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2003年 和食K屋のおかみさん 9文

 20年近く前、六本木、現在ミッドタウンがあるところの対面当たりの雑居ビルの地下一階に私が好きな和食、懐石の店 K屋があったことを関西に行くために成田空港に向かう京成電車の中で思い出した。六本木からその後新橋に店は移転した。移転後にも2、3回訪れたと記憶している。インターネットで「K屋 新橋」でググる。1軒の店が表れた。御成門近くにあるが今でも営業しているのだろうか?
 金髪に染め、ベリーショートカットのおかみさん。笑顔がととても可愛くキュートで、私をいつも気遣ってくれた。当時の私は毎晩数件の店を飲み歩く酒癖の悪いサラリーマンであった。そんな私にランチには若狭の笹ガレイの干物を焼いてくれた。夜行くと好物のタコとイカが必ず入っているお造りの盛合わせ、秋にはマッタケの土瓶蒸しを必ず出してくれた。
 当時、私はどぶ板営業も辞さない売上二億円の商談中であった。その決済者であるクライアントの常務を私の大切なプライベートの住処K屋に連れて行った。クライアントの常務が「美味しくてとてもやさしい店だね」と言ってくれたことが、商談成立と同じくらいうれしかったことを覚えている。
 決して値段が高い店ではない。おかみさんとおとうさん夫婦でやっている小料理屋であるが、お皿等高価なものではないが、拘って選んだ品の良さを感じる。
当時おかみさんは手術をして両足にチタンを入れた。少し歩くのがしんどそうだった。それでも私が酔っ払ってくだを巻いていると、「あんたは必ずできるよ。よく遊んでいるけど私にはわかるよ。今日はあんたの大好物の若狭のぐじ(甘鯛)があるから、今焼くからお食べ」と言いながら根拠のない叱咤激励をSMAPの「世界に一つだけの花」のバックミュージックが流れる中でもらえた。
 三日後東京に戻ってきたら掲載されていた御成門にあるだろう店を訪ねてみよう。おかみさんの店ではないかもしれない。食べログ等には出ていず、名前と住所しかない情報であるためはたして存在しているかもあやしい。
 東京に戻って、現在勤めている会社に今日は出社する。新橋なので御成門は近く、店の存在を確認に行く。中華の店になっていた。ここにあった店が以前2、3回訪れたおかみさんの店だということを思い出した。
 ああもう、二度とおかみさんには会えない、私の後悔は私の足を止めてしまった。今どこで何をしておられのだろうか。私が還暦を過ぎているから、おそらく古希はゆうに超えられていると思う。
 夕暮れで肌寒さと寂しい思いが、さらに心にしみる。
 おかみさん、そしておとうさん、元気で生きておられることを祈り、手を合わせる。
 合唱
2023.10.30

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