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「超濃厚」卒業式

はじめてラーメンを残してしまった。正確にはチャーシューだけど…。

しかしこの作文、「マズいラーメンを食べたよ」って話ではないのでその点だけご注意いただきたい。
できれば頭の中で「G線上のアリア」でも流しながら厳かに読んでいただきたい。



蔵前をふらふら歩いていた時だった。
ちょっとだけお酒に酔い僕はまぁまぁ良い気分で、ダイエットをおっぱじめようかと意気込んでいたのだが、いかんせん駅近くは飲み屋街で、それと同じくしてラーメン屋さんも肩を連ねる。

「日本一鰹の出汁が効いたラーメン…」という謳い文句が目に入り”お出汁“が飲みたい盛りの僕はついつい立ち寄ってしまったのだった。

最近のラーメン屋さんは食券を買うところが多くて、名前だけを見てラーメンを買わなくちゃいけない。

「てんこもり」とか「爆盛り」「中盛り」「贅沢」「全部のせ」「濃厚」なんて形容詞を見るのだけど、いったいどれがどう違うのかはよくわからなくて困る。

“鰹の出汁が濃厚”なのはこのお店の看板的なところではあるのだろうけど、そんな中でも「あっさり」とか「超濃厚」的な言葉があると、濃い出汁なのにあっさりなのか?とか思っちゃう。”どうせ濃いなら“と、濃いのも超濃いやつが食べたくなってしまい、超濃厚の食券を強く押した。

はじめて来るラーメン屋さんでやめときゃいいのに、僕は超濃厚なやつを選んでしまって席へと足を運ぶ。


ココからは申し訳ないがガラッと話が変わる。

ここ最近はラーメンでも量なのか濃さなのか、麺も少なくなる後半に気持ち悪さがグググっと込み上げてくる。
あと一口あと一口…、とやっと食べる感じなのだ。たぶんたくさんも食べられないし、濃厚なものも受け付けない身体になっているんだなとヒシヒシと感じている。

そんな身体なもんで、やってきたラーメンは見るからに超濃厚でスープがぷくぷくと泡立つほどである。
「こりゃいかん…。」
と思わず呟いてしまった。
写真を取ってTwitterにアップした方がよかったんじゃないかっていう呟きだったな。
スープの濃さで言うなら汁なし坦々麺とか、”家系ラーメン“のそれに近くて、どんぶりの底から麺を持ち上げかき混ぜると、もうスープなんて無いようなものだった。

まさに超濃厚な感じである。
※この僕が注文した超濃厚ラーメンは鰹だけでなく鳥などの出汁も使っているようだ。じゃなきゃこんな泥みたいな濃厚は作れない。

しかしおそらくこの超濃厚ラーメン、濃厚なラーメンが好きな人であればかなり好きだと思う。
そう、決して。決してまずいと言っているワケではなく、個人的に無理だったというだけだ。そのラーメンの持ち合わせているパワーを、僕が受け止められなかったというだけにすぎない。
好きな女の子を軽々とお姫様抱っこできないのと文章上での感覚は似ている。

しかもそれは味の問題でない。
味ではなく、「僕の身体がもう限界を迎えている」という話なのである。


”身体が受け付けない“という事実は、放っておいてはいけない。自分だけはそれを「しっかりと受け止める必要がある」のだと強く思った。


僕ははからずもラーメンをちょびっとだけ残して、チャーシューも脂の部分をごっそりと切り離して残してしまった。もちろんスープだって飲み切らない。(塩分の摂りすぎになるから残したっていいのだけど)


それはもう軽くどころかショックで…。僕はもう「濃厚」という文字をこれより後に食べられない生き物になってしまったのだと理解した瞬間だった。今までもそんな瞬間はあったとは思ったが、さすがになぜか身も心もズタズタなのである。

僕の胃袋内には「濃厚〜2022」と彫られた墓石が立てられたわけである。


僕は最近の身体の不調の事も考えると、コレはもう“全く別の生物に変わった”のだと理解する必要があるなと思った。


犬は飼った事あるけど、リクガメや小鳥は飼った事ないって時に感じるあの新鮮さを持つ必要があるんだと、そう感じたのだ。

自分を新たに見つめ直して、生活も整えていかなきゃいかんのだな。
まずは濃厚や大盛りはもう僕はムリであると心に刻む。なんならこのどて腹に入れ墨したろうかってくらいだ。


ヘルシーであっさりが僕の好む餌なのである‼︎
それを肝に銘じておこう。

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