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少し前に読んだ本

少し前に読んだのは

白洲正子
ほんもの―白洲次郎のことなど―

白洲正子は(1910-1998)東京・永田町生れ。薩摩隼人の海軍軍人、樺山資紀伯爵の孫娘。幼時より梅若宗家で能を習う。14歳で米国留学、1928(昭和3)年帰国。翌年、白洲次郎と結婚。1943年『お能』を処女出版。戦後、小林秀雄、青山二郎らを知り、大いに鍛えられて審美眼と文章をさらに修業。1964年『能面』で、また1972年には『かくれ里』で、ともに読売文学賞を受賞している。

無秩序、無鉄砲、無制限。疾風のごとく駆け回り「韋駄天夫人」の名をほしいままにした白洲正子が、時に激しく、時に気さくに綴った26編。お能、骨董、名優への思い、自死した女友だちのこと、そして、白洲次郎、小林秀雄、吉田健一ら猛者たちと過ごした日々。美しく儚い〈ほんもの〉に満ちた、白洲正子史上もっとも危険な随筆集。没年に行なわれた阿川佐和子との対談も収録。

いろんな昭和の文化人が出てきて、銀座を味わったような、実際に会う以上に実感がわくような感覚。
愛情に満ちあふれてて、スパッとハラを割ってるようで。

白洲次郎の家庭内での姿が見えるのが面白い。
韋駄天と呼ばれるだけあって、全く家庭に収まらない正子さんの生き方にも惹かれるものがある。
でも多分、自分はそういう生き方はできないだろうとも思う。

大工仕事と農作業と車が好きだった次郎さんと骨董と着物と文筆に精を出す正子さんの住まいは、何とも言えない落ち着きがある。
このエッセイに現れる次郎さんは半分英国人。奥様の正子さんから見ると弱虫で正子さんの出産や病気ではただオロオロしていたという。
朝帰りする正子さんを農作業中の次郎さんが迎えるシーンもあるが、次郎さんは文句を云わなかったとのこと。あとがきでは娘さんには愚痴をこぼしていたそうだが。
次郎さんは小林秀雄の本はおろか正子さんの本も読まなかったそうである。同じ家で暮らしながら別々の生活を送っていたという。
武相荘には趣味趣向は違うけれど、テイストは一致していたという解説があった。物凄い割れ鍋に綴じ蓋だと思う。


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