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わたしの輪郭をなぞる場としてのカウンセリング

人は、誰かの子であり、きょうだいであり、友人であり、同僚であり、後輩、先輩、部下、上司であり、パートナーであり、親であり、近所の人であり、お店のお客であり、ネット上でのアバター(自分の分身のようなキャラクター)であり・・・。

今の時代を生きる私たちは、かつてないほど様々な「わたし」を使い分けながら、日常生活を送っているように思います。

これだけのわたしがいると、「わたし」を保つのは、率直に言って、すごく難しいことなのではないかと思います。

NHKが行った中高生向けの調査では「相手に合わせて、キャラ変をすることがある」と答えた人が、中高生合わせて、4割近いというデータもあります。
(中学生・高校生の生活と意識調査2022 https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20221216_1.pdf 

この質問が設けられてることに、とても驚きました。

キャラ変は今や生きるためのスキルなのでしょうか。人生は劇のようなものだから、もしかしたら、本当のわたし探しなどに意味はなく、様々なわたしを演じ分けて生きるのが大事なのでしょうか。

しかしそうすると、キャラを使い分ける司令塔のようなわたしが必要にも思いますが、司令塔はいったいわたしの中のどのキャラなのか、よくわからなくなり、混乱してしまう人もいるだろうと思います。

また、演じるのが嫌だという人もいるはずです。演じようとしてもうまくできない人もいるはずです。

いったい「わたし」はどうあればいいのか。

かつての日本は、一億総中流社会と言われていました。それはすでに崩壊し、貧富の差は激しくなり、皆が拠り所とする日本人観、和を重んじるという感覚は、どこか頼りなく過去のものになりつつある状況のようにも見えます。和を重んじることによるデメリットや弊害が、主にSNSの力により可視化されてきました。海外からの視点が変化のきっかけになる事案も増えています。さまざまなニュースが日々流れてきます。

カウンセリングでは、このような社会の中で、何役もこなす日常を過ごす、たった一人の「わたし」である「あなた」をただただ理解しようとし続けます。

あなたと対話を続けることで「わたしの輪郭線をなぞる」作業を行っていきます。

バラバラなわたしをまとまりごとにくくってみる、まとまらない部分はまとまらないと明確にする、バラバラになれない自分を再確認する、誰かに踏みにじられた輪郭線があれば、修復を試みる。

こういった作業を通してあなたの輪郭をなぞり、あなたの輪郭線を濃くし、あなたという存在を色濃く写していく作業を行います。

わたしの輪郭をはっきり自覚しながら、わたしにできることを模索することが、今の時代を生き残るために、必要なことのように思います。

特に、幼き頃から「わたしの輪郭がはっきりとわかるような、安定した育みの場がなかったかもしれない」というような方には、かなり必要な作業のように思います。そうでなく「普通にそれなりに生きてこられたと思う」という実感のある方にも、現代は、様々な不安を喚起する事柄がうごめいており、わたしを保つことは容易ではないでしょう。

わたしの輪郭線が以前よりもほんの少しはっきりと感じられたとき、あなたの生きづらさもほんの少し変化していることに気づかれるでしょう。

わたしの輪郭線をなぞる、確認する作業は、ある意味生涯続くものかもしれません。その終わりなきプロセスが、豊さにつながっていくことを期待してカウンセリングを行って参ります。


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