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【地方創生レポ】当時高校生だった私が今震災10年目に思うこと

2021.1.28


それは母からのLINEが始まりでした。
『地元でこんなのが開催されるからどう?』と言われたのがこれ↓

文字通り、地域の人と一緒にゴミ問題を考える企画だったのですが
地元でこの問題に取り組んでいる人の活動内容を聞きながら
『実際に何が問題か』『これやってみたい』みたいなことを
参加者と一緒にアイディアや意見を出し合って考える時間でした。

・子供の古着をリサイクルしてゴミゼロを目指す取り組みをする人
・教育についてのレポートをしてくれる人
・寺の住職で、お墓に残った御供物を活用してゼロウェイストに取り組んでいる人

などなど。


地元の人との交流=年に数回家族と話す
くらいの数年間を過ごしてきたので
仕事面で改めて故郷を見るのがこれまたすごくすごく新鮮で。

実際に動いている人から見える景色は
私が知っている10年前の景色とは
ちょっと違って見えたんですよね。

でも結局、それをどうやって持続可能な社会に生かしていくか、
循環型の社会にしていけるのかと言うところまではまだ行動が落ちていないのかな、と言うのが印象でした。


だからこそ、クリエイティブやPRの視点で
活動内容を対外的に広げていく手段や方法はないかなと思って
そのままNPO法人の理事さんとアポをとり
このオンライン会議後、何かできることはありませんか?とお願いをし
打ち合わせを組んでもらいました。


2021.2.10


NPO法人のメンバーの方3名と、弊社メンバー7名での打ち合わせ。
気仙沼でどんな活動をしているのかの活動内容を色々と聞くことができました。

・テーマを決めて希望者と話し合いをする「ぬまとーーく」
・気仙沼で活躍している人の話を聞く「ぬま塾」
・やりたいことを実際に形にしていく「ぬま大学」 など

この発表を聞いていた上司が「えらい!」と一言。
本当に私もそうだなぁと思いました。
口だけ言うのは簡単だけど実際にやることは本当に大変なこと。。
発信はグローバルに、活動は草の根でやっていく・広げていくのが
今は大事だよと上司も言っていて、
今までやってきた活動がいよいよ繋がってきたなぁと思う瞬間でした。


ただ、こうやって外部から参加をする以上、
ただ面白いと言う理由だけで
お手伝いをするのは違うし押し付けになるのも違う。
その線引きはまさに実行しながらではないと、やれることが具体的に
見えてこないなと言うのが感想でした。


今はオンラインでの繋がりの中でやれること・手伝えることを模索していく必要があるなと思いつつ、今まで「与えられる」存在だった私が
「与える」側になることでそれこそ見える世界がもっと変わってくるのではないかと思う会議でした。


震災当時高校生だった私はただただ与えられる立場で何もしてこなかった。。
ただ、自分の仕事である、クリエイティブやアイディアを生かせる場所が図らずも1事業の一環で地元・気仙沼へ還元できる(かもしれない)可能性に、わくわくする毎日です。



コロナでオンラインでしか手段がないと言うのが玉に瑕だけど
いろいろな形で人を幸せにするアイディアを産み出し続けたいなと思います。

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