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昭和のgifted - 80 父からの電話

前回のお話はこちら

ギフテッドの子供(族柄的な意味)はある程度の年頃になると親のことを親と思わなくなる(背景によって思えなくなる)。

なので早々に「親だから何かしてあげなくては」みたいな固定概念を捨て去って欲しいと思ってる。というお話し。

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家族を断捨離してからもう2年くらいは経っただろうか。

定期的に長電話をしていた母からの連絡を一切断ち切ったところで、自分が困ったときに「お金貸してくれ」的なこと以外なんとなくの近況報告がほとんどなかった父から電話がちょくちょく来るようになった。

数年前に脳卒中で倒れて半身不随になり、リハビリを重ねてはいるみたいだけれども自暴自棄なのかなんなのか隠れて酒を飲んだりと心を入れ替えれないでいるような噂もあり、身体のあちこちがボロボロで最近では立て続けに万が一があるかもしれない手術を繰り返しているらしいので、兎にも角にも心細いんだろう。(私からしたら自業自得なので自暴自棄になるんだったら腹を括れと思っている)

今回の父からの電話は、咽頭癌の手術で話せなくなるかもしれないと言う本当の万が一のための最後の電話だったのかもしれない。

ただそこまでになっても、父の最後になったかもしれない電話は「話せなくなるかもしれないけど、これまで通りメールはできるだろうし、いろいろあると思うけど頑張れよ」と言う言葉で締めくくられた。

元々オシャレでかっこいい父を誇らしく思っていた時期もあったので、一人娘だったけれどファザコンを自称するくらい父のことは好きだった。

だから不甲斐ない父の姿を見て殴り合いの喧嘩もしたこともあるけれど私は父が大好きだ。

憤った時期もあったけれども、今は父なりに理想があって、そうできていない自分に憤っているのかもしれなくて、まだ諦めたくないと思いつつ理想を実現できないで抗っているのかもしれないと思う反面、同じ個人事業主という立場になって「父なりに頑張ってはいるんだろけど私からすると努力が足りない」と思ってしまう部分があるのは否めない。

これ以上私にがっかりさせて欲しくないから、本当に嫌いになってしまう前に召されてくれたらどれだけ私は楽になるかと思ってしまうこともあるので、心配はしつつも“万が一”が起こったときのことは随分前から覚悟はできている。

好きでいたい一心で私から距離を縮めることができなくなってしまっていたんだけれども、「家族を断捨離」発言で母からの連絡を一切取らなくなった私に「いろいろあったけど、二十歳を過ぎてからはおまえのすることに反対したことはなかったはずだよ」と言われて、確かに何度も「頑張れ」と言ってくれてたけれども、私の中では“反対はしなかったけれども肯定もされていない”んじゃないかって頭をよぎったんだ。

どの時期からはわからないが、私は父のことを憐んでいる。

つい「めちゃくちゃ頑張ってきたつもりだけど、これ以上何をどう頑張れって言うの?」と八つ当たりして電話を切り、大好きな父に言わなくても良い現実を突きつけてしまったことと、父なりの最大限のコミニュケーションなのかもしれないとか彼なりに頑張っているけれども「私のこうあって欲しい父親像に足りない」と思ってしまっている申し訳なさとかが混じり合ってめちゃくちゃ泣いた。

私のことを思って小言を言う母と、私のことを思うから何も言えない父。親らしくあって欲しいと思う私にとって埋め尽くせないロスコミニュケーションがそこにはあって、「親と子」という関係性では「対等な人間」としてどう折り合いをつけるかを先行して考えるようにならざるを得なかった子供からしてみれば「親だから何かしてあげたい、しなければ」という固定概念をさっさと捨てて欲しいと願っている。

父なりに「親らしいことができていない」という不甲斐なさがあるかもしれないが、私はそれも折り込み済みで父のことを嫌いになれないからありのままを受け入れるしかないし、直接的なやりとりをすると私が潰れてしまう恐れてがあるのでただただ幸せに向かって突き進んでいる姿をSNSとかで発信する以外のことができない。

ただ、私がどれだけ家族のことを考えているのかとか、それによってどれだけ辛い思いをしたのかを身をもって知ってもらうために親を甘やかさないと決めた。

だって私、私が満足するような甘やかされ方されてないのだから。

今となっては仕事の取り方とか税金対策とか、個人事業主の先輩として教えて欲しいことがあった。父もカメラは好きだったみたいなので何のカメラのどこが好きなのか教えて欲しかった。

それとなく聞いてみたらことはあったが、私がわくわくできるような話をしてもらえることはなかった。

私が成してきたことを手放しで喜んではもらえていない。照れているのか不器用なのかわからないけれど、私が褒めてもらいたくて「こんなことがあったよ」とか「褒めてもらったよ」なんて話をしても自分ごとのように一緒になって喜んでくれる両親ではなかった。

本当は自分ごとのように喜んでくれていたのかもしれないが、母はなんでも開口一番にダメ出しから入る人だし、父は寡黙なのか不器用なのか表現力が乏しい(元デザイナーなのに…)

それでも多分、私のことを思ってくれているのだろうと良いように捉える努力をしてきたが、仏の顔も3000回くらいやってると無になる。

人間関係の距離感を学習する中で、ギフテッドの“それ”は理解されづらい特性からか「関係性」というフィルターを通さずに『家族』のことを『ひとりの他人』として思考分析する時期がやってくる。

まぁ友達や恋人関係もそうなのだけれども。

自分と近しい間柄だと認識している人が、自分が当たり前として相手のことを受け入れているほどの精度で受け入れてくれていないと感じることで「自分は大事にしたいと思っているのに同じ様に返してもらえていないと感じるジレンマから病んでしまうから、自分を守るためにも家族を家族と思わないことでバランスを取るしかない。

ギフテッドだろうがなかろうが、子供や友達や恋人、本人たちが幸せだと思っているならそれで良いじゃん。

あー、これ後で痛い目みるやつじゃんって思っても本人が有頂天なんだったら一旦一緒に喜んで、痛い目みたときにフォローしてくれるのが親ってもんじゃないの?私親になったことないからわかんないけど。

子供の立場からすれば親とはそういうものであって欲しかったような気がする。

決して「女の子だし、心配かけたくなかったし」とどうにも回避できないくらいやばい状況になってから現実叩きつけるようなもんではないと思う…(過去記事参照)

親であろうとする人たちは、できもしないことを理解しようともせず、「親だから」と免罪符を掲げて自分の価値観を押し付けてくることもある。
子供の理想の親像になれていない現実がそこにはあって、どうして相手(子供)はどうして欲しいのか?を考えてくれないんだろうな。

私今仕事なくてデッドオアアライブなのに金銭的援助もしてもらえない…なんてことはすでにこれまで何度もあってその都度親以外の第三者とその人たちとの関係性をつくってこれた自力で乗り切ってるから、人として尊敬できるところもなく金銭的優位性もなく、ただただ今後の負担の心労しかくれてないし、これまでこんなに辛いなら産まれてこないほうが良かったって何度思ったからわかんないくらい思ってきたので、私を産み落とした人たちはいるけど親はいないと思ってる。

それでもたくさんもがいて、note書いたりして、自分の世界を自力でこじ開けたら私を理解してくれる人が増えて、40年かかったけど私のことをめちゃくちゃ褒めて慕ってくれる人が集まってきてくれてるから今の私はちゃんと私のことを褒めてあげることができるようになった。

私が両親にできることは、自分たちの心配が杞憂だったとわからせること。自分たちの子供は本当にいろんな人を幸せにする力があったって気づいてもらうことだと思うから、とりとめがなくとも長々綴ろうとも私は誰かのためにnoteを書く。(毎回長くなるから読む方が大変だろうと思って最近はなるべく控えていたりもする)

親が「心配だから」というだけの理由でダメ出しとか心配という名のエゴを押し付けてくると子供は自分の価値観を自ら否定せざるを得ない。

それでなくともギフテッドは理解されにくい上に周りのことを思いやってしまうせいで自分を押さえ込みがちだ。

ほとんど毎日学校で起こった出来事とか好きな人ができただの、何を頑張っただのと言って比較的親子関係が友達家族だと思っていた私ですらこれなんだから、言いたいことをお互い言えてない家族なんてたくさんあるのかもしれない。

多様性や個性を認めようよって風潮なんだから、それだけ人類が生命活動に余裕をもてる時代になったのだから、「親だから」「子供だから」「夫婦だから」「友達だから」「付き合ってるから」なんて誰が決めたかわからない固定概念に振り回されるのはさっさと辞めた方が良いと思う。

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