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暁美ほむらに脳を焼かれてキャラクター心理(text論的内面読解)が主食になりました。👻…

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暁美ほむらに脳を焼かれてキャラクター心理(text論的内面読解)が主食になりました。👻推し ¦ https://odaibako.net/u/kino_n

マガジン

  • オタク的、あるいは哲学的な十篇

    2023年末に何か達成感を得る為の。

最近の記事

「最弱テイマー」あるいは外的物語と内的物語について

いわゆる「なろう系」※作品ではタイトルで話が大体説明されていることがよくある。 ここで扱いたい2024年冬アニメ『最弱テイマーはゴミ拾いの旅を始めました。』も一見その手の作品で、更に言えばすぐ強い魔物と出会って「最弱」でもなくなるんだろうなという程度は簡単に想像される。結果的には『勇者パーティーを追放されたビーストテイマー、最強種の猫耳少女と出会う』(2022秋)など※※と近いノリではないか、と。 だが実際にはそうではないし、更に言えばそうした外面的な筋書きでない部分にこそ魅

    • 「理解する」とはどういうことか 認知心理学的、ピアジェ的な回答

      自分のことを理解するのは難しい。「自分」というものが心身の連続性や体性感覚から構築されている、と私は理解しているがあまりピンと来る説明ではないだろう。自分そのものについて考えるとすぐにループに陥り、方針すらも見失ってしまう。 理解そのものにもまた似た困難がある。「理解」とは何か、どういうことが起きると「理解した」と感じるのか。 一例として「音が高い・低い」という表現がある。これはとても直感的な言い方に見えるが、よく考えると不思議で、何しろ「高い・低い」とは基本目に見える物に

      • ブルーアーカイブの「大人」

        最近推し(椎名唯華)のブルーアーカイブ配信を楽しく見ているが、少々気になるのが「こういう思考/行動が子供」などのコメントが時々見られる点だ。初期ならとにかく最終編を経て尚こういう見解が出るのは少し残念に思われる。 自分もかつて触り始めた当初は「大人と子供」「先生と生徒」の射程を測り兼ねるところではあった。文化的な文脈で言えばブルーアーカイブは学園物の美少女ゲームをはっきり引き継いでおり、プレイヤー層のスライド(加齢)に合わせて主人公をヒロインと同じ生徒ではなく、大人の先生に

        • 自己紹介としての「批評性」批判

          「語る」オタク達を脅かし続ける一つの呪いがある――「批評性」という呪いが。 それは一体どこからやってきたのか? オタク文化を云々する批評家は意外に昔からいるが、やはり最大の伝道師というと東浩紀ではないかと思う。 Twitterも無いような頃のインターネットにおいて氏は最大の嫌われ者となると同時に、また数多の後継者を生み出した。 何か「実のある」語りをしようとしたオタクが社会反映論に終始してしまうのは、その語り口、あるいは文学的アプローチの摸倣に見えてならない。 東はこの直

        「最弱テイマー」あるいは外的物語と内的物語について

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        • オタク的、あるいは哲学的な十篇
          10本

        記事

          日経平均株価の最高値更新を巡るテキスト

          投信を多少持っているので日経平均の数字には関心がある。その日経平均が22日に史上最高値を更新したというニュースを見たが、個人的には国内の株高に前々から不信感があった。 GDPで言えば大して成長していないこの国の株高に意味はあるのか? 「異次元緩和」で大量に貨幣が供給されたことによる数値上の上昇に過ぎないのではないか。(貨幣数量説的な思考) 供給された貨幣が株式市場に流れ込み投資家の資産が額面上増えているだけならば、世間で「実感がない」とされているのも道理ではある。 今回の

          日経平均株価の最高値更新を巡るテキスト

          『メメントモリ』との1ヶ月、または放置ゲームが「正解」なのかどうかについて

          ソーシャルゲームには2つの車輪がある。インゲーム、つまり曲がりなりにもそれを「ゲーム」たらしめているゲーム性における性能。そしてアウトゲーム、ゲーム性の外側で展開されるストーリー上の魅力。この二つがキャラ(または各種アイテム)の価値を生み出し、課金へと導く。 (『原神』のような3DRPGではストーリーもインゲーム上で展開されることが多くなるので、インゲーム・アウトゲームという対比はもしかすると無用かもしれない。) だがここには歪みがある。ゲーム性が「性能」という価値を作り出

          『メメントモリ』との1ヶ月、または放置ゲームが「正解」なのかどうかについて

          問題意識を理解すること

          世の「話が通じない」事案の半分くらいはこの問題意識の共有に原因がある気がしている。 問題意識とはどの程度物事を真剣に受け止めるかの話で、人は誰しもその配分というものがある。例えば世界の貧困を問題意識として100%持っている人がいたとしたら、つまりは自分自身の問題と同義に思っているということで、その人はどうにかそれを解決するように努めるだろう。自分の財産を全て寄付してしまったり、または私的な時間を全て支援活動に捧げたり、とにかく日常生活の全てが占められる事になる。 ほとんどの

          問題意識を理解すること

          『ちいかわ』一気読みの感想②

          感想①では、飢餓編についてちいかわ族の消費とでかつよ族の暴力が鏡合わせなんじゃないかとか、黒い流れ星についてちいかわ世界の努力がいかに祝福されているのかとか、そういう話をした。 しかし島編(またはセイレーン編)において、ちいかわ世界は大きく様相を異にする。 そもそも「島」とは「100倍の報酬」などの甘い言葉で誘われた一種の異境であり、実態は違った訳だが海の彼方の「永遠」の地という点で「常世の国」のような存在である。異境に通常の条理は通用しない。 かつてはセイレーンの歌声と島

          『ちいかわ』一気読みの感想②

          『ちいかわ』一気読みの感想①

          年末年始に風邪を貰ってダウンしていたので、この機会に『ちいかわ』を読んだ。 アニメを多少観たことがあり、その時は「消費社会だ…」という月並みな感想を持った。しかし読み進めるとちいかわ達の生活は実に祝福されており、原始的な採集狩猟(「採取」と「討伐」)の労働、人間関係や競争に苛まれないそれは「こういう風になってくらしたい」という当初の祈りのような言葉に極めて忠実だろう。 だがそのような労働と消費社会の商品には大きなギャップがある。更に言えば、ただ生きる為ならばちいかわ達は働

          『ちいかわ』一気読みの感想①

          世界大戦と思想史

          世界大戦は西洋文明の、あるいは「理性」の自信を失わせたと言われる。WWⅠ(第一次世界大戦)の直後に『西洋の没落』がベストセラーになるなど、確かに思想的影響は大きかったらしい。 ただ思想史で言えば『オリエンタリズム』が1978年に出るように、ポストモダニズム的な西洋の自己批判は世界大戦とやや隔たりがある。戦後にまず出てくるのはサルトルの歴史参加(アンガージュマン)であり、反省よりもむしろ積極的行動を促すものだった。 果たして思想家達はWWⅡをどう受け止めたのか。ナチスドイツ、ス

          世界大戦と思想史

          前に書いたマルクス主義以外にもアドラー心理"学"だとか巫山戯た自称学問はいくつかあって反証可能性とか知らんのかと思うが、科学哲学がむしろそういうのの批判で生まれたというのを知るとやはり学校で教わらない「マルクスの時代」の存在を思い知る

          前に書いたマルクス主義以外にもアドラー心理"学"だとか巫山戯た自称学問はいくつかあって反証可能性とか知らんのかと思うが、科学哲学がむしろそういうのの批判で生まれたというのを知るとやはり学校で教わらない「マルクスの時代」の存在を思い知る

          さくゆい劇場 感想

          推しが「お笑い」をやる! 最高のエンターテイナーと思って推している身からすればこれほど楽しみなことはない。そしてこれを書かない訳にはいかない。 …ファンミ書かなくてこれは書くんかいみたいなところもあるが、あれは単純に満たされ感が凄かった以外にそう言葉が見付からなかったので仕方ない。 入場時はなかなか混雑を甘く見ていて、救済など言われていた入口を余裕で使うことになるとは思わなかった。通常の待機列形成が6時からという時点で何か察するべきだったか。コミケに行くとしても午後からが

          さくゆい劇場 感想

          ボトムアップ・トップダウン

          物事には二つのやり方がある。 AIイラストはそれを浮き彫りにする好例だ。 手描きのイラストは通常、線を描き、色を置き、陰影や様々な効果を盛っていくように、極一部の構成要素を少しずつ形作ることで何が描かれているかが分かってくる。つまり詳細(ディティール)から出発して、徐々に全体へと到達する。最初にレイアウトや配色を考える工程があるにせよ、やはり全体像ではなく線などの基本要素が最初にキャンバスに現れる。 一方でAIイラストはそうではない。「girl」などただの一言でさえ、まず

          ボトムアップ・トップダウン

          他者により勝つこと

          「○○しか勝たん」は2020年付近で流行しかなりの知名度を得たが、世の解説を見るとその理解度は驚くほど低い。 これなど日本語話者が書いているとは思えない。「ちくわしか持ってない」型のいわゆる否定対極表現を知らないのだろうか? これも文法的な分析に終始してニュアンスを把握していない。 「○○しか勝てん」と言うと可能性しか示しておらず、実際の勝利は確約していない。むしろ(○○を推しとして)推しならば辛うじて勝つ、という程度のニュアンスになってしまう。「意図的に勝つことをしない

          他者により勝つこと

          マルクスの迷宮

          思想家としてマルクスほどよく分からない人物はそういない。 まずマルクス主義というものが学問なのか運動なのか謎だし、実はマルクス自身が「私はマルクス主義ではない」と言ったように、「マルクス主義」はマルクス本人の思想とは大きく道を違えている。 とりあえず言えるのは、「マルクス主義的意識」などとふんわり用いられたときの「マルクス主義」は「唯物史観」の簡略版か、酷いときには「文明が発展していくとやがて共産主義社会が到来する」というだけの直線的歴史観を指しているということだ。 (後者

          マルクスの迷宮

          メタフィクション・ゲームと物語実在論

          物語世界は実在する。 この主張が奇抜に過ぎるのならば、まず素粒子と歴史の話から始めよう。 素粒子の、例えばクォークが実在することを疑う人間は少ないのではないだろうか。しかし同時に、自分の行った実験や計算でクォークの実在を確信した、と言い切れる人間も非常に少ないはずだ。つまりその実在とは、普段体験する自然現象から形成された科学への信頼、教育やメディアから形成された科学者の権威に基づき、語られることで我々は信じることができる。 それは歴史上の人物・出来事でも同じことが言える。例

          メタフィクション・ゲームと物語実在論