君と私の無回答エンド

君と私の無回答エンド
#砂糖酒  

 Q. あなたが機械でないと証明するために表示された写真の中からあなたが写っているものを全て選んでください
──承認されました。フォームを送信します。リクエストが処理されるまでお待ちください。

 これであとほんの10分ほども待てば箱が開くだろう。そうすればもうこっちのものだ。警察が来るまでに完了するか冷や汗をかいたけれどこの調子なら心配ない。だってまだ殺してから1日も経ってないし。何としても警察なんかに捕まりたくないのだ。なんで殺したの?と聞かれても答えられないし。
 加熱した頭で物事を処理していたから、唐突にできたおよそ10分間の空白が異様に長く耐えきれないものに感じる。さっきまでの人生最速の思考速度にうまくブレーキをかけられず、ほら、時計の秒針のなんてなんてトロいんだろう。
部屋を見渡す。昨日から床に転がりっぱなしの真っ赤な包丁には多分、私の指紋がべったりどろどろとついているはずだ。てか、血のインクに浸した指先であちらこちらを触ってしまっていて隠しようもない。全然別に構わない。私、警察が来る前に、どうせ死ぬし。
 真っ赤な包丁の隣には、今度は対象的に真っ青なサファイヤを巨大化させたような美しい装置がどしんと部屋の中央に置かれている。宝石みたい。でも、実際は3Dプリンターで出力された安楽死マシンなのだ。
 安楽死マシンは2019年にネーデルラント共和国でケチニッケ博士によって開発された”Marco”を初号機に、超高齢化社会からの需要拡大に伴って改良を重ねられた自殺幇助マシンだ。ポケットに押し込んだ情報集積体の白い雲によると、博士は2019年4月14日にネーデルラント共和国アムステルダム市で開かれた「お葬式フェア」で初号機を発表して一躍物議を醸した。「自らの命の終わりを自分で決定すること、──あらゆる人が自分の人生を自分のものにできる未来」のためにマシンを開発したとケチニッケ博士は説明したけれど、当時の倫理観の中では彼を「死神博士」と罵るものもいたようだ。正式名称は”Marco Pro3”。名称が決まった時は最先端の倫理観から取り残されていることに気づかない医療界のご老人たちのネーミングセンスは取り返しがつかないくらい最悪だなって思ったものだ。
 初期の安楽死マシンは違ったけど、この”Marco Pro3”はこれまでの多くの安楽死データを使って絶対確実安心安全に無痛で死ねるように設計されている。だから改良版で、Pro。でも私はこれが気持ち悪いのだ。昔は死のうと思ったら自分で試してみるしかなくて、従ってプロの自殺者なんて存在し得なかった。プロの自殺未遂者ならいたかもしれないけど、それは自殺できてないから駄目。自殺の方法については全員が素人で人それぞれ様々な死に心地を味わったに違いない。だから、ちゃんとそれは彼らにとって「自分の」死だったと思う。
 でもProは違う。Proは全員の死に際を同じにしてしまう。そこにその人らしさなんてない。自分の人生を自分のものにするための死なのに、その過程に見ず知らずの億千の人間の集合知が介入してくる。自分だけの大切な死に際なのに知りもしないたくさんの他人の死が入り込んでくるなんて気持ち悪い。安全安心なプロの所業ってそういうことじゃん。だから、Proって名前は最悪。まさか自分が近い将来に使うなんて考えてもいなかったな。
 あと5分くらいか。暇だなあ。自分が死ぬまでの時間て何を考えれば正解なのかわからない。なので私は初恋の君を無残にも包丁で刺し殺すに至るまでを想起する。
 初恋の君は高校の成績最高で学年3位、弁が立ち、周りを馬鹿にしていて、友達はいるけどどことなく孤立していて綺麗なものが嫌い。妙に大人びている後ろに幼稚園児よりひどいんじゃないってくらいの甘ったれな精神を隠していて、聡い人は多分それに気づいて君と関わらない。でも私はそんなひねくれたところが嫌いじゃない。そんなひねくれた君だから、きっと初めて私に親身になってくれたのだ。
ほどなくして私たちは付き合う。餡子入りチョコレートより甘いんじゃないかって時間の後、糖分の過剰摂取に体がすぐ悲鳴をあげて、ついでに餡子入りチョコレートなんかを美味しいと思う自分に違和感を抱いて、崩壊。私は口から時間を吐き出すけど、一部はもう体に取り込まれて私になっていたからどうしようもなかった。それは君も同じだったみたいで、一回吐き出したくせに禁断症状みたいに餡子入りチョコレートを求めちゃうところまでそっくり。やっぱり似た者同士なのかもって言いながら一緒に食べる。吐き出す。食べる。吐き出す。喧嘩する。君は私を殴る。私は君を睨む。違う。無感情。そう、それが正しい。無感情な目線を、でも君は睨むのより嫌う。私が逃げ出すのも嫌う。君は死のうとする。私は止める。餡子入りチョコレートを美味しく食べられないなら生きてる意味がないって言う。あんなもの食べなければよかった。でももう時間は巻き戻せない。何度でも止める。累計数十万回でも私は止める。それで昨日、私は餡子入りチョコレートを作ろうと思って包丁を手にとって、そのままよく考えずに君を刺した。なんとなく。
 死なないでって君に散々言ってきた私が君を死なせた。死なないよねって君が聞くから、「君に死なないでって言ってる私が死んだら説得力がなくなっちゃうじゃん。だから絶対死なないよ。安心してよ」って笑った私が君を殺した。

 電源を入れた機体は見つめれば見つめるほど輝きを増すようだった。後10秒と待たずにロックが解除されるはずの深い青色をした蓋はブリリアントカットの形に作られ、部屋の明かりを乱反射している。だから、なんとなくサファイヤのペンダントトップを想起してしまう。サファイヤはとてつもなく高価だ。多くの宝石が大量生産可能になった今でもまだ作れないものだから。しかし、蓋をこんな青色にしたのは、やっぱり青に鎮静効果があるとかいう心理学の実験結果を基にしているのだろうか。初号機から変わっていない部分だ。
 なんであんなに気味悪がった”Marco Pro3”で私が死ぬのかといえば、それが私にふさわしいと思ったからだ。私には私らしさがない。だから、今までMarcoで死んだ無数の人間の体験記、魂でできてるようなこの機械で死ぬのはまさに私らしい死に際じゃないか。
 自分の意思で死ぬこと、自分が正常な精神状態であること、を証明する2つのアンケートにつつがなく答えて送信したフォームは問題なく処理されて、今まさに蓋が開く。床に広がったもう殆ど乾いた血を踏みつけて、私は恐る恐る中に入る。そこで、機体の中で最後の意思確認として指紋認証が必要なことを知る。この機体は、死にたい死にたいと言って結局死ななかった君が、ポーズだけの飛び降りやポーズだけ首に巻きつけた革ベルトみたいに、思いつきで3Dプリンターにダウンロードしたもの。ダウンロードした時の指紋が登録されている。試しに私の指を当てる。

認証失敗。やり直してください。あと3回
認証失敗。やり直してください。あと2回
認証失敗。やり直してください。あと1回

 私は、答えられない質問があるのが怖い。警官に、なぜ殺したのと聞かれて答えられないことを思うと生きていたくないくらい怖い。君が私を殺したいのか殺したくないのかわからないのも答えがわからないのが怖い。それとあと、私は私って何なのかって自問自答しても答えられないのが怖い。私は何者?
 私は、サファイヤの棺の中に放出される液体窒素を感じながら君の指を握りしめて瞳を閉じる。


 


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