詐欺師や配信者たぬかなに学ぶ人心掌握術

 時代は進み、様々な事象が解明されてきた。人間の心というものも例外ではない。心理学という観点から人の行動、好意などのメカニズムがデータという形で様々なものに活かされている。
 
 しかし、それらをイチから学ぶというのは私の様に学もなく手っ取り早く情報の本質に迫りたいという人間からすると情報が膨大過ぎて些かばかり及び腰になってしまう。
 そういったときに真っ先に頼りたくなるのが「人から好かれる人心掌握術」といった様な知性の欠片もなく好意を抱くに値しないタイトルを冠したビジネス書の類だ。しかしそんなものが数千円で買える時点でなんだかその中身の価値も察せられて結局手が出ない。そんな本を買って読むくらいならちょっといいランチを食べたほうがよっぽど有意義だ。
 コストパフォーマンスとしては最悪である。

 それよりも手っ取り早く人心掌握している人間たちからその手法を真似たほうが早いのではないだろうか。もしそれが可能であるならば商業目的で書かれたビジネス書よりも身になるだろう。


 例えば詐欺師、彼らは日々自己研鑽に勤しみ効率よく人から金銭をだまし取ることに専念している。彼らが彼らなりにトライ&エラーを繰り返し、実質的に身のあるノウハウを作り上げた結果がこの世界に蔓延している詐欺被害だ。倫理というものを度外視して見るとこんなにも成功例を上げているサンプル(それでいてその手法が明かされているもの)というものは貴重だ。
 次にネット配信者。こちらも一見すると楽をして稼いでいると一部の人間からは嘲笑われる対象となっていたりもするがそれでも嘲笑っている人間より稼いでいる人気配信者は少なくない。それは間違いなく成功者と呼んで差し支えないだろう。
 彼らは配信という娯楽のコンテンツの中で人からの人気をそのまま金銭という形に変換している。それらも人気になるには人気になるだけの理由が存在する。
 
 そういった対象をつぶさに観察していると繁栄している理由というの見えてくる。
 
 人心掌握術としてまずなにより大切なのはブランディングである。自分自身を一貫したキャラクターにはめ込み、相手の求める姿になりきるということだ。

 例えば詐欺師、マルチ商法に関して見てみるとまずブランド物に身を包み自信満々な様を常に出している。相手がどれだけ猜疑心を持っていても「じゃあ別にやらなくていいよ」という様な堂々とした立ち振舞をしている人間が一番業績を伸ばしている。ハキハキと明るく、人に囲まれていて楽しそう。そういった明るいポジティブで多くの人(多方面)の理想に近い姿を作り上げている。
 お金がほしい。遊んで暮らしたい。人に囲まれて楽しい時間を過ごしたい。人から羨望の眼差しで見られたい。そういった多方面からの欲求に答えられる形で身を固める事により自身をブランディングしているのだ。
 また、そういった詐欺に遭いやすい人間の特徴として「頭が悪い」というコンプレックスを抱えている事が多い。それに対しても「バカと天才は紙一重。変に考えて行動を起こさないちょっと頭がいい人間よりバカで先の事を考えずに行動する人の方が成功する」という論説でバカを肯定する。行動を起こすという事で自分は成功した。というモデルになりきることでそのブランディングを広告につなげている。
 もっとも、先のことを考えず素早く行動に移したバカは早々に声の届かないところまで行っていることのほうが多いのでなんだかその論説には大きな落とし穴があるように思えてならないが、落とし穴の暗闇があるからこそこういう人たちは輝くのかもしれない
 
 次に配信者だ。こちらに関しては身長170センチ以下の男性の人権についての発言で有名な元女性プロゲーマーのたぬかなさんを例に上げていく。
 炎上事件の後、それを機に配信を見るようになった人達も多く「人が言いたくても言えないことを言ってくれる存在」としての需要から「厳しい言葉を言いつつ弱者に寄り添う存在」そしてなにより「美人でありながらそれをひけらかさず、サバサバとしていて話も面白い」という多方面からの需要に答えるというキャラクターが立っている。
 女性配信者の多くがゲームなどのメインコンテンツと別に男性視聴者の性的な欲求を刺激する内容であったり女性視聴者の悩みやメイク、ファッション関係というのが多い様に思う。
 そのなかで彼女は”喋り”というものに特化していながら飛び交う下ネタやギリギリの話で性的な欲求を刺激しつつ話題によっては男性から女性へのプレゼントについての相談、コスメの紹介。果てには投資に至るまで話題のカバー範囲が広い。彼女の引き出しの多さには脱帽するばかりである。
 彼女もまた多方面に対しての需要に応えており、キャラクターとしても綺麗にハマっている。
 
 
 次の要素として共感・共有からくる一体感だ。
 人は、なんだかんだ自分の話を聞いてほしい生き物だ。その上で共感して貰えるとその相手に対して心を開きやすい。

 マルチ詐欺などはその勧誘の場に現れる人間は現在自分の置かれている状況に少なからずフラストレーションを抱えている事が多い。というかそもそも多少なりとも人は自分の置かれている状況に対して不満を抱えている。
 それに対し、詐欺師達は「わかるよ」という共感の姿勢から入る。経済的なそれや人間関係、自分も昔はそうだったという感情の共有。その悩みから脱却するために一緒に頑張ろうという姿勢。そして周りの何も行動を起こさない人間というものを共通の敵として団結する。
 そしてそういった勧誘の最後には幹部の暮らすタワマンなどの一室へと案内される事が多い。そこでもまた自分が(勧誘者も含めた)今後手にする事ができるであろう希望を共有する。それに至るまでに必要な努力、不安も併せて共有することで一体感がうまれる。
 また、そのコミュニティ内の人間で「どうせ詐欺だよ」と一蹴する人間たちに対して「いつか見返してやる」と団結し、そういった人々を共通の敵とすることでその団結は一層強固なものとなる。

 
 また、たぬかなも視聴者に対して自身の学生時代やプロゲーマー時代の失敗や黒歴史、そして「チヤホヤされたかった」というような人間味のある発言を多く出すことで視聴者側からの共感が産まれやすいという土台がある。
 その上で配信内での視聴者の悩みなどのコメントに対してある場合に於いては共感し、おおよそ共感の出来ないような内容であってもネタとして取り上げつつ諭したりと寄り添う姿勢が多々見られる。
 また、コメントというシステムは配信という特異な環境が大きく影響しているが有名な人に自分の書いたコメントを読んでもらえた、という体験は視聴者側の自己肯定感の向上につながる。それも継続した人気につながる要因の一つだ。それと同時に一緒になって配信の場を盛り上げているという一体感はその場の笑いに貢献したという気になることができる。
 そして、彼女の配信で取り扱われる時事ネタに対して炎上や誤解を恐れない皮肉の効いたギリギリの表現で視聴者の思っていることを代弁することでその一体感は増していく。
 
 そして安心感。これが最後にトドメとなる要素だ。

 マルチ詐欺も配信もどちらも同じ様な要素を持ち合わせた人間たちが集まるコンテンツである。そういう状況下に於いてエコーチェンバー現象のような狭いコミュニティの中で特有の思想が増幅されそれがあたかも社会通念上の常識であるかのように感じられるようになる。それは確証バイアスの様にそのコミュニティ内での常識が自身の歪んだ考えを肯定することに繋がっていき自分とその属するコミュニティが正しいものだと感じる。
 
 また、マルチ詐欺などでは講演の際に「難しことはすべてコチラでやっておきます」「現役の警察官もやっています」など聞いている側を安心させる様な情報を撒き散らす。
 警察であったとしても暗号通貨、株や不動産投資などであれば副業をすることが可能である。そういった公務員であり法の番人である警察官がやっていると聞けば「信頼できる」と思ってしまう人が産まれてくるだろう。
 聞いた話を鵜呑みにしてしまうタイプの人間からしてみればそれは安全性という要素を固めるエビデンスとして十分すぎる。
 また、マルチ詐欺の現場において講演会にそれなりの人数が集められる。その集客数もまた「自分ひとりが囲まれてカモにされているわけではない」という安心感に繋がる。
 それと併せて講演会の際にちょっとしたゲームやクイズ大会の様なものを行い緊張感を和らげたりという手法も用いられる。そういったキャッチーな気軽さの様なものも印象として好印象をもたらす。
 
 次にたぬかなだが、彼女もまた自分自身について赤裸々に語り「裏がない」様に見える。配信者という裏側が一般人に届きにくい昨今、インフルエンサーの芸能人化のような現象が起きている中、配信に至る経緯などを公表しているため比較的クリアに見えるという点で「自分が一方的に搾取されているわけではない」という印象を抱く。対等な(あるいはそれに近い)距離感というものは親近感を抱き、そのコミュニティ内での安心に繋がる。
 また、彼女は件の炎上発言の後、配信に訪れるリスナーを「ホビット」と呼び自身を「ホビット村の村長」と称している。これは傍目に見ると差別発言から開き直っているように感じ嫌悪感を抱く人もいるだろうが映画フルメタル・ジャケット内での有名なハートマン軍曹の「俺はキビしいが公平だ。人種差別は許さん。黒豚 ユダ豚 イタ豚を俺は見下さん。すべて平等に価値がない」という名言を彷彿とさせるある種の優しさが垣間見える。
 配信内では身長、学歴、職業など問わず基本的にホビットとして扱われる。それによりリスナーたちは配信内ではホビットを演じる事によりその村の中で平等な地位を得ることができる。

 実社会や家庭などでどれだけ居場所を失われ、劣等感を抱いていようとそれらとは関係なく自分というものの本質的な部分で平等に扱われる。それは間違いなく安心感に繋がる。
 人はどうあがいても孤独と戦い続ける宿命の下に生きている。だからこそ人とのつながりを求める。しかしそれが必ずしもうまくいくとは限らない。そんな中、配信という場に足を踏み入れるだけで気軽に居場所を得ることができるというのは大きい。
 そして彼女の配信の中の一見すると差別発言に見えるが、その言葉たちは残酷でありどこまでも温かい。その残酷さによって産まれる温かみというものは嘘偽りのない本音であるというパッケージに包まれ、聴く人の心に深く刺さる。
 言葉としては下品で俗っぽく感じられるキャッチーさとその向こうにある情というものが彼女の配信に傾倒する人々を産む要因の大きなところを占めるのでは無いだろうか。
 

 ここまで読まれた方の大半は「結局好かれる要素というのは分かりきったものばかりではないか」と思われることだろう。そんなもんである。
 人心掌握術なんかを書かれているビジネス書なんかもこれにそれらしい専門用語を交えたり偉人の名言なんかを引用してありがたい言葉かの様に見せているだけで書かれている事は当たり前のことの羅列に過ぎない。
 そういったコンテンツに縋る人間は恐らく自身の人間関係に何らかのフラストレーションを抱えている人だろう。そういった人間はインプットを求めている様でその実、その本から自分の肯定的な共通点を見い出そうとしているに過ぎないことが多い。
 本当のところ、自分の抱える問題点に気づいているのだ。しかしそれを認めることは自分を否定することに繋がってしまうために本の中から自分に実践できている要素を見つけて安心するために本を買っている。問題を解決するヒントは様々なところに散りばめられているにも関わらずそれらから目を逸らし、自分と成功者との共通点を探す。そして千数百円の自己啓発本やビジネス書を買い自己投資した気になる。
 人に好かれない事を憂いてそんなものにしがみつくよりもまずは自分自身の問題と向き合う事が大切だ。そして好かれようとする前にまずは多数の人間から嫌われる要素を無くす事に尽力するべきだろう。
 そういう手っ取り早さを求めているからこそ、今の現実があるのではないだろうか。
 そして大前提として前述した二つの例は対象者からの注目、興味を持たれているという大きな差がある。おそらく自分を変えたいと思い、その方法を本なりに求めているタイプの人間はその時点で上記二例と大きく異なり、誰の目にもつかない日陰者か嫌われ者かのどちらかでは無いだろうか。
 そういった人間にはそうなるに至る原因がある。要領のいい人間は自身のブランディングが上手いという特徴や元来の性格の良さのようなものがあったりする。それらを後天的に手に入れることもできなくは無いが、それを他者から教えてもらわなければできない様な人間にはそういったある種のコツのようなものを掴むのは難しい。
 そして何より学んだことを継続するというのはそれよりももっと難しい。身銭を切ってそんな本を買うお年頃の人間にはおおよそ無理だと言っていいかもしれない。
 もし、無理やり継続して暮らしていてもそれは次第に強迫観念の様にのしかかりストレスへと変わっていく。
 ストレスを軽減しようとして起こす行動がまた新しいストレスを産む。その無限に近い輪廻をひたすらに進む事になる。皮肉なものだ。
 進むことが人生というならばそれを進むも人生。各々が勝手にすればいいのだ。きっと誰がなんと言おうと人間とは勝手にやるものである。
 
 
 ちなみに私はそういうものを手っ取り早く諦めた。それもまた、生き方の一つである。

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