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#1 僕がプログラミング道場を開いたわけ

2019年の目標のひとつに **発信力の強化** があるので、今年は呼吸をするようにnoteに考えをまとめていきたいです。
ナンバリング記事第一弾として、僕が CoderDojo Kashiwa を始めた理由を書こうと思います。ありがたいことに僕はたまにメディアに取り上げていただくことがあるのですが、そのときに大体聞かれていたのがこのテーマです。

Scratch@MIT 2012 と CoderDojo

僕は幼稚園の年中さんくらいから、新浦安にある「ラーニングセンター新浦安」というLEGOブロックの教室に通っていました。ここはアドラー心理学をベースにした「勇気づけ」と、「ものづくりを通した学び」を実践している教室で、プログラミング教室が今のように盛り上がるずっとずっと前からLEGOやScratchなどを扱っていました。昔からLEGOが大好きで、誕生日もクリスマスもプレゼントは全部LEGOだった僕にとっては天国のような場所でした。(当時小さい僕と生まれたばかりの弟を連れて、柏から新浦安まで電車で連れて行ってくれた母には圧倒的な感謝です🙏)
幼稚園から小学校低学年までの間はデュプロというLEGOの大きいブロックで遊んでいたり、東京タワーを作ったりしていましたが、中学年になるとエンジニアリングを扱います。ギアやモーターなどの機構を作ることはすごく面白かったです。僕はそこではじめてプログラミングと出会いました。マインドストームを使ってサッカーロボットを作ったり、First LEGO League という大会に出場したり、プログラミングの魅力に引き込まれました。(裏話をすると、僕は途中からコンピュータに興味を持つようになって、LEGOよりコンピュータのほうが好きになっていました。)

小学5年生になってはじめて Scratch に触れました。当時は1.4の全盛期くらいですね。僕ははじめ変数がなにかわからず完全に詰んでいたのですが、一度理解してからはいろいろ作るようになりました。そんなときに、マサチューセッツ工科大学で開催される Scratch@MIT 2012 に参加しないかという話が舞い込んできます。この界隈で知らない人はいないであろう阿部和広先生が、うちの教室にもお声がけくださったのです。僕は当時中学3年生だったのですが、中高一貫の私立に通っていたので受験の心配がなかったため、運良く参加できることになりました。

メディアラボのテラスでコーヒーを飲む中3の僕です。この頃からイキリ体質があったみたいです。
カンファレンスはとても刺激的でおもしろかったです。はじめてのアメリカでテンション上がっていたのもあるとは思います。このカンファレンスに参加した日本人は私たちだけでなく、多くの方が参加されていました。その中のひとりに CoderDojo 調布の石原淳也さんがいらっしゃいました。石原さんは CoderDojo 東京 の第0回から参加されており、僕に CoderDojo の存在を教えてくださいました。そのときにすっと「柏でもやってみればいいんじゃない?」と囁いてくれたのが、僕が CoderDojo をやろうと思ったきっかけです。帰国してすぐに下北沢のオープンソースカフェに行き、CoderDojo を体験しにいきました。それから先、僕は CoderDojo を柏で開催する方法をずっと考えていました。

一通のメール

いまでこそ CoderDojo は全国に160箇所以上あり、CoderDojo Japan のような全国的にまとめてくれる組織もあるので、立ち上げ方や仲間の募集などが簡単にできますが、当時はまだ国内にも10箇所程度しかなかった時代です。右も左もわからないまま、どうしたもんかと考えていたら中学を卒業していました。このままではダメだと思い、柏の公民館の借り方をググっていたりした覚えがあります。
夜中、ふと「柏 教育」でググっていたところ、ある市議会議員の方のサイトが出てきました。もともと高校の先生をされていたのに市議会議員になられたという面白い経歴が書かれていて、更に見るとSTEM教育についても触れられていました。これだ!と思いすぐにメールフォームから連絡したら、翌日その方から電話があり、すぐに会おうと言ってくださいました。それが僕と山下洋輔さんとの出会いです。山下さんは開催するための方法や公民館の借り方・集客の方法など様々なサポートをしてくださいました。

また、同じ小学校出身の同級生にも手伝ってもらい、協力して第一回 CoderDojo Kashiwa を開催しました。これが2013年5月5日のことです。

初参加者は4人。うち2名は僕の身内(弟といとこ)でした。以降月に1度は必ず開催しています。
CoderDojo 岡山岡南の Champion である曽我さんをはじめ Youth Champion は今では何例かありますが、当時は僕も Youth Champion だったわけです。

もっとみんなに知ってほしい

このポストでは、「僕がプログラミング道場を開いたわけ」を書くことになっていたのに、歴史ばかりかいてしまいました。そろそろまとめます。

中学を卒業するタイミングでLEGOの教室も卒業となりました。15年生きてきたうちの10年以上を過ごしていたことが急に卒業となるのも寂しく、今度は教わる側ではなく教える側としてこんな場をつくりたいなと思ったのがきっかけの1つだったんだと思います。僕が好きなことをもっと知ってほしいという純粋な気持ちです。

あと、中学に入学して3年間はずっと東京に通っていたわけですが、自分は地元のことをなにも知らないなぁと思ったこともきっかけの1つだと思います。普通に生活しているだけだと地元のことってあんまり知る機会はないし、別に何もしなくていいんだけど、僕はなぜか郷土愛のようなものがあり、柏のためにできることがあるといいなとぼんやりと思っていました。それは結局、柏市にプログラミング教育の土壌が作れたことや、高校3年生の夏に柏まつりのステージ演出をやったりといろいろな形で結実したように思います。

好きという気持ちは純粋で、とても強いことがわかりました。好きと好きが混ざったこの CoderDojo Kashiwa という場所は、僕にとってかけがえのないものに成長しています。それは、来てくれる子どもたち、保護者の方々、メンター、サポートをしてくれる大人、そして、同じ学生の仲間たち。すべてがうまくはまったからこそ感じられるんだと思います。

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先日、CoderDojo Kashiwa の新年会を開催しました。今年はコミュニティとしての機能を強化したくて、定期的に集まってわいわいご飯でも食べようの会を開催していこうと思っています。

この写真の親戚の集まり感すごいですよね。年齢多様性に満ちている感じ。子どもから大人までみんな好きなことを共有できているこの空間は、幸せそのものでした。古くから関わってくれている人も、最近関わってくれるようになった人も、みんな別け隔てなく楽しんでいきたい。僕はそう思います。

さて、長くなりましたが、僕が CoderDojo Kashiwa を開催しようと思ったわけについて書いてみました。次回は、高校のときに出会った奴らのことをまとめてみたいと思います。

最後までありがとうございました!

宮島衣瑛です!これからの活度のご支援をいただけると嬉しいです!