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添乗員に関する記事を構成中【きらり独りよがり/その19】

添乗の 記憶思い出 振り返り ブログの記事の 構想まとめ

元…と言うか、今も籍は残っているので、わたしは添乗員でもあります。
コロナ前は、ゴールデンウィークや11月の行楽シーズンに合わせて日本へ行き、国内添乗のお仕事をいただいたりする年もありました。

わたしが添乗員になった1980年代後半は、「添乗員は大学生の憧れの職業」、「花形職業」とも言われた時代です。

縁あって、わたしは添乗員派遣会社の老舗で国内添乗の研修を受け添乗員となりました。

研修は20名ほどの人数で始まりましたが、2週間の研修が終わるまでには、半分ほどの人数に減っていたと記憶しています。

1月に研修を受け、旅程管理主任者資格の試験を受け、2月に添乗員としてデビューしました。

初添乗は日帰りバスツアー。新宿出発で青梅の梅林を訪ねるものでした。

今のように現地受けというシステムはなく、北海道でも沖縄でも飛ばせていただきました。
そう言う意味では良い時代だったのだと思います。

でも1年経つ頃には、10人くらいはいたはずの同期が2人だけ。
人気の職業だっただけに、理想と現実のギャップの大きさに脱落した人が多かったのかもしれません。

その代わり、「1期違えば虫ケラ」と言われたその会社で、続いて研修を受けた後輩とは同期同然で仲良く楽しくお仕事していました。

毎月のように添乗員研修が行われていた頃のお話です。

冒頭の写真は日光東照宮で撮った1枚です

前回添乗に出させていただいた年は、何回も日光への日帰りバスツアーにアサインされました。40年近く国内添乗に従事する先輩と、30年ぶりくらいで一緒にツアーに出ることもでき嬉しかったです。

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