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わたしが「脳のトリコ」になったきっかけ

もう少しで看護師歴19年になる私は、ちょうど経験の半分を脳神経領域で過ごしていることになる。

初めは脳神経領域は苦手だった。
回復が遅く、介護度は高く、見た目にも非人道的(経鼻胃管や気管切開など)に見えることが多い。脳神経病棟は消毒液と老人臭の混ざった特殊な臭いがする…なんて看護学生の頃は思っていた。
やっぱり、医療者になるなら花形は救命救急。
命は救ってなんぼでしょ?
超急性期、高度救命救急あってこそでしょ?
そう思っていたし、だからこそ救急外来・ICU・救命救急センターと急性期にどっぷりだった。(それは今も同じか)

そこでは流作業のように、救命に明け暮れていた。
来る日も来る日も心肺蘇生。
事故、外傷、心筋梗塞、自殺未遂…完遂。
もちろん、蘇生に成功する奇跡もたくさん見た。
喜びの涙も、悲しみの涙も、孤独な涙もたくさん見た。

私の頭の中の知識や手先の技術が上達する一方で、
「人の生きる意味」がどんどんわからなくなっていった。

機械の力を借りてでも息をしていれば生きている?
心臓が動いていれば生きている?
なんのために?家族が望むから?

確かにそこに居てくれるだけで救われている人もいる。
「サヨナラするまで一緒に過ごす最後の時間」を作ってくれている場合もある。相手の生きる意味なんて、一端の看護師が語ること自体が
烏滸がましい、余計なお世話だ。


私にとっての「生きる意味」は
「何かを残すこと、相手の記憶に残ること」。
それは、
自分を自分と認識できること。
そしてどんな形であっても自分の「意志」を伝えられること。

…そうだ、それらを担う一番大事な臓器は「脳」だ。

救命センターで花形と思っていた臓器は心臓、消化器。
一番重症度の低い臓器と思っていた脳は蔑ろにされていたように思う。
(看護師がいじれることが少ない&難解という意味でもある)

そこから脳神経領域にのめり込んだ。
私が「回復が遅い」と切り離していたのは人生のほんの一部、
たった2週間だけをみていただけだったが、
脳神経の奇跡はもっともっと後に訪れるものだった。


脳科学の面白さ、日常生活での活かし方、医療的な見解はもちろん、
私が出会った脳神経の奇跡(脳疾患患者の回復過程)も少しずつ記録していけたらいいなと思う。

脳は、宇宙だ。


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