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隣の芝生は青い。じゃあウチは綺麗な花を咲かせよう。

kirakuです。



最近巷で言われている「親ガチャ」




「親ガチャ」とは自分の生まれた環境が運任せなことをネットゲームなどのガチャになぞって、揶揄すること。




なるほど。



うーん。





個人的にあんまり好きな言葉ではないけれど、本質的には当たり前のことを今風に例えただけなのかなと思います。




生まれてくる環境が違うのは当たり前。今も昔もこれからも。









子どもの目線からそれを親のせいにする気持ちもわからなくないけれど、親も子どもを選べないことも事実。



そもそも生き物の中で、人間に生まれてきたのは僕は良かったなと思います。





「親ガチャ」をもっと広域な範囲にして「万物ガチャ」だったら、人間に生まれるのは相当ハードル高くないですか?笑







砂つぶとかに生まれたら結構エゲツない。





色んな生き物に踏まれ、暑い日も寒い日も雨の日も嵐の日も外。




そして自力で動けず、何十年、何万年もそこに有り続ける。





虫とか、小魚とかも生きるの大変ですよね。








マグロなんか止まったら死ぬんですよ!






すごい行動力。。。





ちがうか。笑





まぁそんな風に考えたら



そもそも人間でよかった。



「まんが日本昔ばなし」よく観てました。子供の頃。



人間っていいな。





昔は人の家の家庭内のことは、わからないことも多くありました。




今はSNSで他の人や家庭環境などがオープンになり、昔より比較しやすくなった時代。




若くても幅広くより多くの人と繋がりやすくなった時代だからこそ生まれた言葉で、本質は昔からあったこと。



以前にも比較について記事にさせていただいたんですが、



この記事が多くの方に見ていただけたのは、やはりこんな時代だからこそ、比較してしまうことを自力でブロックする力、考え方が求められているのかなと思います。




「隣の芝生は青く見える。じゃあウチは綺麗な花を咲かせよう」




これでいいじゃない。



綺麗な花、素敵です。




その花を咲かすも枯らすも自分次第、起こること全て自分原因で考えると、変化させることが出来るのは自分しかいないことに気づく。





変化させることができるのは今か未来しかないことに気づく。





一人一人がそれに「気づくこと」が出来たら、親ガチャなんて言葉も生まれなかったかも知れません。




花を育てる過程、そのプロセスが人生。



環境より、何を育てるか、種を蒔く「行動」を起こせるかで、今の時代であれば自分の人生プロセスは自分で豊かに出来ると思います。





はい、いかがでしたでしょうか。



「今の時代であれば」というのは昔は選択肢も限られていた時代だったから。


今は選択肢と比較対象が多すぎる時代。

だからこそ人と比べず、自分の考えを持つことが大切なのかなと思います。




今回はこの辺りで。ご覧いただきありがとうございました。それでは^^



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