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自閉スペクトラムを持つ子を自己愛的な大人にしないための支援

 「自閉」という言葉を聞くと、多くの親御さんは重度の自閉症をお持ちの方を思い浮かべられるというのが、私が臨床を始めた2000年代~2010年代前半は多くあったように体感しております。

 しかしここ数年は、発達障害の情報が世の中に広がってきており「うちの子は自閉かも」とおっしゃられる親御さんが増えてきている印象を受けます。自閉スペクトラムという言葉が出てきたことも大きいと思います。

 スペクトラムという言葉は、連続体という意味があります。白から黒までのグラデーションのイメージで捉えてみると分かりやすいかもしれません。

 自閉傾向が全くない状態(白)から、極めて強い状態(黒)までのグラデーションで考えてみると、人間は必ずどこかに位置づけられることになります。この見方はとても役に立つと思っています。グレーゾーンという言葉もよく聞かれるようになりました。

 自閉スペクトラム症、自閉症スペクトラムなど、複数の言い方がされており混乱しますが、病気としての自閉ではなく、自閉傾向の程度に焦点を当てて考えてみたいので、ここでは自閉スペクトラムと記載することにします。

 さて、自閉スペクトラムとはどのようなものでしょうか。その定義や特徴は他の書籍や情報媒体ですでにたくさんの分かりやすい説明がなされています。読者の方はある程度自閉スペクトラムの知識がおありだという前提で、定義はここでは割愛します。

 ここでは、臨床的な体感として、サポートが必要な自閉スペクトラムはこんなところに現れるという状況や、自閉スペクトラムについての私の理解について書いてみたいと思います。
 なぜこのようなことを書こうかと思ったかと言うと、実際の生活場面での親子の様々なディスコミュニケーションを、自閉スペクトラムという補助線を引いてみると理解できることは多いのですが、その視点がまだまだ十分に一般には広がっているとは感じにくいからです。
 スクールカウンセラーとして学校現場にも身を置いておりますが、関係者がその視点を早くから持って接していたら、不登校、いじめなどの大きな不適応が防げただろうなと感じることが多くあります。
 また、児童福祉施設で働いていた際には、発達障害傾向をお持ちのお子さんが大変多く、適切な関わりをされてこなかったことで、虐待を受けてしまったり、非行などの不適切な行動を起こしてしまうという事例に関わってきました。そのような事態に至らないような支援の必要性を痛感してきました。
 私は、心理士として小児科の現場にも身を置き、さまざまなタイプの自閉スペクトラムの特徴を見てきました。同じ自閉スペクトラムと言ってもお子さんによってその表れ方は千差万別です。しかし、ある一定の共通点もあるように思います。言葉、概念としてだけでなく、少しでも絵として、具体的なイメージとして自閉スペクトラムの現れ方が読者の方の頭に描かれたらうれしく思います。
 「え?これも自閉の可能性があるの?」という新たな受け止めにつながったり、「あるある、こういうこと」と日々のお子さんとの関わりの再確認につながっていただけるとありがたいです。

 また、子どもの成長を促し、未来への可能性を広げるために自閉スペクトラムをどのように受け止め、どのような方向性、見通しを持って関わるとよいのだろうかという考察もしてみたいと思います。自閉スペクトラムへの関わりは、その方向性によって、一芸に秀でた人材として豊かな人間関係を持てる大人になるか、ナルシストで自己愛的な大人になるかを大きく作用すると考えています。自閉スペクトラムの傾向が強い方は、エネルギーが強く、かつ白黒思考の方が多いので、右にも左にも大きく振れやすいと思われるからです。その意味で、自閉スペクトラムと自己愛は、非常に近いところにあるものだと考えております。

 子育てに悩む親御さんや、自己愛的な人に悩む方にも何かしらのお役に立てる視点が提供出来たらうれしく思います。

 それでは、お子さんに自閉傾向があるという設定で見てみます。親御さんが感じるお子さんの様子でこのようなことはありませんか。

とにかく人を巻き込む力が強い
 先にも書きましたが、自閉傾向が強い人は、とにかくエネルギーが高いです。一つのことにこだわると、そのことをずーっと気にし続けるところがあります。
 「〇〇してほしい」「〇〇したくない」と思うとずーっとそのことにこだわり、同じ主張を続けるところがあります。
 ガンコな性格、切り替えが苦手と周囲から見られることも多いです。
 そのガンコさから、親御さんにも何かを過剰に要求してくるようなところがある場合は、サポートが必要だと考えております。

 例えば一緒に好きなアニメを見ることを延々と要求する。「一緒に遊んで」としつこく言ってくる。「〇〇して!」と要求する。
 親の事情はおかまいなしで、自分の要求をかなえるために親を巻き込むパターンになりがちな場合です。この場合、親は精神的にも身体的にも疲弊してしまいます。

 「今は洗濯があるから出来ないよ」「ごはんを作っているからあとでね」などと伝えてみても「やってくれなきゃ嫌」の一点張りであったり、「じゃあ、いつならやってくれるの?この前もやってくれなかったじゃん。何時何分何秒ですか??」などと、口が達者で、まくしたててくる場合もあります。

 こだわりを達成するというミッションのみに全エネルギーが向かっているため、いくら正論を伝えても、聞く耳は持ちません。コミュニケーションが発信、主張の一辺倒で、相手の話を聞くという受信ができません。場合によっては親が折れてしまって、子どもに付き合わされ続けてしまう場合もあるでしょう。

 とある自閉スペクトラム症の診断を持つ大人の方が過去を振り返った際「親の声は耳には入っていたけど、自分は『〇〇したい』を達成するためのロボット、マシーンのようになっていて、声は聞こえていたけど何を言ってるかさっぱりわからなかった」とおっしゃられた方もいます。表面上は、理屈で親と議論しているようでありながら、まったく心には届いていなかったということでしょう。行く手を邪魔する敵の言語攻撃を、言語で反撃しているだけという状況なのだろうと思います。

 このような傾向をニキリンコさんは「自閉は急には止まれない」と表現しておられますが、まさに止まれないので、止めようとするものには牙を向くし、むしろ「一緒にお前らも来い」という勢いで親を巻き込みます。何がなんでも目的地に着かねばならぬという焦燥感ともとれるような鬼気迫る感じが伝わってくるのが特徴です。

 このような事態になってしまうと、もう親の感情もぐちゃぐちゃです。子どもを怒鳴りつけてしまう、時には暴力を振るってしまう、罰を与えて分からせようとしてしまう、しかし子どもには伝わらず「ああ、やってしまった・・・」という親の罪悪感のみが積み重なります。

 このような事態に陥る前に打てる手はいろいろあるのですが、最初からそれが出来る親御さんはまずいないと思っています。専門家が、「こうすればよい」と書いていたり、アドバイスをくれるかもしれませんが、「机上の空論だろう。実際にうちの子に関わってないくせに」と辛くなってしまう方も多いでしょう。

 子どもは大喧嘩の後も、ケロッとしている。これも自閉の特徴です。台風に巻き込まれた後の晴天のようです。他者との気持ちの共有ということがそもそも苦手なのが自閉スペクトラムです。苦手というより、その必要性、必然性を持ち合わせていないという表現が近いかもしれません。ご本人には苦手という意識も乏しいでしょう。

 親に散々口応えした後に「ああ、お母さんにひどいこと言っちゃった・・・」「お父さん怒っているかな・・・」というような罪悪感や相手の心情をおもんばかる気持ちにはなりにくいと思われます。

「あー嵐が去った」とでも言わんばかりにすっきりしている。「嵐はあなただよ。トホホ。」と親はさらに落ち込む。このようなご相談は、とてもとても、とてもとても、とてもをいくつも書きたくなるくらい多いです。登校渋り、ゲームなど〇〇への依存傾向、自傷行為、強迫的な行動、生活習慣の整わなさ、対人不安、親子の不和、さまざまな相談の背景に自閉スペクトラムの影響が見て取れることも多いです。

 「どうしてあなたって子はこうなの?」「どうして人の気持ちが分からないの?」「どうしてそんなにこだわるの?」様々な「どうして」が子どもに向けられます。しかし、子どももどうしてか分かりません。分からないことを考えさせられることは何を生み出すでしょうか。

 「自分は責められている」という被害感情のみが心に残り、それが積み重なっていきます。「親が私のためにいろいろ思い悩んでいるらしい。それはどうやら私のせいらしい。私が悪いのだ。私のせいだ。」と自己評価、自尊心が低下していきます。

 ここで、「どうして私はいつもこうなんだろう」を一緒に考えてくれる場があるかないかは、お子さんの今後の人生の極めて大きなターニングポイントになると思っています。

 もし、そのような場と出会えなかった場合、お子さんは、極端に言えば「私はダメで変な奴。誰も味方なんていない。周りはみんな敵だ。自分の身は自分で守るしかない」と孤立無援で、孤軍奮闘していく道を選ばざるを得ないでしょう。

 お子さんが学力、スポーツ、容姿など何かにおいて、他者よりも優れていると見なされる特技や特徴がある場合、それを磨き続けて、一流になっていく道を目指す方もいるでしょう。しかし、うまくいって一流になれたとしても、心の中には「味方がいない」というさみしさや、自分を理解しない周りへの恨みや怒りにまみれた心の状態はなかなか変わらないでしょう。「周りより自分は優れている」、「自分を理解しない奴らを見返してやった」といった上下関係で人を見るようになりやすくなるでしょう。いつ自分が下に見られるかわからないため周囲への警戒が緩むことはないでしょう。これは自己愛的なあり方です。
 残念ながら一芸に恵まれなかった場合には、同じような辛さを持つ仲間と付き合い「どうせ俺たち、私たちは」と自暴自棄になり、時には非行行動を行うなど不適応な方向へと突き進んでいくことも考えられます。自尊心が低いためコツコツと努力することではなく、短絡的な快楽を求めたり、独自のこだわりを追求するべく部屋に引きこもり、ゲームやパソコンに没頭するなどの形になって現れる方もいるでしょう。

 他者に認めてもらうことで育てられていく健康な自己愛ではなく、別の形で、自分で自分を満足させる方向へと進んで行き、病的なとでも言えるような自己愛を肥大化させてしまうことも考えられます。

 自己愛については他の記事にも書きました。「自己愛的な人とどう関わるか」
 ナルシスティックで自己愛的な人は、他者の気持ちに共感することができないという傾向があります。

 他者の気持ちが分かりにくい自閉スペクトラムの特徴と、自己愛の特徴は一見似通っているところも多いため、自閉を自己愛だと周囲が理解し、冷たく厳しく対応していくと、本当に自己愛的なパーソナリティーが誕生してしまうという悲劇が待っているように思います。「あなたは自己中だ!」と決めつけて、本当に自己中な大人になってしまうということです。心理学で、教師期待効果(ピグマリオン効果)という言葉があります。社会学で予言の自己成就と言われている現象とも関連があるでしょう。
 「あなたはこうだ、こうなる」と言われ続けると、本当にそうなる方向性に向かっていってしまう特性が人間にはあります。
 自閉はわざと、自己中、自己愛的に振る舞っているわけではないのに、です。

 「どうしてうまくできないんだろう。どうして僕、私はいつもこうなんだろう」「そうだね、どうして君って奴はいつもそうなんだ。一緒に考えよう」と寄り添って考えてくれる存在が必要です。
 なんか、ドラえもんのような存在ですね。道具はないけど、一緒にいてくれるドラえもん。

 ただ、これはキレイごと過ぎます。自閉の方は「どうしてできないんだろう」という「どうして」と問うことが苦手であるという特徴を持っているからです。ドラえもんが寄り添っても「うるさいこのタヌキが!!」とはねのけてしまうことも多いでしょう。

シナリオ脳
 自閉の方は自分で考えて、自己完結的に結論を出してしまうところがあります。「私がどうせ悪いんでしょ。それはこれこれこうだから」「親が悪いんだ。それはこういう理由だからだ」私はこれをシナリオ脳と呼んでいます。頭の中で自分一人でシナリオを作ってしまい、結論を出してしまうのです。周囲が「違うよ」と伝えても、聞く耳を持ちません。心の中に他者が不在になりがちなのです。他者との心の交流が図りにくいのです。他者との交流よりも、シナリオが完成しない方が気になり、落ち着かないのです。見通しがあいまいな状況に耐えられない苦しさを感じてしまうようです。その苦しさを親御さんも感じ取って、子どもの言いなりになってしまう場合もあります。

 ですので、「それは『あなたの』シナリオにすぎないんだよ」ということを、小さいうちから幾度も幾度も刷り込んでいく必要があります。
 また「他者には他者のシナリオがあるんだな」を体感してもらうことも同時に必要になってきます。
 他者と一緒にシナリオを作っていく楽しさを体感することも大切でしょう。

 「ここでこう言えば、大人は引き下がる」といった対処法を覚えてしまう方もいます。言葉巧みに反省の弁を述べる人もいます。
 「ほんとうは、『どうしてこうなんだろう?』なんて、あなた、微塵も思ってないんちゃう?」
 「こうだからこうに決まっている、って決めちゃってるんやない?」
 「こう言っておけばお母さんは引き下がるって思ってるじゃろ?」
(なぜか方言)
 こういった切り込み方も必要になってくるように思います。
 自閉の方の心の状態にはっきりと名前をつけてあげることが、どうして?を考えるより先に必要になります。これは見通しがつかないと安心できない特性へのサポートにもなります。
 
 
おもちゃドクターというアニメがありますが、ドックという主人公が、おもちゃ達に診断をつけるくだりがあります。そこになぞらえて、
 「あなたは『どうして』が浮かばない病よ」
 「なんでもシナリオ作っちゃう病ね」
 「お母さんを手足だと思ってる病だわ」
 「先の予定が分からないと、我慢できなくなる病ね」
 など、ユーモアを交えるのも手でしょう。どうして?と考える前に「あなたの状態はこうですよ」と断言してあげる必要があります。
 
 自信を持ってそれを伝えられるように、専門機関に頼って、自閉スペクトラムの程度を見立ててもらうことをお勧めします。
 (怪しい占いや宗教はここを利用して、自閉の方に「断言」をして洗脳していくパターンも多いと思われます。自閉の方は、いくつかの選択肢から吟味することが苦手であったり、裏にある相手の悪意に気づかなかったり、思い込んだら突っ走るところがあります。答えがない状況に耐えられないため、答えをくれる存在に飛びついてしまうのです。端的に言うと、洗脳されやすいところがあると思われます。)
 
 自分の状態を分かってもらえることで、自閉スペクトラムの強い方でも、満足感や承認されたという喜びは感じ取っていくことが当然出来ると思います。そのような反応を表情に表すことは少ないため、伝わっている実感が持ちにくいかもしれませんが。分かってもらえる喜びをまずは持ってもらえると良いと思います。

学校現場では
 現在は療育、特別支援教育という枠組みの中で、支援を受けられる環境が整ってきています。しかし一方通常学級で、様々な個性を持つ子が一緒にシナリオを作っていく楽しさを味わえる時間は少なくなっているようにも感じます。いまの学校は、忙しすぎる印象があります。いじめアンケートをしょっちゅう行うのも意味が無くはないでしょうが、その時間をクラス遊びに使った方が良いと思います。先生達がいろいろな事務作業に追われており、職員室でも子どもの話ではなく、パソコンとにらめっこしている状態になりがちだという話も聞きますし、そういう体感もあります。
 様々な子がいる集団の中で、一緒にシナリオ、物語を作り上げていく楽しさや、いろんな人がいろんな考えを持っている不思議さを体感する場面がないのに、その子だけを取り出して特別支援を行うというあり方は、あまり好ましくないと感じます。
 放課後に外で子どもたちが自由に遊びまわるという光景は、私が小学生の頃はどこにでもあったように思いますが、今は少なくなりました。集団遊びの体験が乏しい中で、自閉スペクトラムの子たちは、他者理解、そこからの自己理解の機会を失っているように思えてなりません。

 そして学校現場では、黒に近い分かりやすい自閉スペクトラムの方や、自閉はないけどADHDで多動の方、学習障害をお持ちの方などへの対応がどうしても優先されがちで、グレーの自閉スペクトラムの方への支援はほとんどされていない場合も多いというのが、スクールカウンセラーをしていての体感です。
 知的能力が一定程度より高い自閉の方にとっては、学校という場で望ましい振る舞いをすることなど、容易いことです。多くの自閉スペクトラムの方は「いい子」です。特に今の忙しい学校では、多様なコミュニケーション場面はあまり多く発生しないので、シナリオ脳で乗り切れてしまいます。教員の方々も、自閉スペクトラムに精通しておられる方でもない限り、見立てを行うことは至難の業です。そして、支援のないまま社会に出て、苦労するという悲劇が待っています。

親の苦しさの視点から
 親としても、お子さんの特性を自閉でなく自己愛と理解してしまうと「私たちの育て方が悪いのかな」「自己愛的な子になってしまったのは自己愛的な親だからなのかな」「うまく育てられないなんて親失格だ」と自分を責める方向に考えが向かってしまいます。自閉スペクトラムのエネルギー、嵐に巻き込まれて過剰に悩んでしまう方も多いと思います。

 「ママ、どうしてのび太君はいつもこうなんだろうね。ママはよくやってるよ。」「そうね、ドラちゃん(ぐすん)」
 「パパの言っていることは何も間違っていないけど、どうしてのび太君には通じないんだろうね。パパは立派だよ。」「ありがとう、ドラえもん(涙)」
(大山のぶ代さんの声のドラえもんが、夕日をバックにしっとりと言ってくれているイメージです)
と一緒に落ち込み、一緒に考えてくれる親担当ドラえもんも必要です。
(ちなみに、のび太君は基本的には自閉でなくADHDに見えます。しずかちゃんがひょっとしたら自閉かも。いい子過ぎるし表情がほとんど変わりません。アニメなのでわかりやすいキャラクター設定なのでしょうが。でも実は女の子の自閉は、自閉の中でも気が付かれにくいと言われています。女の子はもともと言語能力が高い方が多く、男の子より社会性を持ち合わせている場合が多いです。さらに、『女の子はこうあるべき』という社会通念から、ニコニコと笑っていればOK、かわいらしくお勉強を頑張ればOK、など価値観の重圧を受けてきた歴史もあります。また自閉の女性は『女の子なのに気が回らない』『女の子なのに〇〇の研究をしたいなんてけしからん。進学校に行きたいだと?!〇〇一高じゃなく、〇〇二高へ行け』などと、否定されてきた方も歴史上、無数におられるのだと思います。女性の自閉スペクトラムの悲しみについてはもっと注目されてよいと思います。学校現場でも、女子の自閉スペクトラムは専門家のスクールカウンセラーや発達の専門家でも気づくことが難しいというのも実感です。この辺りは精神科医の岩波明先生の「医者も親も気づかない女子の発達障害」に詳しく書かれています。また、最近流行りのいわゆる「毒親」とされる母親の中にも、自閉スペクトラムの特徴を持つ方は、かなり多いのではないかと私は予想しています。)

 子どもの自閉スペクトラムのエネルギーに巻き込まれて、子どものこだわり容認派と、こだわりよりルール厳守派にパパ、ママが分かれて、夫婦喧嘩が絶えないというパターンに陥ることも非常に多いです。

 だいたいのケースにおいて、思い悩む親御さんは一生懸命子育てをされています。それでも上手くいかないのは、やり方の問題というよりは、お子さんの特性が「強い」そして「見えづらい」という場合が多いと感じます。

自閉は見えづらい
 見えづらいと書きました。冒頭の、明らかな自閉傾向をお持ちのお子さんは、社会的な場面でも、明らかな特性が目に見えるため、周囲も「ああ、自閉の方だな」と分かる、見えるわけです。先生方や周囲の人も容易に分かってくれます。

 しかし、スペクトラムで考えると、灰色の場合、黒の中にあれば白にも見えるが、真っ白の中にいると黒く見えるという微妙な、相対的な見え方になってきます。
 家庭環境が黒に近い場合、家庭ではお子さんは全く問題なしに見える。しかし学校でのみトラブルが起きるという現れ方もします。「学校のやり方がおかしいのでは?」と思う親御さんもいらっしゃいますが、特に公立学校は、ほどよくいろいろな子がミックスされたグレーな環境です。そこで黒寄りにお子さんが見える事実があるということかもしれません。
 逆に家庭環境が白に近い場合、家庭ではトラブルが多い、一方学校では適応的に振舞っている。というパターンもあります。親御さんに自閉スペクトラム傾向がほとんどない場合や感受性の鋭い親御さんの場合、お子さんとの気持ちの交流の出来なさに人知れずお悩みのお母さん、お父さんも多くいらっしゃいます。「お母さん、お父さん心配し過ぎよ~〇〇さんはよくやっていますよ。」という教師からの言葉が却って親御さんの孤立感を深めてしまうケースもあります。
 この辺りは、家庭の状況、学校の状況など環境面を総合的にアセスメントする必要があります。周囲との比較の中で、特性が強く見えたり弱く見えたりするのも、灰色の自閉スペクトラムを見つける難しさです。
 
 家庭では問題なしとされるパターンで、親御さんが子どものエネルギーに負けてしまって、子どものこだわりのいいなりになってしまっているパターンもあります。学校でも良い子で過ごしています。この場合は、社会に出た瞬間に子どもさんが現実適応出来ずに折れてしまう場合もあるように思います。就職して1週間で仕事を辞めてしまうというようなタイプの若者の一部には、自閉スペクトラムが隠れているかもしれません。苦労して就職したのに、あっさり手放してしまう。このあっさりさも自閉スペクトラムの特徴です。こだわりから外れると、まったく関心を無くしてしまうのです。「それまでのプロセスを考えるともったいなくて、せっかく一流企業に入ったのに1週間でやめるなんて」と多くの方が思うことを、平気で出来てしまうというような現れ方をします。また、「あれほどこだわって買ったおもちゃが、買った次の日には、床に転がっているんです」なんていうお話も、保護者の方から今まで何十回も聞いてきました。

 お子さんの知能がある程度以上高い場合や、おしゃべり能力や、コピー能力(真似をする能力)が高い場合、一見、「白」にしか見えないです。周囲も自閉かもという視点を持っていなければなおさら、自閉感を隠す方向でお子さんは適応しようとします。自分の特性を隠す方向での動きは、基本的に辛いものでしょう。隠すためのエネルギーを使うため、伸ばす方向に向かいにくいでしょう。こうして、特性を隠すことで、ますます見えにくくなるのです。

自閉が見える時期
 その子の持って生まれた特性は、幼児期によく見えるというのが臨床的な実感です。特に年中さんからの時期に見え始めるように思います。お子さんの子どものころの様子をよく聞くと、自閉スペクトラムの程度が見えてくる場合があります。また小学3年生ごろにも集団の中で見えやすい時期が一時期現れます。周りが見え理性が育ってくる(前頭前野の発達)子が増える中で、自閉スペクトラムの子はやや発達がゆっくりのため、周囲から少し浮くことがあります。しかし4,5年生になると、周囲がその子のことを分かり、お友達がその子の接し方に配慮できるようになるため、また見えにくくなります。次に見え始めるのは中1だと思います。

 発達がゆっくりと書きましたが、精神科医の神田橋條治先生は「発達障害は治りますか?」の中で、「発達障害も発達する」と書かれています。これはたいへん重要な視点です。「発達障害は治らない」という通説がありますが、「発達障害も発達する。ゆっくりでも。」という発想が大切です。まさに金言です。実際に丁寧に関わっていくことで、育まれていくお子さんを私も何人も見てきました。

 中学生以上で顕在化してくる場合は、多くが不登校などの不適応が伴います。この段階では自閉スペクトラムに正面から手を加えるよりは、まず環境調整をして、その子が安心して過ごせる場を整えることが優先されます。

どのように関われば良さそうか
 自閉スペクトラムへの支援の方向性としては、ありのままの特性を隠すのでなく、まずはそれをそれとして見つけて、ちゃんとテーブルに乗せることが大切だと考えます。
 テーブルに乗せて、善悪、価値づけは一旦脇に置いておいて、「これってなんなんだろうね」と純粋に眺める場を持つことが必要に思います。
 
 そんなテーブルになる場の一つがカウンセリングです。カウンセラーという専門家を交えながら、親御さん、ご本人、先生、みんなで「この特性ってなんだろうね~」と研究するような時間のイメージがいいかもしれません。
めずらしい石を拾ってきて、みんなでいろんな角度から眺めて「この石はこうかな、ああかな」と自由に話し合ったら、いろいろな理解が見えてきます。「あ、これは自閉スペクトラム石かあ!」と名前が付けばしめたものです。

 学校ではスクールカウンセラーが来ていたり、発達の専門家の巡回相談があります。幼児さんの場合にも各地域にさまざまな支援機関がありますので、少しでも気になったら相談に行ってみることをお勧めします。早く分かれば早いほど、お子さんの変化、成長に残された時間は多くなります。
 一方で、自閉に対する偏見や戸惑いがあったり、そのままを眺めるのではなく、「見たいように見る」という特徴も人間は当然持っています。そういった気持ちが優先され過ぎてしまうと、支援を求めるのが遅くなってしまうでしょう。

親の自己愛が邪魔をする
 そこに自己愛の問題も隠されている場合があると思います。「自分の望むような理想の子になって欲しい」これはどんな親でも持つ願いだとは思いますが、特に、自分に自信が持てなかったり、自分の健康な自己愛とでも言える「自分をまあ好きだと思える」というほどほどの感情が持ちづらい親御さんの場合には「お子さんに夢を託す」ではないですが、お子さんを理想化したり、お子さんのネガティブな状態を受け止めにくかったりしやすいかもしれません。「嫌な面は見たくない」という気持ちです。自分のしてきた傷つきを味合わせたくないという気持ちです。その気持ちは善意からのものですし、尊重されるべきですが、お子さんと親は別の人間なので、はっきり言うと、お子さんには関係のない話です。あえて強い言葉でお子さんの代弁するのなら、お子さんにとっては「いい迷惑」でしょう。(このあたりは家族観、宗教観などいろいろ意見が分かれるところだと思いますが。)

 お子さんの傷つきを知ると自分のことのように傷ついてしまう。お子さんと自分の境界線の感覚があいまいになってしまう親御さんもいらっしゃいます。お子さんに対して、自分の願望や期待、自分の思いをほどほどに伝えるくらいがちょうどよいと考えます。
 それが出来にくい方は、自己愛のテーマに課題がある可能性があります。親御さんが自らのカウンセリングを検討してみることも一案です。

 ここまでお読みいただいた方の中には、気分が重くなってしまわれたり、嫌な気持ちになってしまった方もいらっしゃると思います。
 でも、その気持ちも大切な気持ちです。変化や成長のためには、ネガティブな気持ち、落ち込み、不安も必要な場合があります。それを一緒に抱える場を求め、作っていくことが大切です。

子育ては自分育て
 子育てに真摯に取り組むと、自分育ても同時に行うことになると思っています。親は自分の嫌な面、苦手なことにも向き合う必要が出てきます。バリバリ働いてた頃は「私、こんなに怒りっぽくなかった~」と感じるお母さんは多いです。「俺ってこんなにキレやすい人間だったっけ?」と感じるお父さんも多いです。仕事で通用した方法は子育てには通用しない場合も多いです。

 子どもの前では、生身の自分が否が応でもさらけ出されます。そこで、自分達だけで子どもを抱えてしまうのは孤立を招きます。できないことは助けを求められること。ヘルプコールを出せること。失敗を素直に認めることは独善的で自己愛的なあり方とは逆の、他者との共存が出来るあり方です。

 自閉スペクトラムゆえの困難には、周囲に助けを求めることのできる人になる。自分の特性を素直に認められる人になる。失敗を認める人になる。自閉スペクトラムゆえの長所を他者のために使える人になる。そんな見通しを持った子育てもありかなと思います。自閉スペクトラムの方の困難は、場面が変われば長所になる特性です。そのこだわり、人を巻き込むエネルギーは生きていく上での武器になります。

 そのためには、親がまず周囲に助けを求めてみる。自分達のやり方を素直に見直してみる。ことが必要となります。これを意識されてきた親御さんの下で育った子は、自閉スペクトラムの特徴が強い方でも、愛嬌があったり、明るい方が多いように感じます。
 親御さん自身も自閉スペクトラムの傾向が強い方もいらっしゃいます。学校現場では、なかなか親御さんの特性まで踏み込んで「あなたは自閉の可能性がありますよ」とは言ってもらえません。しかし実は、はっきり言ってもらえた方が、親御さんも道筋が見える場合も多いように思います。「もしかしたら自分も?」と思う方も増えており、大人の発達障害という言葉が登場しています。「自分は自閉スペクトラムかも?」と思い受診を検討中の大人の方の、見立てのお手伝いもさせていただきたいと思います。
 また、スクールカウンセラーも、職務として親の支援は明文化されていませんが、子どもを取り巻く家族環境の安定化のために、親御さん自身の心理的な状態への助言も必要に思います。親御さんが自身のことを相談できる機関の情報提供も必要だと日々痛感しています。

生きる力とは
 「生きる力」と言うと、分かったような分からないような言葉ですが、他者と共存して生きていくために必要な力は「生きる力」と言えるではないでしょうか。そのような力をつけていくという視点を持ち、子育てという事業に取り組んでいくことも、豊かな人生といえるのかもしれません。
 わからないから教えて。やってくれてありがとう。嫌な思いをさせてごめんね。さしあたり、この3つを自然体で言える力が大事だろう、生きる力だろうと思います。これはすべての人にとって大事なことでしょう。そして、私はこれが得意だから、この力をみんなのために使うねと長所を仕事にしていくこと。これが出来たら豊かな人生だなと思います。
 
 まとまりなく長々と書いてきましたが、自閉スペクトラムという補助線を引き、そこで見えてくるものを活用していくことが、その一助になるのではないかと思っております。
 あくまで、現場で活動してきた一心理士の報告ですので、研究の裏付けがあるわけではないですし、すでにどなたかがどこかで述べられていることと同じような内容である可能性も十分に承知しております。しかし、一人でも多くの方に届くことで、変化へのアクションを起こす方が増えていくことを願って、書かせていただきました。この投稿に対しての、ご意見、ご感想やご批判などございましたら、ホームページお問合せフォームよりお願いいたします。

参考文献
俺ルール!自閉は急には止まれない ニキリンコ 花風社 2005
発達障害は治りますか 神田橋條治 花風社 2010 
医者も親も気づかない女子の発達障害 岩波明 青春新書インテリジェンス 2020

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