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あえて「身銭を切る」ことで見えるもの

働いているとお給料以外にもその業界ならではの「特権」「美味しいこと」を得られることがある。航空会社の人は安くチケットが手配できると聞くし、メーカー勤務だと社割で商品が買えるとか新製品がいち早く手に入ったりするのだろう。アルバイトだって例外ではない。大学時代働いていた飲食店で出してもらった「賄い飯」は、貧乏学生の自分にとって大変ありがたいものだった。

でも「身銭を切らないとわからない」ことがある。賄い飯だから、お米が多少硬かろうが唐揚げの味がしょっぱかろうが「アリ」としてしまう。じゃあ自分がお金を払うならこの味で「また来よう」と思うか、というと話は別。残念ながら私がバイトしていたお店は今はもう無い。

最近も、そんなことをふと思い返す機会があった。

昨年、私は「岡村ちゃん(岡村靖幸)」というアーティストに突然ハマってしまい、人生で初めて地方公演まで周るというツアー追っかけをしてしまった。岡村ちゃんは現在メジャーレーベルに所属しておらず、かつK-POPにも無関係なお方なのでどうやっても自力でツテを見つけられず(探したたこと自体がズルい)、各種プレイガイドの先行に応募し「良席が来ますように!」と祈るしかなかった。結局2階席で落胆したり、別日で神席が当たったという友人の知らせに狂喜乱舞するなどそれはまあ見事に「ヲタ化」していった。ライブ会場の物販でTシャツを買うなんてのも、おそらく高校時代のBRAHMAN以来である。列に並びながら見知らぬベイベ(岡村ちゃんファン)のお姉さんに話しかけられたり、隣の席のベイベ親子とちょっとした会話を交わしたのも楽しかった。一方でカード明細に多額の遠征代が印字されているのを見て「ライブってチケット代だけじゃないんだよな」と冷静になる瞬間もあった。**誰かのファンになる、ということは超絶幸せなことと引き換えにそれはもう必死で大変なのである。 **

だからこそ、運営側に対して恐ろしくシビアな視点も生まれてくる。ふと、自分の仕事や属している業界に目を戻すと「ファンに甘えてるよなあ」「ファン心理を読み間違えてないか?(アップデートできていないのでは?)」と反省したこともしばしばだ。

職業柄、私はライブやイベントにご招待してもらえる機会も多かった。取材や仕事とはいえチケットを用意してもらって並ばずに関係者受付から入り、比較的見やすい関係者席に座る。そんなことがデフォルトになる中ですっかり「お客さん」「ファン」の目線や気持ちからだんだん遠ざかっていたんだなあと知った。まるでキッチンの裏で賄い飯を食べていたバイト時代のように。

それからというもの、私は気になるライブやイベントにはどんどん「身銭を切って」見にいくことに切り替えた。映像コンテンツにも課金してみる。そうすると周りのファンの声がダイレクトに聞こえてくるし、払ったからこそ正直に「響いた部分」「イマイチだった部分」も見えてくる。さらに自分の仕事に立ち返った時「それってお金払って見たいと思う?」「ファンの期待を上回れる?」という問いを自分や仲間に投げかけることを忘れないでいられる。

時には享受していた「特権」や「サービス提供側としての意識」を手放し、身銭を切ってお客さんになってみること。きっとどの業界、どんな職種の人にでも必要な機会なんじゃないかと思う。


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