOのガイドラインを読んだこと、その他の文献を読んで私の見解を最後にまとめてみようと思う。rights-based approachとは、一言で言うと「尊厳に焦点をあてたアプローチ」と言えるのではないかと思う。医学モデルをベースとしたアプローチは症状の軽減であった。社会モデルをベースとしたアプローチは本人と生活環境の調整であった。そしてrights-based approachは、その二つと対峙せず内包する形で、上位概念のような形で存在するのではないか。本人が望む充実した生活を創造し道筋をつけ実行する。そのためには医学モデルも一部必要になるだろうし、社会モデルは変わらず大きなウェイトを占めるだろう。ただ明確に違いがあるとしたら、rights-based approach(人権モデル)は障害者だけを対象としていない気がする。それだけ支援を必要とする人が多様化しているという事だろう。 難民や孤児、暴力被害(加害)、ひきこもり、等か。

 医学モデルからの脱却は、診断からの脱却。そして社会モデルを進化させたのは一方的施しからの脱却という意味もあるかもしれない。  これは決して危機介入はしないという事ではない、急性期への対応もrights-based approachに変換されるべきであるという事を意味していると思う。鎮静と行動制限ではなく、本人の不安を早期にそして暖かく緩和する技術。対話を元にしたアプローチ。 対象者を決定能力に欠けた人と見ない事。病院(施設)や支援者の都合を挟まない事。そういうことだと思う。

 evidence-basedは数値化でき具体的であり今もその概念の必要性が世界を席巻しているが、きっと大切な心の部分を置き忘れてしまったのだろう。科学だけではよくならない何かがたくさんあるのだ。今後は、その良さを保ちながらもゆっくりより戻し、少し概念的にはなってしまうがrights-based approachという温かみを持つ時代になって欲しい。

全ての人に、全ての人が関心を持っていく。そして安心な場をつくる。

勝った負けた、得した損した、という二項対立の思考に少しゆとりを加えていこう。
どこでもいいので自分にとって「安全」な場を生活につくっていこう。
誰かの「安全」を構成する一部になれる人間になろう。
先の不安と、後の後悔ではなく、今に身をおこう。
「足を知る」心をもとう。
精神的「安全」を増やしていこう

rigts-based approach(人権モデル)とは
障害や困難の有無、支援や保護の必要性に関わらず、ひとりひとりが生きる主体であり市民としての責任があるという前提にたち、共に生きるために人や社会との繋がりをつくり、そして拠りどころになるのがrigts-based approachであると思う。

ミャンマーありがとう 仲地宗幸

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