流星夜のヴィーナス

まだ冒頭なので完成するまで自己満仮置き


 天の川銀河の天気は晴れのち流星群、見上げれば夜空を埋め尽くす百万の光芒。アンドロメダへの直行便が運行停止になるのもやむなしって感じだった。
「次の便、一週間は出ないってさ」
 それでも、ぼくは愚痴る。旅のトラブルでなにが一番面倒かって、予定通りの移動ができないことほど嫌なものは無いと思うんだ。
 スペースポートセンターの屋上。この星は少し湿度が高いな。銀の手すりにもたれかかる彼女の首筋が汗に濡れていた。
「お土産でも買ってこうか」
 彼女が言う。
 屋上に僕ら以外の人気はない。もう半年近く人間を見ていない気がする。宇宙に広がった人類文明がもういよいよ衰退を免れえなくなっているという話も本当なのだろう。
「お土産って誰にさ」
 ぼくの故郷にもって帰っても仕方ない。あそこはもともと工場以外に何もない星だし、相対時間から考えるに2千年近く向こうでは経っているはずだから、たぶんぺんぺん草も残っちゃいないだろうな。
 彼女も事情は同じだ。なんたって地球出身なんだから。
 理由は未だに不明だけれど、太陽系は今からずっとずっと昔、赤色巨星が白色矮星になっちゃうくらいの時間を挟んだ昔に跡形もなく消滅して久しい。瞬き一つするうちに、まるでそこには初めから虚無しかなかったみたいに消え去ってしまったんだ。星々だけじゃない、空間ごとが、まるですっぽりその部分をくり抜いて外してしまったみたいになくなった。おかげで宇宙はその隙間を埋めるためにほんの少しだけ縮まなきゃいけなくなって、その時の余波で時空がしっちゃかめっちゃかになったことはまた別の話だけど。
「うーーーーーーーんそうだなーーーーーーあ!」
 めいっぱい間延びした声。彼女はいつも急に子供っぽいことをやりだすんだ。そして、自分でそれにウケてちょっと笑いそうになるのを必死で堪えたりしている。
 ぼくは本当に彼女のことを尊敬してるんだけどねえ、子供っぽいところは治してほしいといつも思ってるんだ。これがなければ彼女の聡明さといったら、銀河系統括政府に採用されたっておかしくないくらいなのに。
 でも、それを期待するのはやっぱ無理そうだった。だって笑いを堪えるのをやめて顔を上げた彼女の瞳が、またもやあんまりに子供っぽいいたずら心を宿していたものだから。
「よし、じゃあ『流星夜のヴィーナス』にお土産を買っていくってのはどう?」
「なんだって?」
「おや、寡聞にして存じ上げませんか?」
「それって使い方おかしいんじゃないか」
 まあ、ぼくの言葉なんて聞いちゃいないんだな。彼女はだらしない体制からすくっと復帰すると、歪んだ台形をした屋上の中央へスキップ踏んで躍り出た。流星群の降り止まない夜空を背景にして、くるりとまわって一礼する。セーラー服と長い黒髪がふわりと舞う。
「ならお話しましょう。私の故郷、太陽系に伝わる『流星夜のヴィーナス』のお話を!」
 結局のとこ、これがやりたかっただけなんだろう。ぼくは投げやりに拍手をしておく。これも物理肉体があるおかげだね。
「こほん。では、むかしむかし……や、これはマンネリズムね。ナレッジ、タンマ、叙述タンマ、いま冒頭を考えてるから。ねえ、まっ

 ○

「ねえ、待って!」
 少女はそう叫んで、眼の前を歩いていた男のコートの裾を掴んだ。別に何か理由があったわけじゃない。強いて言えば、彼の懐からだらりと垂れ下がったストラップに描かれたウサギの表情。それがとても間抜けで、優しそうだったから。
「うん、迷子かい? 心配をかける前にお母さんのところに帰りなさい」
 男は商人だった。星々を渡り歩いては特産品を仕入れて別の星で売る、それが彼の生業。名をロビンといい、金星にも、彼の地の名産である安産の薬を仕入れに来ていた。アフロディーテ大陸に横たわる大砂漠、その赤黒い砂を原料に精製される安産の薬。今やそれは男の宇宙船いっぱいに詰め込まれているはずだ。全て底値で売っても半年は仕事をせずに暮らしていけるだろう宝の山。
 そして、少女とロビンが出会ったのは、彼が金星で過ごす最後の日のことだった。
「ママはいないわ。私が生まれた歳に金星熱で死んだの」
 オフィシャルスペースポートからほど近い星都アルテミス。赤茶けた大地に似合わないクリアーな色使いのビルが多くそびえ立つこの都市も、少しダウンタウンへと足を伸ばせば地球のそれと変わらぬ賑わいがある。
 地下水耕農場で栽培された野菜や精肉を並べた露天、地球来の輸入品を並べた雑貨店。労働者の需要を見込んで進出してきた娯楽施設は地球企業のものも多く、気を抜くとここが地球ではないことを忘れそうになると観光客は口を揃えて言うのだった。
「なら、お父さんに連絡してあげよう。星民番号はわかる?」
 けれども、二人の周囲にはその賑わいもなかった。開発時代の名残、入り組んだ狭い路地の一角。入り組んだ金属ダクト、唸りを上げる室外機。幾何学模様を組み合わせた魔除けが吊るされた薄汚い軒先。ビルとビルの隙間に切り取られた空が赤い。
「あなた、他所の星の人でしょう。どうしてこんなところにいるの?」
「路地裏ってのが好きなのさ」
「どうして?」
「金星は禁煙指定惑星だからね。おじさんみたいな喫煙者はこういうところでこっそり吸わなきゃならない」
 くたりとちぢまった吸い殻を懐のポータブル分解機に押し込む。安い品ではないが、この時代、彼のように肩身の狭い喫煙者にとっては必需品なのだ。もっとも、乱れた舗装の路面には多くのシガレットの亡骸が放置されてはいたが。
「それっていけないことでしょう」
「ああ、そうだよ。そんないけない人をつかまえて、君は何をするつもりなのかな? さあ、君の星民番号を教えて。そこから保護者へ連絡できる。一人娘がいなくなってきっと大慌てだろうから」
 ロビンは右腕にはめたマルチ端末を起動する。レーザー投射によって虚空に描き出されるライトグリーンの映像。金星当局データベースへのアクセス画面だ。
 いくら様々なサービスに要求されるからといって、22桁の星民番号をすべて記憶している者などいない。しかし正式な戸籍を取得している者であれば、虹彩認証でいつでも番号を呼び出すことができるのだった。もっとも直接に番号を打ち込む必要など殆どないから、それも滅多には使われることもないが、一部の特殊な状況では役に立つ。たとえば、素性もわからない迷子の保護とか。
 少女が一歩前に踏み出す。アクセス画面の中央に描かれた瞳のピクトグラム、鳶色の大きな双眸を見開いてそれをじっと見つめる。素っ気ない電子音。「該当データなし」の表示。
「おかしいな。こんな場所でも電波は通じてるはずだが。もう少し近づいてもらっていいかい」
「無駄よ。私、戸籍にのってないんだもの」
「なんだって?」
「パパが登録しなかったのよ。一人分よけいに税金がかかるし、そんなのは払えないからって。小学校に入れなくって、それで私も知ったの」
 普通の女の子が学校であったことを自慢するみたいに、少女はさしたる感慨も込めずにそう言った。ロビンがもう一服分を取り出す。古めかしいオイルライターの着火音。エウロパでの大きな商売が成功した記念で買ったアンティークものだ。白い煙が天に昇る。
「なら、連絡すべきは君のお父さんじゃなくて金星の児童養護施設というわけだな。誘拐犯だと思われそうだが」
 画面を操作しようとしたロビンの指を、少女の小さな手が掴んで止める。金星の地表と同じ褐色の肌。白くてごつごつとした彼の手とは似ても似つかない。まるで異なる生き物の器官のようだった。
「勘違いしないで。私はべつに不幸な女の子じゃないの。パパはひどい人だし、学校に行けなかったのはショックだったけど、そのおかげで、同い年の子たちじゃ絶対にありえないくらいに色々なものを知ることができたし、お友達もいっぱいできた。まだ14だけど、私、もう立派に大人になる資格があると思っているわ」
「そりゃあ思い上がりというやつだ」
「そんなことない。一番の学校に行った子たちだって、とんでもない世間知らずしかいないのよ。金星中の子供を集めたって、こんな路地に入ったことのある奴はいないわ。だって親から『危ないところに行っちゃダメだ』って言われてるから」
 ロビンはもう何も言わず、火のついたシガレットを咥えた。次にこの少女が何を言い出すのか、彼にはなんとなく見当がつく気がしたのだ。それは何も珍しいことじゃない、光のあるところに影があるように、人類の灯のある星には必ずいる存在だ。だからこそ、このくたびれた余所者をつかまえたのだろう。
 そして、まだほんの幼いこの子供を相手にしてこんな思考をしなきゃいけない、そういう事実がまたロビンを辟易とさせた。
 不意に端末の画面がかき消える。しばらく操作してなかったのでバッテリー節約のために自動でセーブモードに入ったのだ。
 それで、今まで画面に寸断されていた二人の視線が交わった。少女は口を開く。
「私を買って」
 そら、きた。ロビンはため息をつきそうになるのを堪える。ここで曖昧な態度を示すとこの手の子供はつけあがるのだと彼は知っていた。
「ダメだ」
「私、他の星に出ていきたいの! でもパスポートがないのよ!」
「戸籍を取得しろ。なにも親の認可がなくてもできる。そういうことなら、いくらでも手伝ってやる」
「いやよ。そしたら学校に行かなきゃいけないもの。12年もよ。そんなに経ったらおばあちゃんになっちゃう」
「今の時代、ちゃんとした生き方をすればまず140年は健康でいられる。12年といったらそのほんの10分の1以下だろう。人の一生を1日としたら、ほんの2時間くらいなもんだ。うたた寝してるうちに終わっちまうよ」
「いやったらいやよ!」
「ダメったらダメだ!」
 まだほとんど吸わないうちにシガレットがちぢまっていく。クソ、俺はただ静かに吸いたいだけなのに。だがこのガキを見捨てていくのも胸糞悪い。
 ロビンが再び端末を起動させる。それを少女がおさえる。睨めつける彼の視線も彼女にはどこ吹く風だった。
「大声出すわよ。この異星人に乱暴されたって」
「それが人にモノを頼もうっていう時の態度か!?」
「ねえ、悪い話じゃないでしょう。言うとおりにしてくれたら、ちゃんとお礼はするから」
「へえ、おまえみたいなガキンチョが俺に何をくれるっていうんだ」
「体で喜ばせてあげる」
 それで、いよいよ我慢できなくなってロビンは路地中に響きそうなくらいの声を出して笑った。笑うと同時に、このガキがこんなことを言う、そんな現実に心底腹がたった。太陽系中の間抜けな政治家を無人の売春街に詰め込んで、そこをめちゃくちゃに爆撃してやりたいような妄想を抱いた。
「経験は豊富なのよ、ってわけかい。お嬢ちゃん」
「……そうよ。悪い? そうやって今まで生きてきた」
「だが俺はロリコンじゃない。あと50年したら、考えないでもないが」
「本気で言ってる? それ」
「歳上が好みなのさ。それよりも、さあ、子供は家に帰るべきだ。学校にも行くべきだな。体を売って稼ぐ必要なんて無いんだ。金星は地球よりもずっと福祉が充実している。然るべき手続きを取れば学費も税金も免除してもらえずはずだろう」
 ロビンは、それらのために必要な様々な手続きのことを一つ一つ考えた。確定申告の何億倍も煩雑で面倒な手順が脳裏で彼をたらい回しにする。けれど、この少女の父親が本当に頼りにならない人間だというのなら、そのくらいならやってもよかった。どうせ星間輸送は大いなる暇とともにある。書類を書く時間は有り余っていた。
 けれども、彼女の方は、あくまで承知しない心づもりらしかった。
「絶対にいや」
「……あのな、俺もヒマじゃないんだぜ。明日にも地球に戻る予定なんだ。お嬢ちゃんが断固とした態度を貫くんなら、こんなきたない路地裏からはさっさとおさらばするだけだ。チェックインの時間も過ぎてるんでね」
「そしたら人を呼ぶわ」
「だいたいパスポートがないなら俺だってきみを他の星に連れてくわけにはいかない。誘拐犯扱いされちまうよ」
「だから、私を買ってと言ったの。太陽系統括政府は労働力目的の"人的資源の売買"を認めているわ。その事は知ってるでしょう? 外縁惑星開発のための"奴隷制度"があることは」
「驚いたな。そりゃあ、一般市民には大々的に宣伝されちゃいない内容のはずだ」
「勉強したの。この星から出るために」
「……たしかに、本人の同意があれば、金銭的なやり取りによってその所有権を特定個人に帰依させることはできる。明らかに違法な環境下で労働させたり、未承認の技術を使用する時には便利なんだろう。宇宙開発の尊い犠牲だ、なんて心底気に食わない話だが。しかしそれにだって戸籍は必要だ。『あなたの星民を購入してよろしいですか』とお伺いを立てて、しかも労働力の対価として結構な金を払う必要があるんだからな」
 きっとこの少女は、自分がそこまで太陽系法に詳しくないと考えていたんだろう。だがこういったことは職業柄よくしっている。これで流石に諦めるだろう。
 そのロビンの考えは、しかしまだ甘かった。少女は待ってましたとばかりに小さな記憶端末を懐から取り出した。みすぼらしい格好の彼女に似合わず厳重に梱包されていたそれを、彼の端末が読み込む。途端に、再び虚空に映像が出力される。顔写真と、名前。生年月日。エトセトラ。
「……偽装戸籍か」
「ええ、そうよ。パスポートは審査が厳しいから、そんなんじゃとても通らないけど、人身売買の窓口なら問題ないわ。どうせ政府にお金が入るんだからってろくにチェックもされないんだもの」
「どこで手に入れた。素人のもんじゃないだろ」
「私にはお友達がいっぱいいるの。これでわかってくれた?」
 もう、ロビンは閉口することしかできなかった。ただの不良娘かと思っていた眼前の少女は、しかし並々ならない覚悟をうちに秘めて入らしかった。そうした態度を見逃さずに彼女は詰め寄る。
「ねえお願い。きっと一生懸命働いてお金は返すわ。ただ、どうしても私のことを買ってくれる人が必要なのよ! それに……」
 わずかに少女が目を伏せる。ああ、また何か厄介なことを言うに違いないとロビンは直感した。そのまま逃げ出したい気分だった。
「あなたにもダメだと言われたら、私、この偽装戸籍を用意してくれた人に頼らなきゃいけないの」
 無論、その意味がわからないロビンではない。人身売買手続きのための偽装戸籍を必要とする人々、ようするに非合法の犯罪組織たちだ。連中は、本人の同意なしに人身売買を成立させるために必要な技術を有している。少女のお友達とやらも、きっとその一人に違いなかった。もしそう言った人種に「買われる」ことになれば、明日の命さえ保証されない日々が彼女には待っていることだろう。
 勝手にしろという言葉が喉元に突っかかって出てこない。ここまで来るための道のりで、彼女がどれほどの危険を覚悟したのか、どれほどの恐怖を飲み込んだのか、そのことを想像するともう返す言葉もなかった。根本的にそれが自己責任に帰結できるとしても……そもそもロビンは情にもろい性格なのである。
 息を吸う。手元のシガレットはほとんど灰燼に帰してしまった。次の一本を探すがみつからない。今のが最後だったらしい。
「一つだけ意地悪な質問をする。俺がもし、お前を犯罪組織にでも売り飛ばそうって平気で考える極悪人だったらどうするつもりだったんだ?」
 鳶色の双眸が彼を見つめている。金星人に特有の褐色の肌、末端にかけて白へとグラデーションしていく黒い髪。美しい少女だと思えた。その美しさが彼女にこれだけの道を歩ませることを可能にしたのだ。それは幸か、それとも不幸か。
 彼女はにこりと微笑む。
「私、男を見る目はあるタイプなの」
 あとはもう反論する気もなかった。ロビンはすっかり白旗を出した気分だった。ただシガレットを吸いに来たのに大変成り行きだと運命を恨むのが精一杯だった。
「……で、名前は」
「ジャネット。ママの姓はフルクトゥス。だから、まあ、戸籍に登録するならジャネット・V・フルクトゥスになってたんじゃないかしら」
「ジャネットか、いい名前だよ、まったく。俺はロビンだ。ロビン・E・ロンバート。星間貿易商をしている。残念ながら、お前を金星政府から買い叩くくらいの金はあるな」
「そう。よろしくね、ロビンおじさん。やっぱり私の見る目は確かだった」
「おじさんはやめろ。お前は、今日から俺の社の唯一の社員になるんだ。だから俺のことは社長と呼べ、いいな!」
「わかったわ、社長さん」
「ああ、クソ。ロビンでいいよ、ったく。シガレットは吸えない、ガキには絡まれる、まったく碌でもない星だなここは」
「ええ、同感。はやく別の星に行きましょう、ロビン!」
 それが、少女とロビンが出会った最初の日。そして二人が金星で過ごした最後の日だった。小さな路地裏で、実に彼は一年分の収入ほどもする買い物をすることになったのだ。

 ○

 そこで彼女は言葉をきった。さすがにちょっと喋り疲れたって風だったね。なんたって流星群どころかすっかり夜が明けてしまってたんだから。
「じゃ、続きはまた明日に」
 彼女はまた元のように、だらしなく手すりにもたれかかる。その表情は、逆光になっていて殆ど見えやしない。もしかしたら変顔してるかもな。そういう事を平気でするんだ、彼女は。
「いつも続きを話すって言って忘れちまうじゃないか」
「でも夜が明けちゃったもん。寝る前のお話は夜にするものだよ、ぼく」
 なぜだか自慢げだった。
 ああ、それにしてもいい朝だ。今日は何をして過ごそうかな。


#白鴉河下流域

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