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ガウディとサグラダ・ファミリア展 in 東京国立近代美術館

こんにちは。

東京国立近代美術館のガウディとサグラダファミリア展に行ってきました。
ちょうど行った日の前日にNHKで特集されていたようです。かなりの人でしたが展示内容はとても面白かったです!

美術館にあまり行かない友達を誘って行きましたが、とても興味深くて満足したようでした。スペインに行きたくなる展示です。

サグラダ・ファミリア聖堂

およそ140年。創案から数えると150年あまり経っています。
第一次世界大戦、第二次世界大戦を超えて、内戦で工事中断もありつつ、今なお完成に向けて作られてづけているスペインの至宝 サグラダ・ファミリア聖堂。

もともとは、貧富の格差が広がる1800年代後半のスペインにおいて、貧しい人のための教会を作ろうということで始まっているため、贖罪協会と呼ばれる、信者の寄付のみで建設されるカトリックの教会です。サグラダ・ファミリア聖堂(Sagrada Familia)はカタルーニャ語です。

完成は2026年予定のガウディの未完成の聖堂です。

ガウディの遍歴

アント二・ガウディがその表現に至るまでの流れがいろんなポイントごとに解説されていてとても楽しかったです。

バルセロナの歴史的な地形もそのデザインに大きく影響を与えたんだなと。
ゴシック建築、イスラム建築、カタルーニャ地方の風土や気候が混ざり合って独創性が作られていました。

楽しかったのは幾何学と自然を取り込んでいたこと説明する資料です。
以前、ガウディの本で読んだときに「重力の形を表すために天井から錘を吊って…そしてそれを逆さまにすると重力の形になります」というようなことが書いてあったのですが(じゅ、重力の形…?!)とちんぷんかんぷんだったのですが、逆さ釣り実験の動画説明や立体資料のおかげでとてもわかりやすかったです。

直線を繋いで曲面を作る手法も、サンプルや動画があって楽しかったです。
二重ラセン、平曲面(双曲放物線面)、複雑でアワワワとなっていましたが、実は全て直線でできているため、単純だそうです。立体幾何学の知識のない職人さんでも線に沿って作れば3次元の造形ができるという。
動画や模型で見ると「あ〜」となりましたが、実際に作るのとは違うので当時の職人さんたちもすごいなと思いました。

いざ、サグラダ・ファミリア聖堂の建築へ

ガウディが最初から建てたのかと思っていましたが、ガウディは二代目の建築主任です。サグラダ・ファミリア聖堂の創案者ブカべーリャは宗教関連の出版と書店を経営していました。着工に至る1882年まではかなり資金集めに苦労をしていたようです。

初代建築主任のビリャールを経て、ガウディが建築主任に就任したのは1883年11月のことでした。その頃にはなんと、10年で完成すると言っていたようです。10年て。(140年後もまだ未完…)

そして約束の時が迫る1891年。
なんと豪壮な「降誕の正面」が出来上がっていました。そう、正面だけ。
これにはブカベーリャもびっくりだったと思います。周りの職人さんもまさか10年で建てる気だったの?とびっくりしたのではないでしょうか。

サグラダ・ファミリア聖堂の建設はゆっくりとしている。
なぜなら、この作品のご主人(神)が急がないからだ。

会場キャプション

そうはいっても140年ですよ、ガウディさん。
でも、このこだわりがなければ、サグラダ・ファミリア聖堂はここまで認知される建築物になっていなかったかもしれないですね。

お前が始めたことだろう

そんなこんなですが、さすがはガウディの才なのか、この降誕の正面によって、一躍有名となります。そうは言っても10年で完成すると言っていたものの、この進捗具合にガウディーは詩人のジュアン・マライガからの檄を入れられたとのことです。

聖堂の完成案を作成するまで、死ぬ権利はない!

キャプションより

本当にそうですよ。よう言ったジュアン。

そんな檄のあったからか、1910年に計画案は無事に完成し、「聖堂アルバム」が出版されました。原本、どこかの蚤の市とかで出会いたいなあ。

1914年からガウディはこの聖堂に専念するべく、他の仕事から手を引いてサグラダ・ファミリア聖堂の建設に従事しました。
サグラダ・ファミリア聖堂の設計と建築のために、膨大な図面、さまざまなスケールで作った模型など心血を注ぎます。

全てこだわり。柱、窓、石像

サグラダ・ファミリアのその独創性が要所要所に注目して解説されていました。
そしてキャプションの言葉の端々にそのこだわりによって大変だった人が憑依しているような言葉が滲み出ているようでとても楽しかったです。
キャプションにもぜひ注目していただきたいです。

このコーナーは撮影可能でした。

内部は樹木式構造

内部にそびえる印象的な柱は、ガウディのこだわったポイントの一つ、ねじれ柱です。
下は多面なのに上に行くほど円柱になっていっています。

ガウディは初期の段階から「ねじれ柱」に執着していた。(…中略…)初期のネオ・ゴシック案では柱は単純な円柱であった。1917-18年頃には一方向のラセン柱、そして最終案で二重ラセン柱になった。ガウディはこの最終案を決定するのに1922-24年の2年間、2万ペセタを費やしたというが、「これまでに存在した円柱、エジプト、ギリシア、ゴシック、ルネサンス、バロックなどのラセン柱全ての総決算」だと、その結果に大いに満足していた。

キャプションより

言葉の端々に棘のようなものを感じて、当時の苦労していた人が憑依しているのではないかと思いました。とても面白かったです。この辺りからガウディの隣で苦労する架空のPや弟子を作り出して、彼の苦労を想像しながら展示を楽しみました。
(ペセタは1998年まで発行されていたスペインとアルドラの通貨。ユーロ導入にあたり廃止されました)

ビザンティンのモザイクタイルの伝統を受け継ぐヴィネチアの工房でないとダメだった
鐘塔頂華を彩る赤色と金色のガラス。
多くても少なくてもダメだった明かりの量、二重ラセン柱の形、天井、細部に至るまでガウディの心血が注がれ、いろんな実験や経験を踏まえて進化をし続けました。何度も変わるデザインにそれに応えるべくいろんな人たちが奮闘したんだろうなと100年前の人々に思いを馳せることができました。

苦労して、奮闘していた人々が「もう嫌だ!」となってしまうときにガウディが「ほら、美しいだろう」と言うのを見て、地団駄を踏みながら納得したのかね。

突然の死

目下建設途中の1926年の11月のこと。
サグラダ・ファミリア聖堂の第二建築主任になってから、43年。
建設に専念し始めてから、12年。
ガウディは仕事終わりに電車に轢かれて死んでしまいます。
73歳の生涯の半分以上を、一つの聖堂を建てるために向き合い続けたガウディの最期です。

その時の建設に関わっていた人、弟子、助手の心境を考えると涙が出てしまいます。
いつものように送り出しミサに向かったのにもう二度と会えなくなってしまった。どうして。なぜ。「もしもあの時」という念に縛られてしまうのではないか、と胸が締め付けられました。だって、まだこの聖堂はこれからだっていうのに。

突如訪れたガウディの死後も、サグラダ・ファミリアの建設は弟子たちに引き継がれて進みます。ブレずに建設が続けられたのは、ガウディ自身の資料の豊富さと集めていた人選。何より弟子たちや職人たちの強靭な心によるものだと思いました。
師匠の意志を再現するために、残された資料といつもの会話、異様なこだわりと思い出を基盤にしながら完成に向けて進んでいきます。進めるしかないですよね。(妄想入ってる)

かなり妄想に入れ込んでしまって、ちょっと泣いたりしながら展示を見ていたのですが、実際には内戦でガウディの作った資料や模型のほとんどが焼失、建設中止していた期間があったり、数多の困難が建設の中で起きていても、現在もガウディの意を継いで作られ続けているので、そこにはいろんな人の強い意志がないとできないよなと思います。
師匠が生きていれば、何か違う形する判断ができたりするのかもしれないけど、もういないんですから。もう全力で意を汲み取るしかないんじゃないかな。きっと、師匠ならこう判断するだろう。何度も柱を直したように、柱の形を決めるために2万ペセタを使った男なら、きっとこう判断するに違いないと。

創案者ブカベーリャ・初代のビリャールから繋がれた二代目建築主任のガウディー。そして現在は9代目の建築主任に引き継がれています。「ガウディの聖堂」として知られるのは、やはりその存在が、ガウディの作り出した特異な外観や内部の樹木式構造、ねじれ柱、10年で作った降誕の正面、キュビズムの系譜を辿る受難の正面、ヴェネチアガラスの鐘塔頂華と細部に至るまでガウディの遺伝子無くして語ることができないからなのでしょう。

現在のCG技術のおかげで飛躍的に進んだ鐘塔や、私が高校生の時からご活躍されている日本人の石彫主任・外尾悦郎さんなど、ガウディの意志は弟子たちから確実に世界を広げながら次の世代に紡がれて現在に至っている。
貧しい人のために聖堂を作りたいと願ったブカベーリャの意志から始まった大きなプロジェクトは現代まで紡がれ続けていることがとても美しいと思いました。

死の際に共に生きていた弟子たちのことはあまり出てきませんが、バルセロナの地で現在も建設が進んでいるという事実がもう全てな気がします。

人間は創造しない。人間は発見し、その発見から出発する。

キャプションよりガウディの言葉

キャプションから感じる「奔走した誰か」のことや天才の傍らにいたかもしれないPのこと。「ガウディの聖堂」と呼ばれるサグラダ・ファミリア聖堂において、決して1人の天才のみが作ったのではなく、時代を超えてたくさんの人の手によって作られていることを伝えたい展示だったのかなと思いました。
世に残っているあらゆる偉大な建物もそうであるように。
私が妄想した苦労人やPも本当にいたのかもしれません。

サグラダ・ファミリア聖堂のドローン撮影動画

数々のコーナーを架空の助手やPたちと観てきた私たちは、最新の映像でガウディ自身のこだわりの詰まった、そして弟子たちや関わる人たちを振り回してきたであろう美しい柱やモザイクタイル、石像を振り返ります。
死後に作られたキュビズムのような石像もとてもよかった。

各展示でこだわりや苦労ポイントを知った上で見ると感動でした。
3回くらい見ました。
音楽もずるくない?泣くやん?っていう優しい声でした。泣いた。

動画を見終わった後に再度展示コーナーに戻って思いを馳せたりしていると、なんだかんだで3時間強、滞在していました。満足。

ガウディの思い出

バルセロナに行ったのは、2013年の9月。
高校生の時からガウディが大好きで、是非とも行きたいと思っていたので貯めていたお年玉を使っていってきました。本当に行っといてよかった。
(卒業式の時に「サグラダファミリアのステンドグラスを作る人になる」ってクラスの人の前で言ったの覚えている…まあ、夢は叶わず)

イギリスでいろんな教会や上を見ていれば美しいロンドンの街並みを観ていましたが、異様なガウディデザインが街の中に溶け込んでいるバルセロナの街並みはかなり衝撃でした。

カサ・バッリョ
2013年はカサ・バトリョって呼んでた気がする…夢かも
海の中にいるようだなと思ったタイル
床が木工でびっくりしました。
布を結ったような渦巻天井
あと照明が花みたいでした。
グエル公園のタイル張りトカゲ
マグネット買いました。
グエル公園
2013年はあんまり混んでなかったと思う。
門一つ見ても曲線で可愛いかった
カサ・ミラの屋上
どことなくジブリっぽくて印象的でした。


なんと言ってもサグラダ・ファミリア聖堂の荘厳さ。
規模だけでなく、観てきた教会とは圧倒的に異なる佇まい。
高さ規制が街にあるのか、高い建物がないバルセロナで一際高く、天をつくように聳えていて、カラッとしたバルセロナの空に映えていました。

2013年 降誕の正面
まだ、鐘塔も未完成だった

2013年はこんな感じでした。
中を見るともう綺麗にできてて、なんだかんだもうすぐ完成か〜と思っていたのに、最終の完成イメージ模型をみて、「まだまだじゃん!」ってとってもびっくりしたいい思い出。全然塔とか足りてなかった。

絶賛建設中
降誕の正面
天井がね、とにかく森みたいでカッコよかった
窓から入ってくる自然光の美しさも。
束の間の夢だったステンドグラス
こだわりの柱
神が宿るとしたら、こういうことなんだろうなと思いました。
受難の正面
キュビズムみたいな表現が他の教会では見ることができない独特のもので印象的でした。


あとやっぱり空が似合う!!
バルセロナの気候や青い空が本当によく似合う!
カタルーニャのこの土地だから、このデザインにしたんだな、というのが本当にわか裏ます。
バルセロナは海辺の街なので、サグラダ・ファミリア聖堂のそばには地中海(バレアス海)があります。青い空と青い海を背負っていて、本当に陽気になれるカタルーニャの血脈を感じる聖堂です。(海まですぐに行けたけど距離感バグってるかも。)

画質っ


強い意志を持ってそこに建てられている。
100年前に死んでしまったガウディだけでなく、100年経っても色褪せさせることなく、そこに関わるいろんな人の手が見えるすばらしい建物でした。

夜のサグラダ・ファミリアもとても綺麗
裏の公園がおすすめです。
池があって、そこにサグラダ・ファミリアが映りますの。
地形変わってたらごめんなさい。

最後に、美味しかっためちゃでかパエリアを添えて。

もう10年くらいパエリア食べなくていいや、と思うくらい多かった。
3人でシェアとかがいい。

展示概要

ガウディとサグラダファミリア展
東京国立近代美術館
2023/6/13-9/10

帰りに丸の内でスペイン料理を食べました。

本当におすすめしたい展示です。
2026年の完成も待ち遠しい!
(Wikipediaには2026年は無理って書いてあったけど)

精進します。
切り絵作家 ひら子

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