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旅行

高校生の頃、寮のルームメイトだった友達と一緒に南仏をぶらっと電車で3泊か4泊ぐらいで巡る旅行へ行ったことがある。のんびりと空い青に雲い白、翠とコバルトブルーのちょうど中間のような色の海を眺めながら、ホテルだけ決まっているがそれ以外は行き当たりばったりのぶらぶらダラダラした旅だ。テキトーにカフェやCD屋や土産屋、ビストロに入ってただ雰囲気を楽しむ感じが良すぎて、あれで旅行から得られる幸せは一生分得てしまったんじゃないか、と急に思い出して感傷に浸ってしまった。慢性的に眠いと、急に走馬灯的なものが頭の中に出てきてびっくりしたりする。

具体的にどこに行って何をしてあれが一番良かったとかはおぼろげにしか覚えていない。ホテルの屋上にあるテラス席みたいなところで、夜風を浴びてプラスチックの椅子に座っていた。ポータブルCDプレーヤーに小さなスピーカーをつなげてビートルズとかフィッシュマンズとか、グレイプバインとか聴いていた。よくわからないお酒を飲んだりしてしゃべったり、話題に尽きたら黙って景色を見たりした。当時の僕はただカッコつけたくてタバコも吸っていたと思う。ゴロワーズとか、マルボロとか、「吸っていた」と言ってみたいだけのたばこ。一緒に行った友達は、多分吸っていなかった。でも、もうよく覚えていない。友達は黙っていても横顔がとてもカッコよくて、軽薄な自分にはそれがとても眩しくて羨ましかった。

今からもう一回南仏に行きたいかと言われれば、正直あまり行きたくない。今はスマホがあって便利すぎるし、自分で稼ぐようになって以来、コスパとかタイパとかすぐ考えてしまう40過ぎは、あのダラダラ感を心から楽しめなくなっている。一緒に行く友達ももういないし、今から作るのもとても億劫だ。まあそんな金も余裕も無いっていう現実もあり、海外旅行はもしかしたら一生しないかもしれない。まあ誰かから金もらって自分はただついて行くだけなら、行くかもしれないけど。

昔住んでいた国へ戻って、懐かしい友達や景色や食べ物に触れたい気持ちはある。でもどこか億劫だ。年齢を重ねると会いたい人が増える。行ってみたい店が増える。次行った時に行こう、もう一回行こうと思う店も増える。若い時に旅行に行ったほうがいいのは、バケットリストが少ないからなんだろうな。

でも病気もなく体力もまだあって、友達も生きていて、脂っこいものやお酒が美味しいと思える体と脳みそが備わっている今のうちに、行き先と目的を一つだけ決めてそれだけの旅に行った方がいいんだろう。欲張らず、コスパ考えず、ゴールを一つだけ決めて後は行き当たりばったりの旅へ。たった一つのゴールも目標も決められない人生を生きているくせに。

そうだ私はアルゼンチンに行きたかった。イグアスの滝を見て、アルゼンチンのオネエチャンとスペイン語で会話するのだ。そうだ私はギリシャのミコノス島へ行きたかった。ギリシャ人のオネエチャンにギリシャ語で話しかけて英語で返されてちょっとガッカリしたいのだ。そうだ私はソコトラ島に行きたかった。バオバブの木がそびえ立つ荒野を夕焼けが照らす様を、ただずーっと見ていたいのだ。ソコトラ島のオネエチャン…がもしいたら優しくこんにちはとさようならを言うのだ。

スペイン語とギリシャ語とアラビア語を学ぼう。お金も貯めよう。貯めたお金はどうせすぐ何か別の事に消えるだろうけど。元気なうちに。



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