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昭和のgifted - 73 写真のすゝめ[人を撮るときの心構え編]

前回のお話しはこちら

最近写真家を名乗っていて、写真を撮っている訳なんだが、ギフテッドとかHSPさんとか人の気持ちを考えてすぎてしまう人には写真って良いのかもしれないと思ったので一筆。

と、思ったけど書いてたら長くなったのでいろんなアプローチ方法を書いていきます。(独学カメラマンだからそんなバリエーションはないよ)

何がいいたいかって言うと、写真には「何を残したかったか」「何を残してあげたかったか」みたいな感情が滲むってこと。

カメラの性能がぐんぐん上がって、もはやシャッターボタン押せばカメラがいい写真を撮ってくれる時代にはなってきてる。(気が向いたら解説します)

「カメラに撮らされている写真」ではなくて、写真を撮ることってなんだろう?って考えられる人が良い撮影者になるんじゃないかな?ってお話し。


人類総カメラマン時代、撮影者って3パターンあると思っていて、ひとつめは褒められたくて写真を撮る人、ふたつめは仕事で仕方なく撮る人、そしてみっつめは誰かのために撮る人。

ほとんどの人が褒められたくて技術を駆使したり、あれこれ考えて撮ってるんだけど、「よくいるカメラマン」は自分のことしか考えてないから「よくいる」中に埋没してしまう。あと写真が好きで勉強したので、その技術を無駄にしないためにしがみついてる人も埋没しがち。、

私の写真を好きって言ってくれる人は「木春さんの写真は情景が浮かぶ」とか「想像の余白がある」なんて言ってくれるんだけど、それは多分私が「被写体の物語」を想像して撮っているからなんだと思う。

前にも書いたと思うけど美大生に「みんな理想のアウトプットをしたいがために勉強して技術的を磨こうとするのに、木春さんみたいな感性だけでぶちのめしてくる人がいるからアート界隈はままならないんだけど、しがみつきたいなら折り合いつけなきゃなんですよね」と言われてはちゃめちゃに申し訳ない気持ちになりつつ、大前提の思想が違うからままならなくなるような人たちには一生煮湯飲ませるんだろうな、私。と思った。

私のnoteの画像は「この画像についての感想を述べます」みたいな特殊パターンを除いてヘッダーに使っている写真は全て私が撮影したものだ。

私はプロのカメラとか写真やってる人とかに「写真上手だね」と言われたくて撮ってる訳ではなくて撮られた人が喜んでくれたり、写真やってない人が「よくわかんないけどなんか好き〜」と言ってくれる方が嬉しい。

まぁとはいえプロでやってる人とかに「そつのないカメラマンじゃなくて木春さんには木春さんが良いと思うものを撮り続けてほしい」と毎度誰彼に言われるので私に関しては作家性を掘り下げていくのが良いんだろうな、と思ってそうすることにした。

確かに、カメラマンとしてはお金にならないかもしれないけれど、普通の人が感覚的になんか好きと思ってくれることの方が価値があると感じる。(ぶっちゃけ差別化できる強みがあればマネタイズ施策を考えれば良いだけだし)

言語化して説明できないけど「好き」は多分本能的に本当に好きなんだと思える。

被写体と撮影者の関係って特殊だと思っていて、一対一でも多対一でも撮影しているその瞬間はお互いがお互いのことを見ている。

私自身、自分の顔が好きではないと思っていたこともあって、写真写りが良くないと思うことが多々あった。

だからこそ写真を撮られるのが苦手な人ほど撮るのが上手いと思う。

普通のカメラマンならOKにする写真でも「顔がちょっとブスになってるなぁ」と私が思ったらボツにするし、撮られた相手が「どう映っていたいか」を考えてセレクトする。

イベントなんかの記録撮影とかSNS速報の撮影とかでも、被写体のSNSとか確認して、アイコンのチェックとかして「この人はこのラインまでならOKなのか」を事前確認してなるべくアイコンのイメージに寄せるように気を使っている。

SNSのアイコンってその人がどう見せたいかを具現化したものだから盛る人はめちゃくちゃ盛るし、横顔とか後ろ姿とかの人は自分に自信がなくて見せたくないんだと思う。

だから盛ってる人にはそのイメージに近いものを、盛ってない人には私が思う自然な表情を撮るように心がけている。

それくらい撮られる人のことを考えているから、私の写真は「少し自分のことを好きになれた」とか言ってくれる人がいるんだろう。

お仕事だと報酬いただく訳なので、ベストな写真ばかりじゃなくて保険で撮ることももちろんある。
「とりあえず撮っておいてくれてればいい」みたいなこともあるので仕方なく撮ることもある。

でも、被写体とどれくらい向き合ってるか、向き合うつもりがあるかが大事だと思うので、私基準だとそもそも理想が高すぎることもあって今のところほぼほぼ満足してもらえてる。

フィルムカメラだと撮れる枚数にそれなりに制限があったからなおのこと一瞬一瞬を大事にしようとしたはずだけど、デジカメはカメラが補ってくれるし、枚数もフィルム以上に無制限に近い枚数撮れる。

でもそんな撮り方するくらいなら動画からコマ送りで切り取れば良い。

被写体をリラックスさせるのも撮る人の腕前なんて言うこともあるけれど、撮られてる人と撮ってる人の関係性って撮られる側が考えているよりも深く、撮る側は考えた方が良いと思う。

余談 : 社会人スポーツの公式カメラマンやってるけど、仲良い選手は上手に撮れるけどそうでもない選手の写真は意識して無理矢理撮らないと撮れないと、私は思っている。

続きはこち、

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