「人はみんな違う」と「期待」
私はこれまで「人はみんな違う」という前提を持つことを是としてきた。
それは今も変わらないけど、「違うからこそ理解できるまでがんばろう」というスタンスを捨てきれていないことに気づいた。理解できたらラッキーだし、共感までできたらベストだけど、理解できなくても受け容れるスタンスを持ちたい。
とはいえ、理解も共感もできるに越したことはない。たとえば、「歌」って概念を知らなくて理解できなかったら、「この人たち喋り方異様すぎる超こわい」と感じるはず。歌を知らない人が多数派なら差別が生じる。
だから、理解も共感も追求し続ける。
諦めるのは、過剰に期待することだ。
「期待する」とはどういうことか。
期待とは、他者が生む結果を、自分の行動の動機として位置づけることである。
自分という存在の中に他者を内在させるということである。
自分の意思で自分の在り方や向かうところを規定しないことを意味する。
行き過ぎると、「他の誰でもない私」が失われることだろう。
それを良いか悪いか判断するのは各自だが、過度に期待するというのは、そういうことだと思う。
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翌日にこの記事を微修正をして、確信度を高めつつも、どこか落ち込んでしまう自分がいる。
「期待して、期待通りに返ってくるのが、本当は理想なんじゃない?」
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