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Vol.3 2021年の振り返り

2021年秋。自由が丘のバーで「何か新しいことをはじめたい」という話になり、勢いでポッドキャストを始めた。これまで、仕事や趣味の合間を縫って、合計3本の収録を行った。最初の二本はダイジェスト版としてイラストを付けたスライドを用意したのだが、これがいまいちうまく運用できなかったため、今回はnoteを書いてみる。これはクリスマスの朝に収録したもので、2021年の振り返りを行った。下記は、事前に持ち寄っていたテーマ。(実際に話さなかったもの、編集の過程でカットしたものもある)

PODCAST:LINK

トワ
1. ジョブローテ
2. チェロ大爆発
3. いくら飲んだっていい
4. いくら動いたって良い
5. 学ぶことをやめたら死ぬ

ぎしり
1. ピアノを始めた
2. キャリアを考え始めた
3. めぐる人間関係
4. 日本の良さを再発見
5. なんのために生きるのか

・ぎ、ピアノを始めた
きっかけはオンライン英会話と2021年夏頃の体調不良。まず前者は、「生まれ変わったらどんな能力がほしい?」について議論した際、「楽器とは縁が無い」という呪いを自分にかけていたことに気がついた。後者は、ライフワークの食が封じ込められたことで「家の中でできる、一人でもできる、体力を使わない慰め」を求めたことが大きかった。

初めてもうすぐ3ヶ月。「猿でも解るピアノ」的な教本を一冊終えて、簡単な両手弾きを練習中。まず「(様々なことに対して)雰囲気で取り組む」という自分のスタンスと向き合うことに。ピアノは押した通りに音が出るため「分からないけれど、まずはやってみる」ことができない。慣れない思考の回路を使うことは軽くストレスではあるが、それがまた快感でもある。また、元来注意力が散漫な人間だが、頭と手を動かしながら目の前の鍵盤と楽譜にだけ向き合うと、ある種のカタルシスを得られる。(幼少期に通っていた算盤のことを少し思い出した)

白が可愛い電子ピアノと教本

・トワ、チェロ爆発する / 初ジョブローテ
社会人二年目、ジョブローテの移動先がいわゆる「地盤の固まっていないところ」で、働くことに頭のキャパシティを想像以上に食われた。その結果、幼少期からずっと続けていたチェロの演奏にも集中できない事態に。そもそも思考のタイプとして、「一つのことにしっかり向き合う」タイプだ。「わからない状態」「常に考えなければならない状態」に対して精神負担を抱え易い。例えばコース料理を食べるときに、先にメニューを見ておきたい派の人間と、完全おまかせにワクワクする派の人間がいる。トワは前者で、ぎしりはどちらかというと後者だ。

ストレスを受けた時のセルフケアについても話が及んだ。トワは眠れなかったり、人との会う予定が立てられない状態、ぎしりは食欲おばけの名に恥じぬ無茶食い全集中。共通していたのは、ツイッター張り付き。二人共情報のシャワーを浴びるのが心地良いタイプの人間だった。

「思ったより疲れている」状態が多いというのもまた事実。自分のことは自分がわかっていると見せかけて、意外と荒み具合が客観視できない。修羅場が人を育てるというのは一理あるものの、「その状況はしんどい、休んだ方が良い」と言ってくれる第三者と接点を持つことが大切かもしれない。あるいは、好きなことを複数持っておくことも重要だ。(「これもできない、あれもできない、それもできない」となると自分のやばさを客観視できる)

・ぎ、キャリアと向き合い始めた
2021年は役職が一つあがった。早くて2~3年後には管理職へ。妹以外の歳下は正直苦手だけど、「早く行くなら一人、遠くへ行くなら大人数」を心に刻んでやっていきたい。あと、「generalistになるかspecialistになるか」問題については、自分が気持ちよく働くためにはある程度の戦える武器はあった方がよさそうという結論に至った。いつの時代も芸は身を助ける。

・めぐる人間関係
ぎしりはこの春から社会人5年目になる。会社では同期の転職がピークを迎えている。プライベートは、ライフステージの変化に伴ってプラマイややマイで緩やかに変化している。仲良かった人と疎遠になったり、逆に距離があった人から連絡きたり、新しい知り合いができたり。向こう5年くらいはまた動いていくのかなと思う。私も変わって、あなたも変わって。またいつかどこかで重なったら、それでいいと思う。

トワはこの春から社会人3年目になる。パートナーと同居しているぎしりと色々話して、一緒に暮らす人がいても居なくても寂しいし時は寂しかったり、腹が立ったりすることを知って、周りの人たちとどう生きていこうかと考えたりしている。前述の体調不良をきっかけに物理的にやや脱フッ軽になったけれど、マインドは「色々な人と話してみたい」なので、ハブみたいな存在になるのもありかもしれない。刺激を受けるという意味で、意図的に自分と違う考えの人と関わることも大切だ。

・なんのために生きるのか
家族と友達に囲まれて、仕事もして、人生に不満は特にないけど「あとこれを何回すればいいの?」という気持ちになる。私たちが高齢者になる頃には平均寿命100歳を超えているということは、80歳になっても畑ではなくエクセルを耕している可能性が高い。正直絶望する。物心ついてから今までずっと、毎年「最高の一年」を更新してきた自負がある。けれど、それは健やかな心身ありきなのではと思う。

平野啓一郎「本心」で、作中に登場する主人公の母親が色々あって安楽死を選択するのだが、個人的にすごく共感できる。自分で人生の終点を決められるのは恵まれていると思う。身辺整理を通じて自分の人生と向き合ったり、関わりのあった人に挨拶をしたり、オンライン生前葬(笑)をしたり。(実際そうすると生への執着が生まれるのかもしれないけれど)

「私はこれをするために生まれてきた」という天命がある人は良い。それに向かって生きていけば良いから。そうした天命は、今は私たちにはない。だけど、天命とはどこかから湧いて出てくるのではなく、日々のインプットや仕事、活動の積み重ねで構築したポートフォリオ同士が化学反応を起こした結果なのではないかと思う。だから私たちは、今日も自分の「農地」でさまざまなものを育てる。(もちろん、何か新しく植えたいものを見つけた時のために、あるいは疲れた時に座って休むために、空き地を持っておくことも大切)

・日本の良さを再発見
コロナで海外旅行に行けないので、人の目を掻い潜って日本のあちこちを訪れた。東京から車で2~3時間ほど走ると、一気にノスタルジックな田舎に変わる。田舎は景色が変わらないから安心する。数年ではびくともしない。東京はハウルの動く城の如く、毎日姿を変え続けている。変化の渦の中は、誰の干渉も受けないから息がしやすい。(たまに疲れるけど)


「2022年も前向きに頑張れるように」という名目でやってみた振り返り、色々と気づくことも多かった。いくつかのトピックは引き続きウォッチしつつ、今日も食べて寝て、その日を生きていく。

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