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家事や妻様に呼ばれて、一人でゆっくりとノートを書く時間が無い事は言い訳にしません。書き…

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家事や妻様に呼ばれて、一人でゆっくりとノートを書く時間が無い事は言い訳にしません。書きかけでも支離滅裂でにも投稿していきます。 マーライオンのいる国に住んでいましたが、鶴の舞う日本海沿いの街に移住しました。蒸し暑いのが苦手だったんですが、今度は寒いのが苦手です。

最近の記事

「コーヒーが冷めないうちに」をコーヒーが冷め切ってカビが生えるほどの時間をかけて読み、なおかつ私の心はもう冷え切っていることを理解した

もう表題で綺麗に私の言いたいこと、全てがまとめられてしまい、特に説明することなどないのではないかと思うが、一応備忘録として、ここにやっと1冊の本を読み終えたことを記しておきたい。私の妻様が「コーヒーが冷めないうちに」の英語版を、しかもシリーズで出ているのを3、4冊買って読み、尚且つ読みながらぐっときて涙目で鼻をすすりっているのを目撃し、これは夫である私も読んで、この感動を一緒に分かち合った方が良いのではないかと思い、日本語版を読み始めた。 適当にAmazonの中古本を買った

    • 17年間一緒にいた猫が亡くなりました。

      題名の通り17年間一緒にいた猫が亡くなった夜、犬の散歩をしながら音声入力したものです。 17年間一緒にいた猫が今夜なくなりました。享年18歳でした。2005年に手のひらに乗るようなサイズでウチの奥さんの元にやってきて以来、子猫とは思えぬパワフルなギャーギャーという鳴き声、ケージのステンレスの枠をガリガリとかじっては大暴れしていました。子猫時代からミルクを2時間おきにあげたりの頃からずっと一緒にいた妻様にはとてもつらい出来事だと思います。私が2006年に一緒に住み始めた時、猫

      • 旅行

        高校生の頃、寮のルームメイトだった友達と一緒に南仏をぶらっと電車で3泊か4泊ぐらいで巡る旅行へ行ったことがある。のんびりと空い青に雲い白、翠とコバルトブルーのちょうど中間のような色の海を眺めながら、ホテルだけ決まっているがそれ以外は行き当たりばったりのぶらぶらダラダラした旅だ。テキトーにカフェやCD屋や土産屋、ビストロに入ってただ雰囲気を楽しむ感じが良すぎて、あれで旅行から得られる幸せは一生分得てしまったんじゃないか、と急に思い出して感傷に浸ってしまった。慢性的に眠いと、急に

        • ゆっくりと、確実に、自分で自分の顔に真綿を押し付ける生活。

          コロナ渦でロックダウンの生活が始まると同時に、もう好きなものを好きなだけ食べて飲んで、それで死ぬならもうそれはいい人生なんじゃないかと思い始めた。生き方というか死に方というか、そういう選択をして残りたぶん40年ぐらいある人生のうち、体も頭もしっかりしている20年ぐらいを好きに生きていければなあと思ったのだ。 まずスーパーに投げ売りされていた、スプライト缶24本入りを10ドルぐらいで購入し、「毎日1缶」として飲み始めた。気が向いたらトニックウオーター、コーラ、ファンタオレンジ

        「コーヒーが冷めないうちに」をコーヒーが冷め切ってカビが生えるほどの時間をかけて読み、なおかつ私の心はもう冷え切っていることを理解した

          くだらない人生を、笑うように生きる

          妻様から「あんたはサイコパス」と何度も指摘される。なんか人が失敗したり不幸になったりする話をする時にめちゃめちゃ幸せそうな笑顔になるらしい。「悲しい」と「面白い」は紙一重とか、人の不幸や、努力が無駄になったのを見てケタケタと笑うのは周りに人がいない時にしておこう、いや、それだと自分の気が付かない範囲で人にみられてしまうのでそのへんはきちんとコントロールできるようになろう、と努力しようとしている。私の妻様はそういうのに時々本気で怒るので注意が必要である。ネットでネタにされていて

          くだらない人生を、笑うように生きる

          2022年1月に思う、10年後の自分について。

          最近読んだ17歳の青年が10年後の自分にあてて書いた手紙にあてられてしまった。17歳のほとばしる情熱と、不安と、期待と。衝動と。ブルーハーツの「青空」と「リンダリンダ」を同時に演奏したみたいな熱い想いをNOTEにぶちまけて、大学に進学せずに起業、コロナなのに世界一周旅行したいらしい。そんな17歳。常識と現実に照らし合わせて考えれば、バカだろう危ないだろう死ぬだろう無理だろうとオッサンは思う。でもなんとなく応援したくなったので、初めてNOTEで記事にお金を払った。世界一周したい

          2022年1月に思う、10年後の自分について。

          (2021年8月下書き保存したもの) 美術館で就職を見つけた弟に、世間は夏休みだけど忙しい?と聞こうと思った。そして自分は去年からずっと夏休みが終わらない。

          もう記事のタイトルだけで言いたいことのすべてが凝縮されているので、ここからは何を書いてもこれを読んでいるあなたの時間の無駄になります。 7月の終わりに自分のミスで16歳の愛犬を死なせてしまい、日本に帰国してきた意味を考えてはしんどいので考えるのをやめ、2020年10月からずっとプータローをやっている罪悪感で、自分は一体何をやっているんだとやっと焦燥感でむんむん(悶々とも言う)していたころの下書きです。何か始めないとというちょっとハイな状態で、登録したリモート仕事案件紹介に手

          (2021年8月下書き保存したもの) 美術館で就職を見つけた弟に、世間は夏休みだけど忙しい?と聞こうと思った。そして自分は去年からずっと夏休みが終わらない。

          寝る前に食べるけど、朝ごはん

          僕はよく深夜2時ごろ、朝ごはんを食べる。といっても、自分でただそう呼んでいるだけだ。 在宅で仕事をしている。一日中家にいる。妻も家にいる。犬も猫もいる。 僕は夜、なんだかよくわからないが、無性に一人で悪いことがしたくなる。妻に怒鳴られ、犬に嫌われ、猫には完全に子分か奴隷のように思われている。働いても収入は支出に追い付かず、やっぱり我慢しようと思って安いのを買ったりしたら、その分セーブしたお金は必ず他の場面で急に必要になって出ていく。えいっと思い切っていいものを買うと、ほぼ

          寝る前に食べるけど、朝ごはん

          死ななくてよかったのに、消えた命

          16歳。うちの一番年長だった犬を亡くしてしまいました。死因は熱中症。100%人間側に責任がある亡くなり方でした。なぜもっとちゃんと世話をしっかりしてあげられなかったんだろうという後悔ばかりです。突然なにかの拍子に涙のスイッチが入ってしまい、急に声を上げて泣いてしまったりが最初の2週間ぐらいはありましたが、今はグーグルフォトの思い出に出てくる写真にウルウルするぐらいまで回復してきました。 妻はショックと自責の念で最初の3、4日はほとんど何も食べず、さめざめと泣く→写真を見たり

          死ななくてよかったのに、消えた命

          「戦争を語り継ぎたい」爺さん婆さんは、貧困児童に飯を食わせろ

          「戦争だけはしたらアカンねや」「私らがしたような経験を、もう二度と繰り返してはいけない」と夏休みのこの時期聞く機会が増える。 幼少時の自分や家族の貧困経験を語り、それを聞くオーガニック国産野菜を食ってSDGを謳う親に育てられた子供たちは「なんてかわいそう」「戦争はこわいとおもいました」と素直に感想文を書く。 でもオーガニックを食って大きくなるほど裕福な家に育つ子は、大人になって戦争がもし始まってもおそらく戦地にはいかない。「オーガニック食品が高くなって困る」と文句を言いな

          「戦争を語り継ぎたい」爺さん婆さんは、貧困児童に飯を食わせろ

          新しい命を預かる、ということ

          何の因果か、家に新しいメンバーが増えた。既に犬4匹、猫2匹というちょっとした愛護施設(あとうちの周りにいる野生動物も含めると動物園)状態で、なおかつまだリフォーム工事が始まってすらいないので、タイミングとしては理想的ではない。 しかし4月末に生まれてまだ2か月の子猫ちゃん、今なら他の犬や猫と一緒に育てれば社会性をばっちり身に着けられる最高の時期。リフォームが終わる9月まで待てない今の飼い主さんの意向もあった。 というわけで、黒猫の女の子、「ジア」ちゃんです。(アジサイとい

          新しい命を預かる、ということ

          プータローになって8ヶ月。

          学生時代から数えて20年以上海外で暮らしていたが、なんの因果か日本の田舎へ移住してきた。その顛末は別に書くとして、2020年10月終わり頃に本帰国してきて以来、全くお金を稼いでいない。 海外に住んでいた時にもともとやっていた仕事がとてもフレキシブルで今思えば天国であった。更に悪いことに、職場から徒歩10分のアパートに住んでおり、一応始業・終業の時間はあるものの別にメールチェックさえして携帯にくる電話やWhatsAppに返事さえしておけばあまりうるさく言われない。挙句の果てに

          プータローになって8ヶ月。

          豆 ザ シバイヌ

          ハリウッドザコシショウは、ハリウッド ザ 小師匠 なのか、ハリウッド 雑魚 師匠 なのかずっと疑問に思って犬。 今年で10歳の豆ちゃん、去年の12月から家の家族になりました。愛想が良すぎて番犬になりません。

          豆 ザ シバイヌ

          プチトマトと、青梗菜と、サツマイモ。あと時々庭球。

          中学校の部活はソフトテニス部。 しかし顧問の先生が情熱を注ぐ先は、テニスコート横にある学校菜園だった。本来なら理科の授業などで植物を育てたりするのに使うはずだったのかもしれないが、理科の先生が興味ない事を理由に、プチトマトやら、チンゲン菜やら、さつまいもやらを植えて草抜きや水やりに精を出す先生。 テニスが好きなわけではなく、「雨とか風とかですぐに練習中止になるから」っていう理由で入部した僕は、先生の育てる野菜をいつももらって帰っていた。どでかいチンゲン菜とか、結構立派に育

          プチトマトと、青梗菜と、サツマイモ。あと時々庭球。

          What are you left with? (何を残したいのか)

          仕事だったり、自分で起ち上げた会社だったり、家だったり、子供だったり、人生そろそろ終わるっていう時に”俺が人生を生きてきた証は、これだ"みたいな、ちょっと誇らしげに語れるようなものはありますか。そういう物が出来るように生きていますか。私はそれを考えて生きていますよ。努力してますよ。あと残り何年っていうのを考えて今何をすべきか考えてますよ。 と、昨夜、妻に聞かれて、私のアンサーは "何もない。人生特に意味ない。言うならば、死ぬまでの長ーい時間つぶし。マイライフイズ、ジャイガン

          What are you left with? (何を残したいのか)

          15歳だった。

          どうしても、どうしても、行きたいんだ。 都会でもなければ、ド田舎とも呼べない中途半端な街で中学3年生をやっていた僕は、どうしても家を出たかった。遠くに、いやもっと具体的に言うと海外に行きたかった。 大学まで待てないのかと親からも聞かれたが、「無理」と一蹴。今考えれば滅茶苦茶で、よくそんなわがままを親は聞いてくれたと思う。 なんでそんなに日本を出たかったのか。自分に向けてちょっと整理しなおしてみようと思う。 と、ここまではNote界隈でよく見る文体で書いてみたけど、どう

          15歳だった。