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noteの投稿記事、自分で読み返してますか?

かなり不定期ですが、前にnoteで書いた記事を読み返したり朗読を聴き返したりしています。
後者に関しては、自分の技術と音質チェックの意味合いも含んでいますが…やっぱり良い出来だと思うものは良いです(熱い自画自賛)

こうやって見返してみると、スキ数が多い記事は自分で読んでいても面白いと思うものがありますね。
その中でも特に気に入っているのが下記の記事。

数少ない自分スキをした記事でもあります。
(基本自分スキをしないのですが、リズム感が良いので結構気に入っています。朗読版もあるよ!)

こうすることで、noteに綴ったものがそのまま自分の歴史になっているみたいでとても面白いですよね。
更に言うと、スタエフも聴き返しているので視聴回数の約3割は自分自身がカウントしていることになります。

記事を読み返す行為は自分を客観的に見る絶好のやり方だと思うようになりました。
何故かというと、同じ過ちを繰り返してしまったとき、どうしてそれをやってしまったのかを文章に綴っていたとしたら…めちゃくちゃ簡単に客観視できるからです。

私は舌禍・筆禍が過ぎる癖があります。
過去にそれが原因で喧嘩別れしたことは何回もあります。
実際、noteでもそんな形でお別れしたことがありますし、一方的にブロックされたこともあります。
一回それが立て続けに起こったことがあって、「どうしてそうなってしまうんだろう?」と自分で原因を探る意味も兼ねてちょっとした随筆を書いたことがあります。
(某公募エッセイにも出したのですが、残念ながら通過なりませんでした)
自分なりに見つめ直し、意識するよう心がけていますが…やはり感情的になってしまう自分がいます。
そうなるたびに、その随筆を読み返しています。

「腹を割って話す」事件時も読み返しました(この記事も地味に気に入っています)
そして今、この記事を書いている中でも再び読み返しています。

思い起こすと、反省文を書かせる行為ってある意味的を得ているんですね。
読み返す習慣があるかないかだけでも、意味合いは大きく違ってきます。
まさに、アウトプットをインプットする。吐き出した物を再利用。知識の循環です。

感情的になっていたり、何かと気が気でなかったりしたとき、過去の自分からヒントを得てみてもいいかもしれませんよ。
案外、同じ過ちを繰り返しているものですから。

追記:件の随筆アップしました!


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