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銀こんにゃく、西洋美術館に行く。

10/23 曇り

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日曜日に、儒烏風亭らでんというホロライブのVtuberが夢に出てきた。国立西洋美術館を二人で巡る夢だった。
目が覚めてすぐ、絶対に夢の続きを見るという強固な意志で二度寝したが、それは叶わなかった。
マジの大マジに瞼から綺麗なものがツーと溢れた。
この童貞の涙を小瓶に詰め込んだものは、強力な媚薬として闇市場で高値で取引されているという。

そういう夢を見たので、上野の国立西洋美術館に行ってきた。Vtuberの残り香を感じるために。
そういうキショいノリで訪れた割には、キュビズム展も常設展も大変面白かった。
現代芸術に繋がるまでのキュビズムおよび関連流派の代表作がたっぷり鑑賞できた。
常設展も、西洋絵画の古典から近現代までの各時代の代表作家の絵画を堪能できるつくりになっていた。
かなり知育に良い場所だと思う。実際ガキもたくさんいたし。

最近、良いものを見ると真っ先に「知育にいいな」という感想が浮かぶようになった。
ガキを育てる機運が高まっている。恋人も伴侶もいないけど。

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キュビズム展なので、ジョルジュ・ブラックの作品も展示されていたのだが、彼の作品はごく少量のプロンプトで生成したAI画像に似ていると感じた。特徴の抜き出し方が特にそっくりだ。

AIで画像生成をする人は、そういう画像のことを失敗作として切って捨てる。
こういう抽象的で一見像を結んでいないイメージは、彼らにとってはあくまでプロンプトやAIモデルの試運転で生じる中間製作物だ。
だが、テーマに対する特徴の掴み方は、ジョルジュ・ブラックも画像生成AIも似ている気がする。

例えば「バイオリン」というテーマが与えられた時、他のプロンプトで制御しない限りは、画像生成AIは複数の弦・瓢箪型の輪郭・重層的な渦巻き状の装飾などをバイオリンの特徴として「学習」した経歴があり、それらの特徴に従ってイメージを生成しようとする。
だが、プロンプトが極端に少ない時、生成されるイメージはバイオリンとしての像を結ばず、以上のようなバイオリンの特徴のみを断片的に生成するに留まる。
結果として、AIによるキュビズム的な画像が完成する。

画家は線によってイメージを描くが、AIはノイズによってイメージを生成する。
手段は違えど、どこかに共通点があるのではないか、と考えてしまう。

まあ所詮AIはAIなので、擬人化する意味はないのだが。
キュビズム的なイメージを形作れど、そこにコンセプトを語ることができないのがAIだ。

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というのが日曜日の話。
今日は普通にお仕事なので何もなかった。

昼飯はいつも松屋で、夜はサイゼリアでパスタを食って、喫茶店でこの日記を書いている。
平日は大体そんな感じだ。

明日は書くことがあるだろうか。

勉強用に本を買います。