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呉明益『歩道橋の魔術師』を読んだ〜戻らない悔恨と郷愁の話〜

最近、昭和レトロが流行っている。
今の三十代以降の人間なら昭和を経験していないはずなのに、レモンの柄の砂糖入れや真鍮の魔法瓶や古風な扇風機を見ると懐かしさを感じるのはなぜだろう。

国や時代が違っても何となく郷愁を感じるものというのはあるのかもしれない。
呉明益の歩道橋の魔術師はまさに体感したことのないはずのかつての台湾のノスタルジーを感じる小説だ。


舞台は台北で60〜70年代に栄え、92年に解体された大規模な商店街、中華商場。
この中華商場は商店と住民の居住区が混在する大きなデパート数棟を歩道橋で繋ぎ合わせた、それひとつがひとつの街のような区画だ。

各棟を繋ぐ歩道橋は子どもたちや行きずりの商人が露店を並べる雑多な場所。この本にはそこでマジックを見せるのを生業にしていた魔術師を巡るいくつもの短編が収録されている。

語られるのは全て中華商場で子ども時代を過ごした大人たちの回想。
子どもの頃のわだかまりというには少し綺麗な後悔や禍根とともに、魔術師の見せた動き回る切り絵の小人や絵から透明な金魚などのマジックが語られる。

魔術師は常に誰かの記憶の片隅にいるけれど、それ自体が主体になることはない。
戻らない時間の中の「あの時こうしていれば」や「あの事柄の真相は何だったのか」という想いが決して解決されず、今更知ったところでどうにもならないように、魔術師の不可思議な手品の数々はタネを明かされないままだ。

幻想小説だけど夢見るような明るいファンタジックな話はひとつもない。
幼い頃の幻覚のような魔術を媒介に、戻らないものへの記憶と、解体され影もなくなった中華商場を描き出す、ノスタルジーの本質のような作品だった。

個人的に好きだった短編をいくつか。

九十九階
・幼い頃を中華商場で過ごした友人が大人になって再会する。今の彼となら友だちにならなかっただろうと思うほど、事業で成功し別人のようになった友人が語る、かつての不可解な失踪事件の真相。めくるめく喪失の物語。失ったものを追って闇に飛び込むにはあまりに現実の重荷が増えすぎた人間は、マジックの後残された観客のように客席で見送るしかない。

・石獅子は覚えている
鍵屋の少年が触れてはいけないと言われていた媽祖宮の石獅子の腹に触れた後に起こった奇妙な出来事の話。神の使いがもたらした罰か恵みかもわからないものの真相はただの人間にはわからない。何を開けるかもわからない鍵を拾って、それでもいつかぴったりと合う錠前が見つかるときを待ってしまうような話だった。

・ギター弾きの恋
不眠症になった男が訪れた音楽教室の講師はかつての同級生だった。思い出すのは、ギターを手に取るきっかけとなった初恋の少女と、彼女の恋人のギター弾き。成り行きで始まった、ギターを習う代わりにギター弾きに字を教える奇妙でいじらしい関係は思わぬ展開で終わる。過去の傷とともに忘れかけていたコード進行をなぞる話。


・金魚
大人びた同級生との短い交際をした後、彼女が失踪して以来間違いを繰り返してからひとりの女と付き合うのをやめた男の話。自分を縛り付けるものから逃げ回りながら、偶然惹かれた街娼との関係は過去の因果に結びつく。必死で泳ぎ回っても出ていけない狭い金魚鉢の中のように彼らは巡り合う。


去年コロナ禍が始まる直前に台北に旅行に行った。
中華商場があった場所は今は西門駅という。
駅を降りたとき、日本に戻ってきたかと錯覚するほど西門駅は渋谷や原宿に似ていた。

※この記事のアイコンは西門駅です。

若い子たちがファストファッション店や綺麗な写真集の並ぶ大型の書店に集い、露店でヌードルやタピオカを食べていて、まさに若者の街だった。ノスタルジーの欠片もない。

でも、そこにひとがいる限りいつか西門も過去になり、郷愁とともに思い出される場所に変わるんだろう。

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