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日本教育学会に参加して考えた、大学院のコミュニティを作ることの意義

8月24日〜27日に広島大学で開催された日本教育学会に参加してきた。これまでオンラインで学会に参加したことはあったりするけど、対面での参加はほぼ初めてに近い。それが日本の教育学系の中心的な学会なのは巡り合わせの問題だけどおもしろい。
会場開催に先立ってオンラインで開催された自由研究発表やラウンドテーブルでは、自分に関係する分野の話を中心に聞くことができた。なるほど、第一線の研究者は今こんなことを考えているのか、と学びになった。
会場開催のシンポジウムや課題研究では、主として自分が専門としていない分野の話が中心だったけど、これまでの授業や読書会、自主研究会などで議論してきた内容も多分に含まれていて、もちろん難しかったけどついていけないということはなかった。案外自分達の議論水準は悪くないのかもしれないと思えたことも大きな収穫だ。

広島大学のキャンパスは広く開放的でとても良かった

最終日には若手交流会があった。周りは名の知れた大学院の学生がほとんどで、その中で我々のプレゼンスを高めるにはどうすればいいのだろうと考えている。最近はよく「学習院らしい研究』という言葉を使って自分達の存在意義を定義しがちだが、そもそもそれは何を指しているのだろう。

うちの大学院は開設されてからまだそこまで日が経っていない。博士論文を書き上げた先輩もいない。そもそも博士課程に在籍している(していた)学生のほとんどが現職の先生方で、あまり大学院のコミュニティ形成といったことが行われていなかった。学部から博士課程にストレートで進学したのは4期生である自分が唯一なのだ。
結局はいい研究をたくさんすることでしかプレゼンスは高まらないし、人数も多くないから1人1人がたくさん取り組むしかないのだ。僕自身も来月には自分のメイン学会での発表が迫っている。


この夏、M1の子たちと一緒に研究壁打ち会なる勉強会をやっている。自分の研究の進捗と悩みを共有し、それをみんなで考え合うというものである。壁打ちという言葉はビジネス用語だけどみんな知ってると思っていたが、知名度はそんなに高くなかった。
修士論文にM1の夏の段階でかなりコミットできているのは素晴らしい。自分の時はもっと遅かったし、お互いの研究に興味が出始めたのも後半になってからだった。こういうところで大学院の雰囲気が作られていく。研究するのは当たり前として、個人競技かつ団体競技としてお互いに切磋琢磨し合う。さらに、修士 / 博士の壁を取っ払って、同じ研究仲間として相互リスペクトのもとコミットしていく。これはかなり理想的な形だと思う。これまでそういう文化が全くなかった(少なくとも自分にそれは届いていない)のは逆に好都合で、自分達がいいと思ったことをどんどんやっていくことにつながっている。
大学院の水準をどんどん高めていくことが、プレゼンスの向上にもつながる。次の課題は、大学院の中だけにとどまらず、打って出ていくことだろう。「俺たちはここにいるぞ」ということをアピールしていかなきゃいけない。そんなことを学会に参加して強く思った。

宮島衣瑛です!これからの活度のご支援をいただけると嬉しいです!