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結婚と子供について

現在、結婚願望はない。私はたまたま異性愛者で彼氏もいるけど、彼氏も私も結婚したいとは考えていない。

理由は、私たちにとって結婚が具体的なイメージを伴って浮かび上がってこないからだ。よく分からないものに対して、したいという気にはならない。これは私たちが幼いということなのか。

少しずつ同級生が結婚をしだして、なかには子供がいる人もいる。本当にすごいなと思う。私は子供が好きだけど、欲しいとは思わない。親としての責任に自分が耐えられないと思うからだ。子供は、親の価値観のなかで育てられる。何も知らない子供が私の影響を一身に浴びると思うとそんな大層な役割、私には負えない、恐ろしいと考えてしまう。

私は子供時代ずっと親の顔色を窺っていて、ちょっとでも叱られたり注意されたりすると絶望的な気持ちになったし、親が不機嫌なときは心底怯えていた(普段は普通に仲がいい家族)。虐待児が親になったときにその連鎖を起こしてしまうのと同じように、自分も自分の子供に同じ思いをさせてしまうのではないかと怖いのだ。だから子供を持とうとは考えていない。

こんな話をすると「そんなに考えているならかえって親に向いていると思うよ」とよく言われる。けれど怖いものは怖い。もう少し歳を重ねたらこれは変わるのだろうか。

結婚の話に戻る。
好きな人と結ばれたい、という願望は昔からもっていたけれど、それは結婚したいとは違う気持ちだった。それに気づいたのは高校生のときだったかな。私は別に子供は欲しくないから、あまり結婚することにメリットが感じられない。どちらかが姓を変えなくてはいけないというのも面倒だ。

色んな人と話していて、世間一般的には恋愛・交際の先に結婚があるのが常識というか、定石なんだろうなと思う。「結婚したくないならなんで付き合ってるの」と言われたことがある。余計なお世話だよ、とうんざりした。交際してる男女は、その交際期間が一定を過ぎると結婚しないとその意味を認められないのか。好きだから一緒にいる、ただ結婚してないだけ、はだめなのか。

結婚を否定するわけじゃないけど、結婚をしたからといって、相手からの自分への愛が保証されるわけではないと思う。裏切る人は結婚しててもしなくても裏切る。だから、結婚が夢!とか目標!とか結婚素敵!にはなりきれない。でも、もちろん友達が結婚したら全力でお祝いする。友達が望んでしたことなら喜ばしいことだ。

ボーヴォワールは「結婚して家父長制のもと女が男に従属すると、女の魔力はなくなり、妻は男にとって性的対象じゃなくなる。結婚は男が女を他の男から守るものだ」みたいなことを言っていた。あまりにボーヴォワールが難解で私が読み違えているのかもしれないし、この70年前に書かれたことは現代とは少し違うかもしれない。でも、当たらずとも遠からずなんじゃないかな。

明日の文献講読のために読んだボーヴォワールの話を無理矢理入れたら、何を言いたいのか分からなくなってしまった。

とにかく、 私は結婚にも子供を持つ(持つって言葉なんか嫌だな、授かる?もなんか違う)ことにも夢は抱いていない。既に書いたように、歳を重ねて周りがどんどん結婚して世帯を持っていったら、私もつられて欲しいとか思っちゃったりするのかな。あとは親を安心させるために、世間体のために...と結婚する未来もありそう。まぁ、その時に相手がいればだけど。

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