同窓会詐欺のその後 終わりが無いのが終わり。さながらゴールド・エクスペリエンス・レクイエム


 

 金曜日の夕方、仕事で憤死寸前の出来事があったので冷蔵庫に常備菜は残っていたがストレス発散にラーメンを食べに行くことにした。

 向かうは行きつけの横浜家系ラーメン。夜営業の開店時間目掛けて帰宅ラッシュの嵐の中、車を走らせる。
 開店と同時に入店。いつも通り全のせラーメンにチャーシュー丼、小ライスの炭水化物よくばりセットを注文する。チャーシュー丼をおかずにライスを食べてそれをラーメンで流し込む。理想的な三角食べである。
 高濃度・高純度の糖と脂によりβエンドルフィンが分泌されて幸福感が脳に突き刺さる。それからは一瞬だ。
 
 気がつくとスープの中にはチャーシューとほうれん草の破片がちらほら沈んでいるだけであった。名残惜しさを感じながらそれらをレンゲですくい上げて啜り上げる。
 店の邪魔にならぬ様、早々に出ると車に乗り込みタバコに火を付けた。脂ギトギトのラーメンを食べたあとのタバコの旨さたるや、生きていてよかったと思う瞬間の一つだ。
 緩やかな自殺と呼ばれる喫煙により生きていてよかったと思えるのはなんだか我ながら滑稽に思う。こういう矛盾や無駄が人生の幸福を際立たせるのかもしれない。
 
 多幸感を感じながら帰路につくとポケットの中でスマートフォンが振動した。帰宅し、コーヒーを淹れながら確認すると少し私が同窓会詐欺に遭いかけた際の首謀者であるヒロシくんに14万を貸したという雄一からであった。
「あんにゃろうバックレやがった  あるいは携帯止まったか」
 
 
そのメッセージと共にヒロシくんとのやり取りのスクリーンショットが添えられていた。先月分の返済が少し遅れたものであろうやり取りから始まり、雄一からの振込がされていない事に対しての催促のメッセージと発信履歴。3日に分けられたその確認のメッセージには既読がついていなかった。
 雄一は現在他県に住んでいることもあり、ヒロシくんの住所は知っているものの安否の確認に出向く事ができない。
 友人想いな私はヒロシくんの安否確認を買って出ることにした。間違ってもこれは野次馬精神などではない。もしそういった邪推をされていたらその邪な心を恥じてほしい。
 
 お気に入りのリサイクルショップで買った三つボタンのジャーナルスタンダードのコットンジャケットにブラックジーンズ。それにパイソン柄のシャツを合わせてイエローレンズのメガネを掛ける。

 サラ金取り立てコーデの完成である。

 大方、なんだか返済に疲れて連絡を絶っているだけだろう。と思い、ちょっと圧を掛けながらお茶して話でも聞いてやろかぁ。というテンションで家を出た。
 日が完全に落ち、昼時にぱらついた雨のせいで町は陰気な湿気に包まれていた。窓を開けて走っていると肌がじんわりと濡れていく様な気がする。どこか不吉で陰鬱とした空気が漂っていたが、それはどこかレイトショーを見たあとの映画館の駐車場を思わせるような感傷的な雰囲気を帯びており嫌な気はしない。
 
 ナビに案内された集合住宅は二階建てで同様の作りの建屋がすぐ横に立っている。煤けたアパート名と薄いピンクの外壁が街灯に照らされて物悲しい。
 定年退職手前のような光を放つ蛍光灯に照らされた通路を進み、目的の一番奥の部屋まで進む。部屋の換気扇からはカチャカチャという調理器具の音と酒と醤油とみりんをかけあわせて作られる何かの香りが漂ってくる。「誰かは居る」という期待に胸を膨らませながらドアフォンを鳴らした。
 
 ピンポーンという無機質な音がなったあとにレンズの下に赤いLEDが灯る。沈黙が降りてきた。

 数秒おいてから「はい」と女性の声が聞こえてきた。
 
 「わたくし、ヒロシくんの小・中学生時代の同級生の〇〇と申します。ヒロシくんはご在宅でしょうか?」
 
 前職の営業時代に培った爽やかスマイルで名乗る。
 
 再び沈黙が降りてくる。
 
 「ヒロシは居ません」
 
 少し震える声で冷たく返ってきた。
 
 負けじと「少し前から連絡が取れないようだったので心配になって伺ったんですが突然お邪魔してすみません。お戻りになられる時間とかってご存知じゃないでしょうか?」と聞くと「また連絡します」と斜め上の答えが返ってくる。
 困った。
 
 「ヒロシがご迷惑をおかけした関係でしょうか?」
 
 相手方が変わらず震える声で聞いてきたので「直接ではありませんが、少し色々ありまして・・・」と答えつつ「どうにも彼と連絡が取れないんですが携帯の故障なんかで連絡が取れなかったりするんでしょうか?」と聞いてみる。

「なくなりました」
 
「えっと、それはスマートフォンを紛失されたとか・・・そういうことですか?」
 
「いえ、ヒロシは亡くなりました
 
 突然の展開にどう答えていいか分からなくなる。亡くなった?その表現が「死んだ」ということに繋がるまでに時間が掛かった。
 
 それから二・三言やりとりして「後日連絡をします」ということで私の電話番号を伝えて家を後にした。車に戻りがてら雄一に電話をして事情を説明する。
「まぁじかぁ」と何度も言いながら、乾いた笑いを漏らした。何気ない金曜日に突然訪れた訃報に感情が追いついてきていないのが伝わってくる。彼は彼で母親のツテを頼って情報を集めてみると言う。
 車に戻りながらふと自分のサラ金取り立てコーデを思い出し、意図せず圧を掛けてしまっていた事に気づき行き場の無い申し訳なさを感じた。とはいえこういう服は私の普段の私服である為、他の服をチョイスしたところで結果は同じことであろう。
 私はどうすればよかったのだろう。
 
 帰りの車ではカーステレオに入れっぱなしだったビートルズの青盤のレット・イット・ビーが流れだした。人生には往々にしてこういう妙な偶然が訪れる。そして一部の人はそれを運命、あるいはめぐり合わせと呼ぶ。
 それは苦境の暗闇の中に立ち、あるがままに生きていた結果その人生の終わりを迎えたヒロシくんに対しての鎮魂歌の様にも思えた。ポール・マッカートニーの感極まったヴォーカル、ジョージのギターソロ。それはまるで馬鹿げたドラマのワンシーンのようだったが涙は出なかった。

 帰宅し、彼の名前と町名、事故というワードで検索をしてみたところ、一番上に町の広報のサイトで彼が他の模範となる児童の表彰式で表彰されている記事が上がっていた。時代を感じる画素の荒い写真であったが最前列向かって左から二番目に内股気味に居心地悪そうに彼が座っていた。私の記憶に残る彼の姿のままであった。

 もうこの表彰から20年近く経っている。他に表彰されている人たちの名前は懐かしいものばかりである。
 20年あれば生活は大きく変わる。結婚して一戸建てを買ったという人もいれば外車を乗り回している人もいる。海外で仕事をしている人も居れば退廃的な6畳間でカティーサークをストレートで飲みながら膝の裏に出来た湿疹にムヒを塗り込んでいる私も居る。
 継続した時間の中を生きていると変化というものになかなか気付かないがふとした瞬間にそれに気付かされる。

 今回、実質的に私の生活に変化が訪れたかというとそういう訳では無い。人が一人(恐らく)この世から消えてもなおその事象が与える影響というものはあまりにも小さい。そもそも私と彼の関係性の希薄さが一番の要因であると思うがそれでも小学生の頃を思い出すとそれなりに想うこともないことはない。しかしそれもせいぜい人生というものの価値の薄さを一層強く感じたくらいである。 

 
 当事者不在により突然終わりを迎えたこの一件、不在が故に終わりが無いことが終わりというゴールド・エクスペリエンス・レクイエム状態である。
 結局、雄一が貸した14万はまだ8万近く未返済のままであるという。8万といえばそれなりに大金だ。
 おそらく雄一以外からもつまんでいたのだろう。総額はいくらになるのだろう。そして残された人間はどういう気持でそれらを処理するのだろうか。相続放棄するにしても気持ちとしては心地よいものではないだろう。
 私の世界においてはこの一件はあっけなく終わったが当事者達は未だその渦中の中にある。
 そして遺族の心中にはこのネガティブな記憶は残り続けるだろう。死んでしまえばそれで終わりだが残された人間には残り続ける。
 どれだけ希死念慮に囚われたとしても今私が生きているのはそういった(数少ない)残された人間に与える影響という要素が大きいような気がする。
 
 帰宅後、カティーサークをついつい飲みすぎてフラフラしながら歯を磨いて布団に潜り込んだ。
 
 翌朝、顔が凄まじくむくんでいるであろうということを感じながら顔を洗い濃いコーヒーを淹れてポロショコラと共に頂いた。食後、タバコに火を付けて朝一番の紫炎を深く吸い込む。
 飲みすぎた翌朝のタバコもまた、生きていてよかったと思える旨さだ。そういう小確幸を感じられるうちは生きていられそうだ。
 
 土曜日の昼、早々にヒロシくんの遺族から連絡があった。弟を名乗る彼の声はあまりにもヒロシくんに似すぎており、なんだかいろんな思いが湧いてくる。
 彼の口からは「相続出来ない兼ね合いで返済は出来ないということ」「母はショックが大きいため連絡の窓口は自分にしてほしい」ということであった。私は当事者ではない為、雄一の連絡先を伝えると電話を切った。
 
 彼によるとヒロシくん最後は事故であったらしい。しかし県警の事故死者情報と噛み合わなかった。ここまでくると真偽の程も怪しいし弟になりすましてバックレているのはないか、という気にもなってくる。少なくとも彼は今までにそれだけの事をしてきたのだ。
 別にそれに対して私がヒロシくんに対して憤りやそれに近しい感情を抱いているわけではない。ただフラットに彼の今までの行動や言動からの純粋な評価だ。
 
 気が向いたり、それらしい続報が入ったら追って見るかもしれない。しかしひとまずはここで打ち切りである。
 
 そう思っていたらその日の内に雄一から続報が入った。ヒロシくんが亡くなったとされる時期に同町内で駅のホームから人が飛び降りたという人身事故が発生していたのだという。
 調べてみるとそれは土曜日の夜の出来事であった。一人の男性がホームから時速100キロ近いスピードで通過する電車に飛び込んだ。
 その電車に乗っていたという人間のSNSの投稿によると「床下からすごい音がしていた」ということであった。
 その駅は無人駅で周囲にはシャッターの降りた小さなスーパーと接骨院、小学校なんかもあるが踏切を超えた先には広い田んぼとと一級河川が広がっているだけの降りる人も乗る人もあまり居ない吹きさらしの小さな駅だ。
 この駅ではここ数年で5件もの人身事故が発生している。利用する人間の少なさを鑑みるとあまりにも多すぎる。スピリチュアルドリーマーならばきっと「悪い気が満ちている」とか言い出しそうだ。
 また、その事故はどれも寒い時期に起きていた。そういった要素もなにか関係しているのだろうか。冬は日照時間だったり春は環境の変化などからメンタルの不調に陥ったりしやすいのだろうか。結論に対してその要因をこじつけるのはあまりにも簡単すぎて何が真因となっているのか分からない。
 
 
 結局、色々と調べてみたがその人身事故で亡くなった人間の身元は分からず仕舞いであった。結局それがヒロシくんであるという確証は得られないままである。
 電車の人身事故による賠償金は凄まじい金額に膨れがあると昔聞いたことがあるが調べてみたところ被害によるものの数十万から数百万という金額が多いようだ。そう思うと今回の人身事故で亡くなった人の遺族がヒロシくんの関係者であれ、そうでないにしろ分割で支払えば人生が本格的に立ち行かなくなるという事はなさそうである。
 とはいえ、やはり安いものではないし気持ちとしても穏やかなものではないだろう。遺族は家族が亡くなっただけでなく、その責任を負い続けなければいけない。そこには恐らく何の救いも存在しない。

 
 この一件は真実がなんであれここで終わりだ。それでも私の中では彼は駅のホームから飛んだ、という事にしておく。それがなんだか一番いい気がした。
 
 結局、終わったようで実際何も終わっておらず周りの人間が生き続けている限り続く。終わりがないのが終わりという事は変わらない。
 
 あるがままになさい。今日もポールは変わらず感極まったヴォーカルを私のカーステレオから響かせている。




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